←前頁]  [RED文庫]  [「吟遊詩人ウィル」TOP]  [新・読書感想文]  [次頁→



吟遊詩人ウィル

冒された森

−29−

 ウィルとアッガスが空中戦を繰り広げていたとき、それを目撃したラバの集落は騒然となった。
 サジェスの集落を壊滅に追いやった火龍が、再び舞い戻ってきたことによって、イスタから離れたラバでも危機感を覚えたのである。しかも、族長であるシャルム=グランは、現在、イスタへ行っていて不在だ。皆が不安を募らせるのも無理はなかった。
 その騒ぎに、サジェスの《監視者》エムニムに姿を変えたロンダークが気づいた。ロンダークは族長の家で昏睡しているネーアに付き添っていたところだ。あまりにも外が騒がしくなったので、何事かと窓から首を出した。
 ラバのエルフたちが指差す方向を見ると、そこに炎の演舞が長く尾を引いているのが見えた。アッガスだ。その姿を見て、ロンダークは少なからず驚く。
 アッガスがサジェスの集落で暴れ回ったのは昨夜だ。そのときアッガスは自らの力を著しく消耗し、半死半生の状態になってしまった。ロンダークは、そのまま死んでしまうのかと思っていたほどだ。そのアッガスが一夜にして力を取り戻したというのは、にわかには信じがたい。
 しかし、イスタ上空を飛行する火龍は、間違いなくアッガスだった。さすがに、この距離では読心術でアッガスの心を読むことはできなかったが、その動きは果敢にイスタへ攻撃を仕掛けているように見える。だが、そのうち様子がおかしいことにロンダークは気がついた。
 あれだけアッガスが攻撃しているにも関わらず、イスタの集落からは煙のひとつも上がっていなかった。それが何を意味するのか。ロンダークは有り得ないことだと思ったが、どう考えてもアッガスの攻撃を阻む者が、あそこにいるということだった。
 アッガスの持つ火龍の力は、《神秘の森》に送り込まれた七人のダーク・エルフの中でも最強のものだとロンダークも認める。どのような者であろうとも太刀打ちできるとは考えにくい。現にサジェスの集落には大勢のエルフたちがいたが、奇襲の成功もあったものの、アッガスの圧倒的な破壊力の前に、呆気なく壊滅に陥った。それを踏まえれば、アッガスと互角──いや、ひょっとしたらそれ以上の敵がいるかもしれないというのは、驚愕に値した。
 そのとき、窓の外に気を取られていたロンダークは背後に気配を感じた。ネーアだ。いつの間に昏睡状態から目覚めたのか。まだ、完全に覚醒していない様子だったが、ふらふらとロンダークのいる窓際へやって来て、同じように外を見やる。
 ロンダークはネーアの顔を見た。彼女の顔に、ゆっくりと恐慌が訪れていく様を。
 多分、火龍となったアッガスを見て、昨夜の記憶が甦ったのだろう。燃え盛る故郷。殺害された兄。ネーアの身体は悪寒を覚えたかのように震え出し、自分の身を抱きしめるようにして、その場にしゃがみ込んでしまった。
 そんなネーアに、ロンダークはエムニムとして声をかけようと思ったが、外の様子が急変し、そちらに気を取られた。イスタの方向を見やるエルフたちの間から、「おおっ」というどよめきが起きる。
 アッガスの他に、もう一体の火龍が突如として現れた。それを目撃したロンダークは、先程の自分の推測が当たっていたらしいことに、複雑な心境を覚える。あのもう一体の火龍は、やがてロンダークの前にも立ちはだかる恐るべき敵かもしれない。死んだと思われるヒヒトとグノーを斃したのも、この未だ相まみえぬ相手である可能性が高いだろう。
 そんなことを考えているうちに、二体の火龍は正面からまともにぶつかり合った。一瞬、閃光が走る。眩しさに逸らした目を戻すと、一方の火龍がもう一方の火龍を喰らうようにしていた。どちらがアッガスで、どちらが敵であるか。なぜかそのとき、ロンダークには分かったような気がした。
 強き火龍が弱き火龍を屠った。バラバラにされた火龍は肉片の代わりに、大量の炎をイスタの上へと降り注ぐ。それでも火災が発生している様子はなかった。どうやら、イスタ全体が何かによって守られているらしい。これも敵の仕業か。だとすれば、相手は相当な魔法の使い手であると予想された。
 勝利した火龍は、その役目を終えたとでも言いたげに、スッとかき消えるようにしていなくなった。ロンダークはアッガスが斃されたことを決定づける。もし、生き残ったのがアッガスであれば、そのままイスタへの攻撃を続行していたはずだからだ。
 しばらくざわついていたラバの集落だったが、どうやら平穏な青空に戻ったようだと分かると、三々五々に散っていった。とりあえず脅威は去った。エルフたちはホッと胸を撫で下ろしている様子だった。
 反対にショックを受けていたのはロンダークだった。まさか、本当にアッガスを斃す者がいるとは思っていなかったからだ。この先、戦わなくてはならないときが来るかもしれない。それを想像すると、さすがのロンダークも背筋が凍った。
 そのロンダークと共に恐怖におののいていたのはネーアである。昨夜の悪夢を思い出した彼女は、ロンダークの足下でうずくまりながら唇を震わせていた。愛していた兄の死が何度も何度も脳裏に甦る。あのとき、一人で行かせてしまった後悔がネーアを苛ませた。
「ネーアさん」
 ロンダークは努めてエムニムになりきり、優しい声をかけた。ロンダークの計画に、ネーアはとても重要な役割を持つ。あのアッガスを斃すほどの敵がこの森にいると分かった以上、早急に事を進める必要があった。
「ネーアさん、大丈夫ですか? もう少し横になっていた方が」
 ロンダークが肩に触れると、ネーアは怯えるようにビクッとした。そして、エムニムそっくりのロンダークを見上げる。
「あなたは……」
 ロンダークはネーアの心を読んで、苦笑したくなった。ネーアはエムニムの顔を知っていたが、名前を知らなかったからだ。ロンダークが殺したエムニムは、一人でミシルを見張っていたときでさえ、ネーアのことばかり考えていたというのに。どうやらネーアにとっては、兄アルフリード以外の男性はまったく眼中にないらしい。
 だが、とりあえずネーアに警戒心を抱かれないことは幸いだった。こちらの話を信じ込ませやすい。ロンダークはネーアの心の動きを捉えながら喋った。
「オレはアルフリードさんの部下だったエムニムです。あの火事の中、倒れていたあなたを見つけて、このラバまで連れてきました」
「ラバ?」
 ネーアは改めて、室内を見回した。そして、おもむろに立ち上がって、外を眺める。
「サジェスのみんなは?」
「残念ながら……生き残ったのはオレたちだけです」
 ロンダークはエムニムになりきって芝居した。もちろん、ロンダークにとってはエルフが何百人、何千人死のうと関係ない。むしろ喜ばしいくらいだ。だが、今はエムニムというサジェスの生き残りである以上、そんなことは少しも見せない。
 それを聞いたネーアは悲嘆に暮れるかと思ったが、逆に怒りが涌いてきたようだった。窓の桟へかかる手に力がこもる。ロンダークはその怒りの矛先を別に向けようとした。
「ダーク・エルフも許せませんが、オレにはもっと許せないヤツがいます! あのどさくさに紛れてアルフリードさんを殺した、生意気なハーフ・エルフの小娘! よりにもよって、ネーアさんのお兄さんを殺すだなんて!」
 ロンダークがそう話すと、ネーアの中にアルフリードが殺される瞬間が甦った。
 記憶というものは曖昧なものだ。ネーアは実際に兄が殺されるところを見ていない。アルフリードの上に、血のついた槍<スピア>を持ったミシルが馬乗りになっていたのを目撃しただけだ。しかし、ミシルが兄を殺したという固定観念は、見てもいない光景を鮮明に記憶していた。
 それを覗き見したロンダークはほくそ笑む。自分の思惑通りだった。
「あの女はどこ?」
「さあ、ラバの人たちにも捜すのを手伝ってもらっていますが、まだ行方知れずです。多分、あの奇妙な風体のエルフが手助けしているのでしょう」
 それはネーアとミシルの間に割って入ったトーラスのことだった。その後、ミシルとトーラスが別行動を取るようになったことまで、ロンダークが知る由もない。
 ネーアは振り返った。
「エムニム、だったわね? お願い、私に力を貸して」
 そのとき、ネーアが何を考えているのか見通していたロンダークは、否もなくうなずいた。



 その数刻後、ラバの集落を後にしたネーアとロンダークは、灰燼と化したサジェスの集落に舞い戻っていた。
 火はまだ完全に消えたわけではなかったが、鎮火したところを選んでいくと、うまく集落の中心に至ることが出来た。そこはネーアとアルフリードの兄妹が二人で暮らしていた家があったところだ。すべては跡形もなく焼け落ち、炭化した家屋の残骸が無惨に散らばっている。まだ、猛烈な熱気がこもっており、ただ立っているだけでもクラクラした。
「兄さん……」
 ネーアは茫然と立ち尽くしていた。最初、アルフリードの遺体を捜したのだが、激しかった火災のせいか、発見することはできなかった。改めて、何もかもを一夜にして失ったのだと思い知らされる。しかし、彼女がこぼすべき涙はすでに涸れ果てていた。
 そんなネーアの後ろ姿を見ながら、ロンダークは彼女の悲しみが復讐心へと変わっていくのを楽しんだ。もっと憎め、もっと恨め。ネーアの怒りが、他のエルフたちを巻き込んだ争いへと発展することをロンダークは望んでいた。
 何か兄との思い出の品はないかと捜していたネーアだったが、瓦礫の下に一振りの剣を見つけた。短剣<ショート・ソード>だ。それは焼け跡のせいで触れないくらい熱くなっていたが、しっかりと原形をとどめていた。
 その短剣<ショート・ソード>が何であるか、ネーアは憶えていた。ミシルを捕らえたとき、アルフリードが持ち帰った短剣<ショート・ソード>だ。ミシルの所持品だという。一度、抜いて見せてもらったが、穢れた血を持つハーフ・エルフには似つかわしくないほどの美しい剣だった。
 ネーアは布で手をカバーしながら、短剣<ショート・ソード>を拾い上げた。鞘から剣を抜き放つ。
 それはいかなる製造法によるものか。まるでガラス細工のように透き通った刀身は、虹色に輝き、見る者を惑わせた。ネーアはこの短剣<ショート・ソード>につけられた《幻惑の剣》という名を知らない。ただただ、この剣でミシルの命を奪うことだけを夢想した。
「兄さんの仇、絶対に取るわ!」
 ネーアの眼が復讐心に燃えたぎった。
 ロンダークは、自分の策が着々と進行していることに対し、邪な笑みを浮かべるのだった。


<次頁へ>


←前頁]  [RED文庫]  [「吟遊詩人ウィル」TOP]  [新・読書感想文]  [次頁→