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吟遊詩人ウィル

呪縛人形

−32−

 サリナは人形屋敷の前に来て、立ち尽くしていた。
 その偉容は跡形もなくなり、燃え残った一部が廃墟を作り出している。あの火事が、昨日のことのように思い起こされた。
 あれから一年。
 ドールの町に短い春が訪れ、すぐにまた雪と氷に閉ざされた一年が過ぎた。
 町はグスカがいなくなってから、何となく明るさを取り戻した気がした。サリナの母はすっかり元気になり、昔取った杵柄で、せっせと機織りの仕事をこなしている。おかげで、二人の生活はかなり良くなった。このまま働き続ければ、今のバラック暮らしからも抜け出せるだろう。
 すべてはウィルのおかげだった。サリナはウィルに感謝の言葉を述べたかったが、あの舞踏会の夜以来、美麗の吟遊詩人は忽然と姿を消していた。
 背中に傷を負ったロムと共に人形屋敷を出た直後、裏手から炎が上がり、たちまち燃え広がった。折しも、吹雪混じりの突風が敷地内に吹きすさび、あおられた炎が被害を拡大させたのである。サリナはロムと二人、安全なところから眺めることしか出来なかった。
 そのとき、中にはウィルと、ラカンと一体化したベネシスト、グスカとズウ、そして多くの招待客が残っていたはずである。だが、誰一人として、屋敷から脱出してくる者はいなかった。裏手から逃げることも可能だったろうが、二、三百人の人たちが一人も正面玄関から飛び出して来ないのは異常だと言えるだろう。あの招待客たちは、一体、いずこへ消えてしまったのか。
 火は夜が明けるまで燃え続けた。火事に気づいた町の者たちが駆けつけたが、あまりの火の勢いに、サリナたち同様、呆然と見守ることしか出来なかったのである。消火作業など無意味だった。結局、燃やすものが尽きたところで、降り続いていた雪が消し止める形になった。
 火事が鎮火してから、サリナはウィルを探した。ウィルを最後に見たのは、舞踏会の会場で、シャンデリアの下敷きになる瞬間だった。もし、あのまま押し潰されたのなら、そこにウィルの死体が残されているはずである。
 だが、いくら探してもウィルの死体は出てこなかった。いや、ウィルどころか、巻き添えになったはずの招待客の死体さえも。有り得ないことだった。サリナもロムも、しっかりと見たはずだ。上流社会から集まった紳士淑女たちを。にも関わらず、あれはまるで夢の中の出来事だったかのように、むごたらしい遺体は発見されなかった。
 しかし、夢ではなかった証拠が一つだけ残されていた。ラカンとベネシストの死体である。まるで悪夢の産物のように、その体を一体化させた格好のまま町の者によって発見された。
 死体は黒焦げになっており、町の者たちにはラカンやベネシストだと判別は出来なかった。だが、サリナとロムは知っている。その奇妙な死体が彼らだと。
 ラカンとベネシストは、ただ火事に巻き込まれて死んだのではなかった。ベネシストの腹部は、おそらくラカンが手にしていた《カタナ》によって斬られた、大きな傷が見られた。争ううちに逆上したラカンがやったのだろうが、一心同体であるベネシストを殺すことは、ある意味において自殺行為とも言える。
 だが、ベネシストも黙ってやられたわけではなさそうだった。ラカンの喉元には投擲用の小さなナイフが突き刺さっていたのだ。そのナイフにサリナは見覚えがあった。それはラカンが所持していたもので、サリナを助けようとしたときに、ベネシストが弾き飛ばしたものだ。きっと、もつれ合ううちに、ベネシストが落ちていたナイフを拾ったに違いない。そして、一か八かの反撃をしたのだ。結果は相討ち。もし、火事に包まれていなくても、そのような傷を負った二人が助かったかどうか。
 奇妙な二人の死体を町の者たちは気味悪がったが、サリナとロムは、一応、その正体を隠しながら、丁重に埋葬するよう、町長に頼んだ。今は町のはずれにある墓地の片隅に、ひっそりと埋められている。
 この出来事は町でもかなりの騒ぎになったが、三月も経てば、それもやがて人々から忘れられていった。ただ、人形屋敷の焼け跡だけが、そのまま放置された。
 傷の治療のため、滞在が長引いてしまったロムも、今は商売に戻って、この町にはいない。ウィルのことを思い出すのは、今やサリナだけだ。
 あれ以来、つい、この人形屋敷の焼け跡へ足が向いてしまうサリナであった。もう何十回と訪れているはずだが、それでもウィルが生き延びた痕跡はないかと探してしまう。だが、それはいつも徒労に終わった。死んだという確証もないが、生きているという確証もない。それだけがサリナの心を凍てつかせた。


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