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吟遊詩人ウィル

冒された森

−30−

 半獣人のダーク・エルフ、バララギを撃退したミシルとイェンティは、イスタの集落へと向かっていた。もちろん、ミシルを送り届けるためだ。
 イェンティが森の動物たちのために設けた安全地帯からイスタの集落までは、半日もかからない距離だが、なかなか辿り着くことはできなかった。なぜなら、ミシルを護衛しているイェンティの傷は深く、小柄なミシルよりも遅れがちになっているからだ。
 ミシルはイェンティを振り返り、これまで何度も言ってきた言葉をまた発しようとして呑み込んだ。
 こんな状態のイェンティに同行してもらうのは、非常に申し訳なかった。ミシルは何度か、一人で大丈夫だとイェンティに告げたのだが、この老齢な森の王は頑として聞き入れなかった。ミシルを安全なイスタまで送っていく。それが自分の使命だと思っているようだった。
 しかし、バララギとの戦いで受けたダメージは目に見えて明らかであり、イェンティの足取りには力強さがなかった。早く休ませるか治療しないと、イェンティはもっと弱ってしまうだろう。ミシルは歩きながら思案した。
「ねえ、おじいさん、この辺で休まない?」
 ミシルはイェンティに声をかけた。イェンティがヒヒに似た顔を上げる。
「どうした、歩き疲れたのか?」
 実際のところ、ミシルはイェンティのペースに合わせてゆっくりと歩いていたので、そんなに疲れているわけではなかった。休憩を提案したのはイェンティを気遣ってのことだ。だが、イェンティにそれを言えば、自分は大丈夫だから先に進もうと主張するだろう。だからミシルは大仰に疲れたような演技をした。
「うん、ずっと歩きづめだったから。もう足が痛くて」
「そうか。では、少しだけ休むことにするかの」
 イェンティがそう言ってくれて、ミシルはホッとした。ミシルが木の根元に腰を下ろすと、イェンティも四肢を折るようにして座る。一度休んだイェンティは、それまで張りつめていたものがなくなったような感じで、全身から力が抜け、自然に目を閉じた。
 白い聖獣の傍らに座りながら、ミシルは頭上を見上げた。空は鬱蒼と生い茂る枝葉のせいで、半分以上、見ることは出来なかったが、そこからこぼれてくる光は暖かくやわらいだものだった。いつもの平和な森。とても恐ろしいダーク・エルフたちが侵入しているとは思えない。
 そう言えば、サジェスの集落へミシルの《幻惑の剣》を取りに戻ったトーラスはどうしただろうか。待っているように言われた場所から勝手に離れてしまい、心配しているかもしれない。しかし、今はこうしてイスタの集落へ向かっているのだ。無断で動いてしまったことでまた怒られてしまうだろうが、イェンティに助けられなかったら、今頃は黒豹に食い殺されていたかもしれないのだから、致し方あるまい。
 怒られると言えば、きっとサラフィンもミシルの身を案じているだろう。トーラスの叱り方は、一気にまくし立てるような感じですぐに終わるが、サラフィンは諭すように延々と言って聞かせるタイプだ。その長い説教を聞かされることを考えるとミシルは憂鬱になった。
 もっとも、そんな風にしてくれるのもサラフィンとトーラスの二人だけだ。この森でハーフ・エルフであるミシルを心配してくれる者など他にいない。二人がどれだけ自分を大切にしてくれるか、ミシルには分かっていた。
 このまま気持ちよく寝てしまおうかとミシルがくつろぎ始めた刹那、いきなりイェンティが立ち上がった。その顔はとても険しい。
「どうしたの?」
「何かがこちらに近づいている」
 イェンティには感じ取れるのだろうか。ミシルは尖った耳を立ててみたが、それらしい音すら聞き取れなかった。
「ワシらの方へ真っ直ぐ来る……それにこのスピード……速い!」
 イェンティの言葉にミシルは緊張した。こちらへ真っ直ぐ向かっているというところにイヤな予感がする。
「ヒヒジジーイ!」
 絞り出すような怒りの声に、ミシルもイェンティも聞き覚えがあった。そして同時に、それが何かの間違いではないかと思う。
 だが、そいつが姿を現したとき、ミシルたちは認めないわけにいかなかった。
 疾走してきた黒い影は、ミシルたちの目の前で止まった。ようやく捜していた二人を見つけ、邪悪な笑みがこぼれる。
 それはイェンティの雷吼弾を受けて滝壺に落ちたはずのダーク・エルフ、バララギだった。
「やっと追いついたぜ」
 バララギは報復の機会を得て、狂喜した。すぐにも襲いかからんと眼が血走っている。
「お前は……」
「生きてたの……?」
 ミシルとイェンティはそろって、信じられないという顔をした。
 あの断崖の高さから落ちて無事だとは。運良く死なないまでも、大ケガをしていてもおかしくないはずだ。それなのに、こうして追いかけてきたことは驚愕というしかない。目の前に立っている姿を見ても、バララギには少しのケガも見受けられなかった。
 そのバララギは、ミシルたちの驚く顔を見て満足そうだった。
「ハッハッハッ、オレ様は不死身だ!」
 得意げに胸を反らす。声も無闇にデカい。
「ならば、今一度、決着をつけるまで」
 ミシルの前にイェンティが進み出た。悲愴感すら漂わせている。
「おじいさん!」
 ミシルはイェンティが戦うのを止めようとした。しかし、目の前のバララギは決して煮え湯を飲まされた二人を容赦しないだろう。ここはやはりイェンティに任せるしかないのか。
 イェンティとバララギが対峙した。
 バララギはイェンティのまだ塞がっていない首筋の傷を診て、片方の眉を跳ね上げた。
「何だ、ヒヒジジイ。弱ってんじゃねーか?」
「それはどうかの」
 相手に弱味を見せまいとしつつ、イェンティはゆっくりと右に動いた。バララギもそれに合わすように右へ。両者はまるで弧を描くように移動し、ミシルに対して右と左に立つ格好になった。
 まるで申し合わせたかのように、イェンティとバララギの足が止まった。
 まず、イェンティが咆吼をあげた。魔法効果を持った王者の威風だ。
 普通の者であれば、戦わずしてこの咆吼の前にひれ伏す。だが、魔法抵抗力の高いダーク・エルフには効果が薄かった。
 バララギはせせら笑った。
「おいおい、それで吼えているつもりか? なってねえな。いいか、咆吼ってのはこうやるんだ!」
 そう言って、バララギは咆吼を浴びせた。イェンティのものよりも大きい。しかも相手に恐怖と服従をもたらす魔力が付与されていた。
 バララギの咆吼を聞いたイェンティは、四肢が萎えそうになるのを必死に堪えた。気力を振り絞る。少しでも気を許せば、バララギの前に屈服していただろう。
 バララギが発した咆吼は、どういうわけかイェンティの咆吼と同じ効果を持っていた。そのことにイェンティは疑問を抱く。ひとつの可能性が頭に浮かんだが、イェンティはそれを振り払った。
「じゃあ、そろそろ行きますか」
 戦いにうずうずした様子で、バララギが言った。と同時に、その肉体には変化が起こり、半獣人化していく。
 とにかく負傷しているイェンティとしては、戦いを長引かせるのは得策ではなかった。早めに勝負を決めないと、体力を消耗するだけだ。
 イェンティは自分から仕掛けた。バララギへ突進する。
「へへっ」
 バララギは嬉しそうな顔をすると、突然、姿を消した。イェンティの攻撃が鈍る。
「後ろ!」
 ミシルの声がした。イェンティが振り向くと、いつの間にかバララギに背後を取られている。
「何だと──!?」
 イェンティは舌を巻いた。バララギのスピードは捉えきれないほど、さらに速くなっていたのだ。
「トロいぜ、ヒヒジジイ!」
 イェンティの振り向きざま、バララギは間合いを詰めていた。膝蹴りがイェンティの首元にめり込む。
「がはっ!」
 イェンティはもんどり打って倒れた。首筋の傷がひどく裂ける。また血が噴き出した。
「おじいさん!」
 ミシルはイェンティの身を案じ、叫ばずにいられなかった。
「何だよ、もう終わりかい」
 たった一撃で相手が倒れてしまい、バララギはいかにも物足りなさそうだった。右足の甲で左ふくらはぎの辺りを掻きながら、あくびをしかける。
 だが、それは途中で止められた。イェンティが起き上がったからだ。
 起き上がったイェンティはフラフラだった。目も半開きの状態だ。グロッキー状態に近い。
 実際、首をへし折られて死んでいてもおかしくないくらい、バララギの攻撃は苛烈だった。もし、この場にミシルという守るべき存在がいなければ、イェンティはそのまま起き上がらなかっただろう。
 イェンティを立ち上がらせたのは、森の王としての使命感からだった。
「お、おじいさん……」
「ま、まだだ……」
「そうこなくちゃな」
 瀕死のイェンティを前に、バララギは残忍さを隠しもしなかった。
 イェンティは最後の力を振り絞った。バララギに向かって口を開く。白い毛が逆立ち、青白い電光が身を包んだ。イェンティの奥の手──
「雷吼弾!」
 一度はバララギを退かせた必殺の攻撃にイェンティは賭けた。エネルギーが収束する。
 次の刹那、青白い光球となった雷吼弾が発射された。
 だが、バララギは着弾する寸前に跳躍し、イェンティの奥の手を回避した。雷吼弾は地面のみを吹き飛ばす。
「同じ手を二度も喰らうか!」
 バララギは空中で歯を剥き出しにした。そして、眼下のイェンティに向かって、大きく口を開ける。
 パリパリパリパリ……!
 逆立ったバララギの髪が青白く帯電した。イェンティとミシルの目が驚愕に見開かれる。
「お返しだ! 雷吼弾!」
 バララギから巨大な雷吼弾が発射された。


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