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ウィルがフィアーと死闘を繰り広げていた頃、ラークは最大のピンチを迎えていた。
倒れたラークに向かって振り下ろされるトロールの一撃。
ラークは身をひねりながら、再びトロールの足首に長剣<ロング・ソード>を叩き込んだ。先程、ラークが狙ったのと同じアキレス腱だ。
腱を断ち切る確かな手応えと同時に、トロールは大きな悲鳴を上げた。その直後、トロールの棍棒がラークを外れて地面に叩きつけられる。間一髪。ラークは痛むあばら骨を抑えながら立ち上がった。
「チッ、何を手間取ってやがる!」
見れば、マダムの香水がもたらす睡魔から脱したアッシュが、同じく立ち上がるところだった。最後の手駒であるトロールの不甲斐なさに舌打ちする。トロールは傷ついた足で自分の巨体を支えることが出来ず、四つん這いになって呻いていた。
「アッシュ!」
ラークの眼に闘志がみなぎった。憎き敵がすぐ目の前にいるのだ。ラークは痛みを堪えつつ、長剣<ロング・ソード>を握り直した。
「貴様もしぶといな」
もう一度、新鮮な空気を肺一杯に吸い込みながら、アッシュもまた、ラークを見据えた。そして、《灰燼剣》を構える。
「……かかって来い。決着をつけようじゃないか」
ラークが挑発するように言った。アッシュはそれを鼻先で笑う。
「そんな身体でオレと戦うつもりか?」
「当たり前だ。お前を斃せるなら、オレは同士討ちでも構わない」
一瞬、妹のクリステルの顔が浮かんだ。しかし、ラークはあえて、それを振り払った。
アッシュが口の端を歪める。
「ならば、この《灰燼剣》で貴様の心臓を串刺しにして、オレの下僕としてこき使ってやるぜ!」
アッシュはそう言うや否や、ラークへと走った。芝生を蹴り、真っ向からラークに斬りかかる。
「やああああああっ!」
《灰燼剣》の一撃は鋭かった。ラークは長剣<ロング・ソード>で受け止めるが、その衝撃だけで折れたあばら骨に激痛が走る。頭からは血の気が引き、顔面は蒼白になり、にじんだ脂汗が額を伝う。もちろん、それをアッシュが見逃すわけがない。一方的に攻め立ててきた。
「そらぁ、そらぁ、そらーぁ! どうしたぁ!?」
「ぐっ!」
アッシュの猛攻に対し、ラークは守勢に回った。本来であれば剣の技量はラークの方が上。だが、トロールによるダメージは深刻で、明らかにラークの動きを鈍らせていた。
歯を食いしばって耐えるラーク。だが、いつまでこうしていてもラチは明かない。
イチかバチか、ラークはアッシュの攻撃を見切り、自分から仕掛けてみた。《灰燼剣》をいなすように交わし、アッシュの体勢が崩れたところへ長剣<ロング・ソード>の一撃。しかし、ラーク本来のキレがなさすぎた。
「しゃらくさい!」
ラークの狙い通りには、アッシュの体勢はほとんど崩れなかったし、長剣<ロング・ソード>による攻撃も遅れた。ままならぬ自分の身体。そのため、アッシュは易々とラークの攻撃を防ぐことが出来た。そればかりか、自ら仕掛けたことによって、絶叫しそうなほどの激痛がラークの身体を襲い、一瞬、すべてが硬直する。それはアッシュに、格好の隙をさらすことへとつながった。
「はああああっ!」
ラークの心臓を目がけて突き出されるアッシュの《灰燼剣》。ラークは身体を逸らすのが精一杯。《灰燼剣》はラークの左肩を切り裂き、同じ側の頬をもかすめた。
「つっ!」
ラークはふらつくように後方へ慌てて逃れ、アッシュとの間合いを取った。一方のアッシュは、せっかくの好機を逃し、唇を噛む。
「楽に殺してやったものを……」
「はあっ、はあっ、はあっ、はあっ……」
何とか命拾いしたラークは、大きく肩で息をした。しかし、それすらも激痛をともなう。あばら骨が悲鳴を上げていた。戦いが長引けば長引くほどラークが不利だ。しかし、だからといって、逆転の秘策など、簡単には思い浮かばない。
《灰燼剣》が切り裂いた傷口からは、血とともに灰もこぼれ落ちていた。それを見て、アッシュがほくそ笑む。
「今度こそおしまいだ。観念するんだな」
再びアッシュが斬りかかってきた。ラークは長剣<ロングソード>を持ち上げようとする。しかし──
「──っ!?」
ラークの左腕が上がらない。思ったよりも深手だったのか、斬り裂いたものを灰にしてしまう《灰燼剣》の効果が傷口の周辺に及んでいるのか。やむをえず、ラークは右腕一本で応戦することにした。
ラークは先程よりも、さらに劣勢に立たされた。右腕しか使えなくなったラークに対し、アッシュは猛然と攻撃を加えてくる。凶刃を回避しつつ、じりじりと後退せざるをえなかった。
そのとき、アッシュの眼が光った。
「ヤツを取り押さえろ!」
アッシュにばかり気を取られていたせいで、ラークは気づくのが遅れた。迂闊だったと言える。いつの間にかトロールが背後に忍び寄っていたのだ。トロールは膝立ちで這いずるように移動し、下がってくるラークを待ちかまえていた。トロールの腕がラークへと伸びる。
「!」
ラークは振り向きざまに長剣<ロング・ソード>を振るった。このときばかりは戦士の本能だ。トロールの厚い皮膚を斬り裂くのは至難の業であることなど、完全にラークの頭の中からは失念していた。
アッシュはきっと自分の勝利を確信したに違いない。どうせ、ラークの剣はトロールの息の根を止めることは出来ない。そうなれば、あとはトロールに捕まったラークの心臓に《灰燼剣》を突き立てるだけだと。
そのとき、《堕楽館》の支配人室から中庭へと、黒い影が飛び出してきた。ウィルだ。
美しき吟遊詩人は、一目見て、ラークの危機的状況を把握した。そして、口早に呪文が唱えられる。
「フェムゾン・ラ・カリテ!」
ウィルの指先から迸った光は、ラークが握る長剣<ロング・ソード>へと移った。通常の武器に、一時的な魔力を付与する魔法──エンチャント・ウェポン。ラークの長剣<ロング・ソード>が白き輝きを放った。
ズバッ!
厚く固いはずであるトロールの皮膚を、魔力の宿った長剣<ロング・ソード>が鮮やかに斬り裂いた。トロールの動きが停止し、吼えるような声とともに肉体は灰となって崩れ去る。その光景を目撃し、ラークへと突進していたアッシュはギョッとした。
だが、すでに勢いがつきすぎていた。そのまま体当たりするように突撃するアッシュ。
無心でトロールを葬ったラークは、ちょうど一回転し、向かってくるアッシュに正対した。そして、あばら骨の痛みなど忘れ、肉体が勝手に反応するかのように、懸命に右腕を伸ばし、アッシュに長剣<ロング・ソード>を突き立てる。
ドガッ!
突如として静寂が訪れ、両者のシルエットが重なった。ウィルは黙ったまま、それを注視する。
芝生の上に剣が落ちた。
「──ぐはっ!」
もう一方の剣は、腹部から背中へかけて、見事に貫かれていた。それは──
「……クリステル」
ラークは妹の名を呟いた。その目からは一筋の涙がこぼれ落ちる。
アッシュの手が、ドンとラークを突き放した。そのまま数歩後退し、呆然とした様子でラークを見る。
ラークの手にある長剣<ロング・ソード>は、アッシュの血にまみれても、魔力の輝きを失ってはいなかった。
「オレが……このオレが……」
アッシュは血に染まる腹部を押さえながら、うわごとのように呟いた。そして、唐突に力が抜けたようになり、その場に倒れ込む。
間一髪、《灰燼剣》の切っ先を交わしてアッシュを刺し貫いたのは、無我夢中で剣を繰り出したラークだった。ラークもまた、倒れたアッシュを悄然としたような様子で見下ろす。芝生の下の土がアッシュの赤い血を吸っていた。
「ラーク!」
《堕楽館》の方から、ラークを呼ぶ者がいた。ウィルの使い魔である黒豹によってここへ導かれたロベリアだ。他にはコナーとドリスもいる。三人はウィルが立っているところまで来ると立ち止まり、倒れたアッシュを前に立ち尽くしているラークを見た。
「ラーク……」
もう一度、ロベリアはラークを呼んだ。ゆっくりと振り向くラーク。
「終わったよ……やっと」
目に涙をためながら言ったラークの顔は、優しい兄の面影を取り戻した、穏やかなものになっていた。
終わった。それは確かな実感だったに違いない。
そのラークに向かって、同じく瞳を潤ませたロベリアが駆け寄っていった。ラークの右手から、ウィルの魔法によって魔力が宿された長剣<ロング・ソード>が滑り落ちる。そのラークの胸へ向かって、文字通り、ロベリアは飛び込んだ。
「ラーク!」
「ロベリア……」
負傷した箇所が痛んだラークだが、わずかに顔をしかめただけで、ロベリアをしっかりと抱き留め、二人は熱い抱擁を交わした。
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