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吟遊詩人ウィル

暗黒街の歌姫

−37−

 《光の短剣》と特殊武器セスタス。
 互いの得物は刃を砕かんばかりに激突した。熱を帯びた閃光が迸る。
 最初の一撃は互角。だが、フィアーはすぐさま二撃目、三撃目を繰り出す。
 フィアーの武器セスタスは、両手に装備されているため、手数を多く出すことが出来た。ウィルは《光の短剣》ただ一振り。ましてや、今は劇薬の効果で、スピードが飛躍的に向上している。目にも留まらぬ連続攻撃。
 ウィルは懸命に、《光の短剣》ひとつで防いだ。フィアーの攻撃すべてに反応してみせることは神業にも等しかったが、言い方を変えれば防戦一方。反撃に転じることも出来ず、フィアーのスピードとパワーに圧倒されているように見えた。
 フィアーの口の端が吊り上がる。やれる、という手応え。それを感じたのだ。
 フィアーのセスタスは、徐々にウィルを壁際へ追い込んだ。もう後がない。
「どうした、吟遊詩人? 手も足も出ないか?」
 勝ち誇ったように言うフィアー。さしものウィルも、劇薬の効果で超人と化したフィアーに屈するのか。
 だが、ウィルの美しき相貌に、少しの焦りも見受けられなかった。まるでこの状況を危機だとは感じていないかのように。
 すると──
 吟遊詩人ウィル。彼は魔人なり。
 攻撃を受けるだけだったはずのウィルが、突如として押し始めた。フィアーの顔から笑みが消える。
「バカな……!」
 スピードではウィルをも凌駕しているはずなのに、次第にフィアーの方が守備に回らざるを得なくなった。ウィルのスピードが、突然、増したとは思えない。それなのにウィルの《光の短剣》をセスタスで防ぐのが精一杯だ。形勢逆転。フィアーはどうなっているのかと訝った。
 それに対する答えをウィルはつむぎ出す。
「いくらスピードとパワーを得ても、それに振り回されているうちは勝てないぞ。お前は手数を多く出すことばかり考えて、攻撃が単調になっていた。そのリズムを崩してやれば、お前の攻撃は封じられたも同然だ」
「ぐぬっ!」
 ウィルに冷然と指摘され、フィアーは屈辱に顔を歪めた。だが、一度崩されたリズムは簡単に取り戻せない。今度は逆にフィアーの背中が壁に当たった。
「そろそろだな」
 ウィルがそう呟いた直後だった。《光の短剣》がひときわ強烈な光を放つ。
 ピキーン!
 甲高い金属音が鳴り響いた。その瞬間、フィアーのセスタスが粉々に砕け散る。その破片を、フィアーは信じられないような眼で見つめた。
「何ィ!?」
 その隙を突いて、ウィルの《光の短剣》がフィアーに向かって振るわれた。瞬時に反応し、もう片方のセスタスで防ごうとするフィアー。だが、それすらも氷のようなはかなさで破壊された。
 身を守る術がなくなったフィアーは、何とか回り込んで、ウィルの攻撃を避けようとした。しかし、相手は冷徹なる魔人。そんなことが許されるわけがない。
 フィアーの胸板に、ウィルの《光の短剣》が一閃した。
「ぐおおおおおおっ!」
 フィアーの巨体が吹き飛ばされた。文字通り宙を舞う。そのまま頭からガラス製のテーブルに突っ込んだ。派手にガラスが砕ける音がし、フィアーはテーブルの残骸にまみれた。
 ウィルのブーツがガラス片を踏み、倒れたフィアーへと近づく。
「お前の肉体は頑丈でも、武器まではそうもいかなかったようだな」
 仰向けになっているフィアーを見下ろしながら、ウィルは静かに言った。
 所詮、《光の短剣》とセスタスでは、その強度が違いすぎた。しかも、フィアーのパワーが増したせいで、セスタスへの負荷は尋常ではなく、呆気なくその耐久度を超えてしまったのだ。
 フィアーの指がぴくりと動いた。
「くっ……くっくっくっくっ……」
 フィアーは笑いを漏らした。そして、ガラスを手で払いのけ、むくりと起き上がる。
 ウィルは見た。《光の短剣》を受けたはずの、フィアーの胸を。そこにはわずかな傷もなかった。
「確かに……武器は失った。だが……今のオレには武器などなくても、お前を殺すのに充分な力がある!」
 フィアーは猛然と立ち上がると、獣のようにウィルへと躍りかかった。《光の短剣》がフィアーの右腕を痛打するが、ものともしない。そのままフィアーはウィルに覆い被さった。
「その首、へし折ってやる!」
 フィアーの手がウィルの細い首へと伸びた。ウィルは《光の短剣》の柄で、フィアーの顔面を殴る。一発、二発。
 たちまち、フィアーの歯は折れ、顔は血に染まった。だが、劇薬の効果なのか、痛みを感じた様子はなく、逆にニターッと笑う。ウィルの首をフィアーの指が捉えた。
「死ねええええええっ!」
 フィアーが渾身の力を込めた。ウィルは口から吐血する。その血がフィアーの顔を赤く染めた。それでもフィアーはひるまない。
 さすがのウィルもこうなっては、フィアーを押しのけるのは容易ではなかった。加えて、今のフィアーはウィルを絞め殺すことに全身全霊を傾けている。ウィルの頚部は圧迫され、青白い顔が紫色へと変わりつつあった。
 ウィルは首を絞められながらも、必死に身をよじった。そして、懸命に背中へと手を伸ばす。
「──っ!?」
 短い旋律が流れた。ウィルが背中のマントの下に隠していた《銀の竪琴》を爪弾いたのだ。その瞬間、フィアーは声にならない悲鳴を上げ、思わず両手で耳を塞いだ。
 フィアーの手が離れたことによって、ウィルはようやく逃れることが出来た。苦しむフィアーを払いのけ、どうにか立ち上がる。一方のフィアーは、床に転がるようにして悶えていた。
「研ぎ澄まされた感覚が仇になったな。お前はオレの“リフレイン”を聴いた」
 ウィルは首を撫でさすりながら、苦しむフィアーに言い放った。
 魔奏曲“リフレイン”。それは短い演奏を聴かせるだけで、耳の鼓膜を振動させ続け、頭の中で大音響が響くように、永遠の苦しみを与えるというものだった。当然のことながら、耳を塞いだところで、“リフレイン”が消えることはない。だが、そうせずにはいられぬほど、フィアーは苦しみにのたうち回った。
「止めろーっ! 止めるんだぁぁぁぁっ!」
 フィアーは狂ったように叫んだ。いくら肉体が劇薬で強化されようとも、直接、神経へと及ぶ苦痛までは逃れられない。
「その苦痛から逃れる方法は、ひとつしかない」
 ウィルは再びライトニング・ボルトの呪文を唱えようとした。死をもって、苦しみから解放しようというのだ。
 その刹那、フィアーはひときわ大きく絶叫した。そして、一瞬、自分の人差し指を見つめる。次の瞬間、その指を勢いよく耳の穴に突き立てた。まともな人間がやる行為とは思えない。指は内耳を傷つけたらしく、血が流れ出た。
「ベルクカザーン!」
 そのとき、ウィルの呪文が完成した。青い稲妻が迸る。
 だが、フィアーはそれを跳んで交わした。電撃よりも素早い反応。そのままライトニング・ボルトを飛び越えて襲いかかったフィアーであるが、ウィルもすぐさま回避していた。
 再び両者が対峙する。
「鼓膜を破ったか」
 ウィルは自ら耳を傷つけたフィアーに、冷めた視線を向けた。フィアーは狂気の笑み。すでに正常な思考などなく、ただ目の前の敵を斃すことしか頭にないのかも知れない。
「殺してやる……ぶっ殺してやる!」
 狂ったような形相で、フィアーはウィルへ突進した。右手でウィルの首をへし折ろうと伸ばす。
 対するウィルは何を考えているか、無抵抗のまま、フィアーに首を絞めさせた。ついに観念したのかと思い、フィアーは狂喜の笑みをあふれさせる。
 だが、ウィルはフィアーに向かって、何事かを呟いた。もちろん、鼓膜を破ったフィアーに聞こえるはずもない。
 ウィルはこう言った。
「どうやら、お前の肉体も限界のようだな」
 と。そして、首を絞めているフィアーの右腕を無造作につかむ。
 一瞬、フィアーは何が起こったのか理解できなかった。ウィルが易々とフィアーの右腕を首から外したのだ。どうして、ウィルを絞め殺そうとしている腕が、と思った刹那、フィアーは驚愕のあまり、声にならない悲鳴を上げた。
 フィアーの右腕が切断されている!
 劇薬のせいで痛みはまったくないが、肘から先の腕は切り離され、それをウィルが持ち上げている状態だった。いつの間に斬られたのか。フィアーも気づかぬくらいの早業をウィルが繰り出したとでも言うのだろうか。いや、そもそも全身に塗っている塗料のお陰で、《光の短剣》すらも防ぐことができたのではなかったか。
 ウィルがつかんでいるフィアーの右腕は、すぐさま灰となって崩れた。その光景を目の当たりにしても、フィアーにはまだ信じられない。
 するとウィルがフィアーに向かって指を差した。反射的に自分の身体を見下ろすフィアー。今度は悲鳴すらも呑み込んでしまった。
 フィアーの胸に一筋の傷が!
「い、いつの間に……!?」
 フィアーはウィルを見た。そして、《光の短剣》を。
「まさか……!?」
 フィアーは悟った。自分に何が起きたかを。
 それを証明するかのように、《光の短剣》はさらなる輝きを見せた。
 《光の短剣》の一撃を受けた直後は何ともなかったかに見えたフィアーの胸と腕であったが、武器を通さない黒い塗料をもってしても、ダメージは確実に与えられていたのだ。痛覚が麻痺しているがためにフィアーが気づかなかっただけで、普通であれば、あの一撃で勝負はついていたことだろう。
 胸の傷は、次第に大きく広がっていった。フィアーの顔が悔しそうに歪む。盗賊ギルド一の刺客が、女のように華奢に見える吟遊詩人によって斃されるとは。
「お、お前は……一体……!?」
 すでにフィアーの耳には何も聞こえなかったが、ウィルの唇が短く動いた。フィアーにはその言葉が分かっただろうか。
「ただの吟遊詩人だ」と。
 フィアーは死の恐怖に打ちのめされながら、怜悧な眼を向けてくるウィルに対し左手を伸ばしたが、すぐに力尽きた。
 前のめりに倒れたフィアーが床に触れた途端、肉体は灰燼と化し、一斉に灰が室内に舞い上がった。《光の短剣》の一撃による傷と、ドッグの劇薬によって肉体が蝕まれた結果だ。もはや、ウィルに敵対しようとする者はロビーにいなかった。
 ウィルは無言でフィアーの死を看取り、すぐに奥の扉へと振り向いた。
 アッシュを追っていったラークはどうなったか。
 おもむろにウィルがマントをひるがえすと、漂っていた灰は宙で渦を巻いた。そして、一陣の風のように疾駆するウィルによって吹き散らされる。
 ウィルは急いだ。盲目の少女との約束を守るために。


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