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吟遊詩人ウィル

冒された森

−27−

 炎の断片がイスタの集落へと降り注いだ。引き裂かれた火龍の体の一部だ。それをウィルの魔法結界が食い止める。炎は魔法結界に当たると、パッと散った。
 もし、この障壁がなければ、甚大な二次災害を引き起こしていただろう。だが、サラフィンやシャルム=グランたちを含め、イスタで戦いを見守っていた者たちは、その幻想的とも思える光景に、ただただ立ち尽くした。
 上空で激突した二頭の火龍が燃え尽きたかのように消滅していくと、あとには三つの影が残された。ひとつは《光の短剣》を手にしたウィル。残りの二つは、切り離されたアッガスの上半身と下半身だ。
 切断されたアッガスの体は、飛行能力を失って、魔法結界の上に落下した。ウィルがマントで体を覆うようにして身構える。グノーを斃したとき、その死体から無数の蜘蛛が出現したのを思い出したからだ。
 グノーから湧き出すように現れた小さな蜘蛛たちは、森の樹木を食い荒らす害毒だった。そして、ミシルが斃したというダーク・エルフも、駆けつけたときには死体が消えており、その代わりに近くの植物と土壌を腐らせていた。
 また、ウィルたちは知らないが、サジェスへ急行中だったトーラスが、周辺の大地とともに石化したダーク・エルフを発見している。
 このようにダーク・エルフたちが死したとき、デスバルクの呪いの反動ともいうべき恐ろしい災厄が発生していた。それは周囲にも多大な被害を及ぼす強力なものだ。火龍の力を持つアッガスの場合であれば、とてつもない大爆発が生じても不思議ではなかった。
 ところがウィルの予想に反して、アッガスの死体は爆発しなかった。ウィルは警戒しながら降下する。
 するとアッガスの切断面からは、一切の血が流れていないことに気がついた。それどころか、内蔵から何から、すべてが黒い異質物へと変わっている。
 ウィルは魔法結界を消し去った。アッガスの死体は、さらに地面へ落ちる。ウィルもそのまま地上へ降りていったので、サラフィンたちはその場所へと急いだ。
「どうした、ウィル?」
 ウィルがアッガスの死体を調べているのを見つけて、サラフィンが声をかけた。それをウィルが手で制す。
「待て。それ以上は近づくな」
 爆発する心配はなさそうだが、まだ安心はできない。サラフィンたちを近づけるのは危険だった。
 そのとき、アッガスの切断面から黒い物体が触手のように伸びてうねくった。それを見て驚いたエスターが情けない悲鳴を上げる。シャルム=グランは強張った表情のまま、奇怪な触手の動きを見つめた。触手はまるで切り離された体を求め合っているように見えた。
「何だ、それは?」
 尋ねたのはサラフィンである。気味悪さにやや顔をしかめているのは仕方のないところか。
「おそらく、別の呪いだ」
 ウィルが答えた。その眼は真実を探求する学者のように冴え渡っている。
「別の呪い?」
「ああ、デスバルクがかけた呪いとは別の呪いが、この男にはかけられていたらしい。本来、二つの呪いはかけられない。もし二つかけた場合は、弱い呪いは無効化され、強力な方が呪いとして残る。つまり、この呪いはデスバルクの呪いをも凌いでいた、ということになるな。だが、それではこのダーク・エルフがデスバルクの呪いと思われる炎の力を操り続けていた説明がつかない。これが呪いであることは間違いないと思うが……」
 どうやらウィルにも分からないことがあるようだった。そのまま考え込んでしまう。
 しばらくすると触手の動きが衰え初め、次第に内部から腐るようにして溶け出した。それとともに強烈な腐敗臭がして、その場に居合わせたウィル以外の者たちの顔をしかめさせる。やがてアッガスの死体は跡形もなく消滅した。
 ウィルはまだ立ち尽くしたまま、アッガスの身に起きた異変について考えを巡らせていた。そこへシャルム=グランが近づいていく。サラフィンが止める間もなかった。
「お前がエスクード王の使いだそうだな?」
「お前は?」
 ウィルはシャルム=グランの方を振り返った。普通のエルフよりも体格の大きいシャルム=グランには威圧感があるはずだが、そんなことは微塵も感じていないらしい。それはシャルム=グランからすれば不遜な態度にすら思えた。
「オレはシャルム=グラン。ラバの族長だ」
「オレは吟遊詩人のウィル。何か不服がありそうだな」
 そのとき、シャルム=グランの眉が跳ね上がった。
「厄介事を持ち込みおって! 平和に暮らしていた我々を巻き込まないでもらおうか!」
 まるで雷のようなシャルム=グランの声に、エスターたちは身をすくめた。ところがウィルは微動だにしない。
「オレは王からの密書を携えてきただけだ」
「その密書が我々を戦いに引きずり込んだのだろう! 好き勝手に生きている人間たちがどうなろうと、我々には関係ない!」
「デスバルクは人間だけを敵に回しているのではない。ヤツの軍勢がこのまま侵攻してくれば、この森だって無事では済まないだろう。確かにエスクード王国は窮地に立っている。だが、共同戦線の申し込みは双方のためだ。お前も族長であるならば、狭量な考えを持たず、もっと大局を見定めたらどうだ?」
「き、貴様ぁ!」
 人間であるウィルにそこまで言われて、シャルム=グランが黙っていられるわけがなかった。顔を真っ赤にし、今にも殴りかからんと拳を握りしめる。
「シャルム=グラン殿、おやめください! ウィルも言葉を慎め!」
 二人の間に入ったサラフィンが、必死にシャルム=グランを押しとどめた。だが、二人の視線は火花を散らす。
 先に背中を見せたのはウィルの方だった。
「オレはただの吟遊詩人に過ぎん。王からも密書を届けるよう頼まれただけだ。お前たちエルフ族がどのような返答をするのか、オレが関知するところではない。だが、お前が人々の上に立つ者である以上、個人的な感情だけで結論を出すな。お前の決断が他の者たちの運命を左右する責任の重さを常に考えろ。何が正しいのかではない。人々のために何をすべきかが問題だ。──サラフィン、集落の前で待っている」
「あ、ああ」
 ウィルはそれだけを言い残すと、その場を立ち去っていった。さすがのシャルム=グランもそれを引き止めることは出来なかった。
「シャルム=グラン殿。エスクード王からの要請のことは、明日の賢人会議で話し合うことです。今、彼に何かを言っても始まりません」
「分かっている!」
 サラフィンにまで言われ、シャルム=グランは不機嫌さを隠しようがなかった。懸命に怒りを静めようとしながら、先に立って歩き出す。
「思わぬ足止めを食ったが、ジェンマ殿に会うぞ。アルフリード殺しのハーフ・エルフも放ってはおけない」
「はっ」
 サラフィンはかしこまると、改めてシャルム=グランたちをイスタの族長であるジェンマの元へ案内した。
 イスタはアッガスの襲撃によって、まだ騒然としていたが、幸いにも被害がなかったために、落ち着きを取り戻そうとしていた。中には、エルフたちの英雄であるシャルム=グランの姿を見つけて、彼が救ってくれたのだと勘違いする者も少なくない。様々な感謝の言葉を耳にしながら、実は人間のおかげだったと言うわけにもいかず、シャルム=グランは苦虫を噛み潰したような顔のまま歩き続けた。
 間もなく、シャルム=グランたちはジェンマが住まう大樹へと到着した。
「お前たちはここに残れ」
 シャルム=グランはエスターと従者たちにそう命じ、サラフィンと二人だけでジェンマの住まいへと入っていった。
 サラフィンは緊張していた。ジェンマがミシルのことをどのように話すのかと。
 ミシルがアルフリードを殺したなどということは、きっと何かの間違いだろう。サラフィンはミシルの無実を信じている。しかし、シャルム=グランたちは、ハーフ・エルフという血筋のこともあって、完全にミシルを疑っているようだ。目撃者もいるという。そんな彼らにミシルの祖父であるジェンマはちゃんと味方になってくれるのか。
 サラフィンとトーラス以外、イスタの者にはミシルが実の孫娘であること隠してきたジェンマだ。当のミシルにさえも。ジェンマの立場は理解しつつ、時折、不遇な生活を余儀なくされるミシルを見ていると、サラフィンは彼女のために真実を明かしたくなる。エルフと人間、そしてハーフ・エルフ。トーラスの言うように、そんな差別はバカバカしいと思うし、ジェンマがミシルを孫娘だと公表しないことにも、潔くないという思いを常に抱いていた。
 ジェンマはミシルを孫娘として愛していないのではないか。そんな危惧がサラフィンの中にあった。だから、今回のことでミシルが完全に見捨てられてしまったら、彼女は帰る場所を失ってしまう。それは自分とも離れることを意味しており、サラフィンがもっとも恐れていることだった。
 サラフィンはジェンマへ声をかける前に、深く息を吸い込んだ。
「ジェンマ様。ラバよりシャルム=グラン様がおいでです」
「……通せ」
 奥から弱々しい声が聞こえてきた。
「ご免仕る」
 シャルム=グランは一礼すると、一人で奥へ入った。


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