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吟遊詩人ウィル

冒された森

−28−

 八角形をした室内は、窓が閉められていたために、昼間にも関わらず薄暗かった。シャルム=グランは目が慣れるまで、その場に立ち尽くした。不思議だったのは、いるはずのジェンマの気配が感じ取れなかったことだ。
「よく来た、シャルム=グラン」
 正面からジェンマの声が聞こえた。シャルム=グランは反射的にかしこまる。
 若かりしシャルム=グランが《監視者》だった頃、ジェンマはすでにイスタの集落の族長だった。今、その身分に違いはないが、さすがのシャルム=グランも目上の者に対する礼儀はわきまえている。
「お久しぶりです、ジェンマ様」
 一礼を返したシャルム=グランであるが、どういうわけかジェンマの姿を捜すことはできなかった。つい視線が動く。
「ここだ、シャルム=グラン。私はそなたの目の前にいる」
 そう言葉をかけられ、シャルム=グランは顔を上げた。ようやく暗がりに目が慣れ始める。
 その瞬間、シャルム=グランはハッと息を呑んだ。変わり果てたジェンマの姿を見たからだ。
「ジェンマ様……」
「そう驚くな、シャルム=グラン」
 ジェンマの声音はとても穏やかで、優しかった。
 部屋の中央に柱のようにして立っている大樹の幹に、ジェンマの体は一体化していた。肌は樹木の外皮と化しており、手足はその先が見えないくらい木に溶け込んでいる。唯一、ジェンマと見分けられるのは懐かしい顔だけだった。
 シャルム=グランは、十数年ぶりの訪問になったことを後悔した。
「病とは伺っておりましたが、まさか、このようなことになっているとはつゆ知らず……」
 エルフと樹木が一体化する。この症状は、森の力を使いすぎた者に訪れるという。その原因に関しては様々な憶測がされているが、力を使った者は森への代償として、自らの肉体を捧げなければならないから、という説と、森の力を多用することによって肉体が植物化していくから、という二つの説がよく言われている。いずれにせよ、ジェンマはイスタの人々──ひいては《神秘の森》の人々のために森の力を使った結果、このような姿になったのだ。それは痛々しくもあり、同じエルフの族長として尊敬に値した。
「いいのだ、シャルム=グラン。私に後悔はない。私はただ、自らの定めを受け入れるだけだ。それに私は死ぬのではない。こうしていつまでも、イスタの行く末を見守ることになるだろう」
 達観したようなジェンマの言葉に、シャルム=グランは頭が下がるばかりだった。シャルム=グランも、かつてワイバーンの襲撃の際、仲間たちのために命を懸けて戦ったことはある。だが、それも、決して犠牲になろうという心がけを持っていたわけではなかった。どちらかといえば功名心が強かったし、戦士としての技量を試す意味合いからだ。それに比べ、このイスタの族長は、かねてより同族として敬愛してきたが、それ以上に自分はジェンマの足元にも及ばない器だと、シャルム=グランは改めて思い知らされた気がした。
「それより、今日は何かあって来たのではないのか?」
 ジェンマに尋ねられ、シャルム=グランは気後れした。
 シャルム=グランの目的は、言うまでもなく、ジェンマがなぜ掟を破ってまでハーフ・エルフの小娘を育てたか、それを問いただすためだ。族長から掟に背くということは、前代未聞の出来事である。
 しかし、このジェンマが、何の理由もなく掟を破ったとは思えない。何か深い理由があるのではないか。それを考えると、先程まで抱いていた怒りがスーッと下火になっていくのをシャルム=グランは感じた。命を賭して同族のために尽くしてきたジェンマに対し、口にするのがためらわれる。
 とはいえ、それを訊かないわけにもいかなかった。ハーフ・エルフは、実際にアルフリードという一人のエルフを殺害しているのだ。それを黙殺するわけにはいかない。
 シャルム=グランは思い切った。
「実は、ダーク・エルフたちがこの森に侵入した混乱に乗じまして、サジェスの《監視者》、アルフリードがハーフ・エルフによって殺されました。信用できる目撃者もおります。さて、問題になってくるのは、そのハーフ・エルフが、一体、何者であるかということです。調べましたところ、その殺害犯であるハーフ・エルフが、このイスタで育てられていたという話を耳にしました。果たして、嘘か誠か。それを族長であられるジェンマ様に確かめようと思いまして」
 シャルム=グランの口調は、追求というよりも、自然に確認するという感じになっていた。
 それからしばらく、室内に沈黙が降りた。ジェンマは目をつむり、何かを一考している様子だ。それに対し、シャルム=グランは声をかけられない。ひたすらジェンマの言葉を待った。
「ミシルが、か……」
 ようやくジェンマが言葉を漏らした。ミシルという名前は、サラフィンも口にしていた。ハーフ・エルフの名前に違いない。
「ご存じなのですね?」
 シャルム=グランは尋ねた。ジェンマの目が遠くを見つめたような感じになる。
「いかにも。幼くして、この集落に残されたあの子を育てようと決めたのは私だ」
 ジェンマは昔を回想しながら喋っているようだった。その顔はひどく老いたように見える。シャルム=グランとしては、見たくなかった顔だ。
「なぜ、そのようなことを? この森にエルフ以外の者を住まわせることは、掟で禁じていたではありませんか?」
 すべては掟だ。それを族長であるジェンマが知らないはずはない。
 またしばらく、ジェンマは黙りこくった。シャルム=グランは待つ。ジェンマから喋るのを。
 やがて、ジェンマはシャルム=グランに言った。
「ミシルは私の孫娘なのだ」
 と。
 それを聞いたシャルム=グランは、一瞬、意味が分からなかったが、徐々に頭に浸透していくと、驚きに表情を強張らせた。
「な、なんですと?」
 驚愕に声を裏返らせるシャルム=グランに、ジェンマは静かに繰り返した。
「ミシルは私の孫娘。この森を出て行った私の娘、クラウの子だ」



 思ったよりも早く、待っていたサラフィンとエスターたちのところへ、シャルム=グランが戻ってきた。その表情は心なしか青ざめて見える。
「ジェンマ様との話は終わりましたか?」
 サラフィンが尋ねた。だが、シャルム=グランは、サラフィンたちの存在に気づかなかったかのように、その場を通り過ぎかける。
「シャルム=グラン様?」
 もう一度、サラフィンは声をかけた。それでようやくシャルム=グランは我に返ったようだ。
「あっ……」
 シャルム=グランはバツの悪そうな顔を作った。その姿からは相手を威圧さえする威厳のようなものが消えてしまっている。まったくシャルム=グランらしさがなかった。
「どうされたのです?」
 不思議に思ったサラフィンが、さらに尋ねた。しかし、シャルム=グランは、「いや、別に」と言葉を濁す。
 実は、たった今、ジェンマの語った話に、シャルム=グランはひどくショックを受けていた。
 アルフリードを殺害したとされるハーフ・エルフ──ミシルは、ジェンマの娘であるクラウが残していった赤子だったという。
 シャルム=グランは、ジェンマの娘であるクラウを昔から知っていた。それこそ集落は違うが、一人の女性としてクラウを愛していたのである。自分が一人前になったら一緒になろうと、愛を告白したこともあった。そのときはやんわりと断られてしまったが、それ以後もシャルム=グランの愛情は変わらなかった。
 だが、やがてクラウは、シャルム=グランに何も言わず、森を出て行った。彼女は、かねてより偏狭なエルフの生活に異を唱えており、人間世界への興味を抱いていたのだ。クラウに去られたとき、シャルム=グランは彼女にも自分にも失望を禁じ得なかった。イスタの集落を訪れなくなったのは、それからである。
 そのクラウが森に戻ってきていた。自分が知らないうちに。それも娘を連れてだ。その子供は人間との間に産まれたハーフ・エルフだという。それもまた驚きだった。
 ところが、帰ってきたはずのクラウはまた去ってしまった。なぜ我が子をジェンマに預けなければならなかったのか、それは分からない。何か自分で育てられない事情があるのか。しかし、それよりもショックなのは、愛娘よりも人間世界を再び選択したことだ。
 それはともかく、この森にはクラウの娘がいる。アルフリード殺しの容疑をかけられて。その事実は、シャルム=グランの体を二つに引き裂こうというくらいの衝撃だった。
 サジェスの集落が壊滅してしまった現在、ミシルを裁くのは、その他の族長による賢人会議に委ねられるだろう。最初からミシルを犯人と決めつけ、厳罰に処すつもりであったシャルム=グランであるが、この秘密をジェンマから聞いてしまったがゆえに、今はその決心が鈍っていた。できれば、愛していたクラウの娘を裁くようなことはしたくない。例えそれがハーフ・エルフであっても。
「ジェンマ様からは事情を聞いた。ちょうど賢人会議が招集されるいい機会だ。そのことも含めて話し合われることになるだろう」
 一体、どのような答えが出るか。それはシャルム=グランにも分からなかったが、少しでも先延ばしにしたい気持ちがあった。
「私はこれからサラフィンと共に《千年樹》へ向かう。エスター、お前たちはラバの集落へ戻れ。ダーク・エルフの動きに気をつけるんだぞ。それからサジェスの火事についても、対処を怠らぬように」
 少しずつ、エスターたちに指示を出しながら、シャルム=グランはいつものらしさを取り戻していった。
「分かりました、父上。どうぞ、お気をつけて」
 エスターは了解すると、シャルム=グランの従者たちとラバの集落へ帰っていった。その後ろ姿を見送ってから、サラフィンがシャルム=グランを見る。
「《千年樹》へは、もう一人、同行することになります」
「ふん、あの人間だな?」
 それに答える必要もなく、イスタの出口にはひっそりと美影身が立っていた。ウィルだ。シャルム=グランは渋面を作る。ミシルのことを知っても、やはり人間は好きになれない。しかし、同行は拒まなかった。サラフィンの言うように、ウィルはエスクード王からの遣いなのだ。エルフ族がどのような決定を下すか、彼にはそれを知る権利がある。
「行こうか」
 ウィルは無表情のまま二人を促すと、イスタを出発した。賢人会議が行われる《千年樹》を目指して。


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