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ウィルとフィアーは互いの出方を窺いつつ、ゆっくりと時計回りに動きながら、弧を描いていた。
ウィルは《光の短剣》を横に寝かせるようにして、静かにフィアーを見据えていた。
対するフィアーは、セスタスの刃をすり合わせるように鳴らし、軽やかなステップを踏む。時折、突出するようなフェイントを見せ、ウィルを挑発するが、目の前の吟遊詩人は、まったく動じる様子はなかった。
これまで数多くの手練れと戦ってきたフィアーだが、ウィルのようなタイプは初めてだった。戦いを心得た者であればあるほど、相手の一挙手一投足を見逃さないようにするものである。そこに神経を集中していると言っていい。だが、ウィルはまるで泰然自若。単に茫洋としているのかと疑いたくなるほどだ。それでいながら、全身のどこにも隙を見出すことはできなかった。
「どうした、かかってこないのか?」
フィアーの心を読んだかのように、ウィルが言った。
フィアーは、まるで自分が剣の師匠に手合わせをしてもらっているような気になってきた。この黒衣の吟遊詩人は、魔法を操るばかりか、剣の腕前も超一流というのだろうか。
まだ一撃も打ち込んでいないうちから、フィアーの精神状態は次第に追いつめられた。完璧に気圧されている。こちらから仕掛けても、ウィルにはすべてを見通されているのではないかという疑心に陥った。
ならば──
フィアーは右手を身体の後ろに隠した。そして、不意に足を止める。フィアーはニッと白い歯をこぼした。
その刹那、ウィルの《光の短剣》が警告を発するかのように明滅した。ウィルが頭上を振り仰ぐ。
見れば、フィアーの頭を越えて、短剣<ショート・ソード>が飛んでくるところだった。
それはドッグの愛剣。ラークのピンチを救ったとき、ウィルがフィアーの足下へ投げたものだ。フィアーはウィルとの間合いを保ちつつ、まだ床に突き刺さっていた短剣<ショート・ソード>を後ろ手に引き抜き、それを背中越しに放り投げるというトリッキーな攻撃に出たのである。
ウィルが避ける瞬間。その隙を突くのがフィアーの狙いであった。
放物線を描いて飛んでくる短剣<ショート・ソード>を、ウィルは《光の短剣》で弾こうとした。そこへフィアーが突進する。絶妙のタイミング。この時間差攻撃は回避できないはず。
キィィィィィン!
ウィルは短剣<ショート・ソード>を弾き飛ばした。その瞬間、フィアーがギョッとする。弾かれた短剣<ショート・ソード>が、フィアーの目の前へと飛んできたのである。フィアーはとっさにセスタスで弾き飛ばした。
間髪入れず、今度はウィルの《光の短剣》がフィアーを襲った。何とか身をひねって交わすフィアー。輝く切っ先が首筋を撫でる。そのままよろめくように体を入れ替え、ウィルとの間合いを取った。
強敵に対して、慌てて後ろを振り向き、フィアーは大きく息を吐き出した。まさか、こちらの策を逆手に取られてるとは思いもしなかったことだ。改めて、ウィルの技量に舌を巻く。
だが、ホッとしている余裕などフィアーにはなかった。両者の間合いが広がったことにより、ウィルは呪文の詠唱に入る。それはフィアーにとって、最も避けなければならないことであった。
「くっ!」
フィアーは魔法が完成する前に呪文を邪魔しようとした。しかし、間に合わない。
「ベルクカザーン!」
ウィルの重ねた掌底から、青白い電光が迸った。それは瞬時にフィアーの肉体を貫く。
ライトニング・ボルト。
「ぐおおおおおっ!」
フィアーは絶叫した。強烈な電撃が全身を焦がし、血を逆流させる。フィアーを貫いた閃光は、背中から抜け、その後ろの壁すらも破壊した。
レジストをするなどというレベルの魔法ではなかった。半死半生。フィアーは地響きを立てるかのように、床に倒れた。
あっさりとギルドの刺客を片づけたウィルは、アッシュとラークが向かった支配人室の方へと眼を向けた。この先では、まだラークが戦っているに違いない。ウィルは助けに行こうと、そちらへ向かいかけた。
しかし、その背後ではどこに身を潜めていたのか、ドッグが再び姿を現し、ウィルへと忍び寄った。無論、それに気づかぬウィルではない。
ドッグは新しい長爪楊枝を口にしていた。吹き矢のように爪楊枝が発射される。
ウィルは半身をひねるようにして、毒を塗られた爪楊枝を回避した。だが、それを見たドッグがニヤリとする。実のところ、狙いはウィルではなかった。
爪楊枝が突き刺さった場所──それは仰向けに倒れているフィアーの歯茎であった。その瞬間、ぐったりとしていたはずのフィアーの眼が、突如として、カッと見開かれる。
「うおおおおおおっ!」
フィアーの口から野獣の雄叫びのようなものが発せられた。筋肉が倍くらいに膨れ上がり、血管が浮かび上がる。歯をギリギリと鳴らしながら、むくりと起き上がった。
「ひっひっひっ、さすがは禁断の劇薬。効果覿面だな」
多種多様な毒を扱うドッグが爪楊枝の先に塗っていたのは、ただの毒薬ではなく、即効性を持った興奮剤と筋肉強化剤を合わせたような劇薬だった。たったの少量で超人へと変貌させるのだ。ただし、効果は長続きせず、肉体を限界以上に酷使するため、結局は死に至らしめる。
だが、死にかけていたフィアーにとっては起死回生の秘薬に成り得た。全身に力がみなぎり、闘争心も湧き上がる。唸り声を上げながら、再びウィルに立ち向かった。
ウィルはそんなフィアーに寒々とした眼を向けた。
「あとは任せたぞ、フィアー」
所詮はアッシュの《灰燼剣》によって、かりそめの命を与えられた下僕。劇薬の効果でフィアーがどうなろうと、ドッグには関係なかった。それよりも、超絶なる強さを持つ美しき魔人ウィルを葬り去ることこそが重要である。そのためにはどんな手段も持さない。
ドッグは二人の対決を見届けることなく、扉の奥へと消えた。《堕楽館》のロビーにウィルとフィアーだけが取り残される。
「うっ、うううううううっ……」
劇薬によって超人と化したフィアーは、セスタスを握りながら、ウィルへと一歩を踏み出した。その眼は熱に浮かされたように潤んでいる。発汗も激しく、小さな震えも見られた。
「苦しいか?」
ウィルが尋ねた。何の感慨もなく、冷徹に。
フィアーは一度、ぶるっと身体を震わせた。すると、小さな震えも止まる。丸まっていた背が自然に伸びた。そして、弛緩する。苦しみが悦楽へと転じたかのようだ。恍惚とした表情でウィルを見る。
「最高だ……こんな気分は生まれて初めてさ」
「生まれて初めて、か」
皮肉めいた口調でウィルは呟いた。フィアーはすでに死んでいる。今は《灰燼剣》の力によって生を与えられているに過ぎない。
それでもフィアーは笑った。と同時に、筋肉に力がみなぎった。
「今度は貴様が敗北を知る番だ!」
シャキーン! シャキーン!
打ち鳴らされるセスタス。その音の間隔が徐々に狭まっていく。
バッ!
先に動いたのはウィルだった。マントをひるがえし、呪文を唱えようとする。
だが、劇薬によって超人と化したフィアーの反応はそれ以上だった。アッという間に間合いを詰め、まるでパンチでもするかのように、セスタスをウィルの顔面に見舞おうとする。
呪文を中断させたウィルは、それを《光の短剣》で防ごうとした。だが、次の瞬間、ウィルの視界からフィアーが消える。直前、身体を回転させるようにして、ウィルの左側面へと回ったのだ。
死角からの攻撃。
ウィルは左腕でフィアーの攻撃をブロックした。もちろん、セスタスの刃は受けなかったものの、フィアーの腕に当たっただけで、ウィルの細身の身体が吹き飛ばされる。
スピードもパワーもこれまでと比較にならなかった。ウィルはうまく宙で身をひねり、着地を決める。さすがの魔人も片膝を着いたのは致し方ないか。
ウィルの顔が凄絶さを増し、超人的刺客を見つめた。
「くっくっくっくっくっ……」
フィアーは自らの力に酔っているかのようだった。悠然とウィルへ近づく。
「仕方あるまい。やるか」
ウィルの戦意に反応してか、《光の短剣》が輝きを増す。
ウィルとフィアーは同時に攻撃を仕掛けた。
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