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吟遊詩人ウィル

冒された森

−31−

 ドォォォォォォォォン!
 鼓膜が破れそうなほどの爆発音と眩い閃光が炸裂した。
 ミシルはバララギの放った雷吼弾の余波を受けて、大きく吹き飛ばされた。左肩を打つようにして、地面に叩きつけられる。その上へ雨のように土砂が被さってきた。
 ショックに気が動転したが、ミシルはすぐさま起き上がろうとした。イェンティはどうなったのか。その無事を確かめようと慌てた。
 土煙が舞っていたが、その向こう側に白いシルエットが透けて見えた。イェンティだ。しかも、四本の脚でしっかりと立っている。
「おじいさん!」
 返事はなかったが、イェンティが無事であるらしいと分かり、ミシルはホッと胸を撫で下ろした。それにしても、どうしてバララギの攻撃は当たらなかったのか。今のイェンティに回避は難しかったはずだ。
 どうやらイェンティもそれを不思議に思っているようだった。かなり弱っているが、辺りを見回す仕種をしている。
 ようやく土煙が晴れると、逆に地面へ這うような格好をしているバララギの姿を見つけることが出来た。それもなぜか、バララギの全身は水を浴びたようにびしょ濡れになっている。その顔は屈辱に満ちていた。
「誰だぁ! オレ様の邪魔をしやがったヤツは!」
 バララギは後方を振り返るようにして怒声を上げた。ミシルたちとは反対の方向だ。
 次の刹那、ミシルの目が見開かれた。
「勝手に森へ入ってきたヤツが何をほざきやがる。招かれざる客のクセに。文句があるなら、オレが相手になってやるぜ」
 ミシルたちがやって来た方向から、一人のエルフが現れた。長槍<ロング・スピア>をまるでカカシのように担ぎ、飄々とした足取り。ミシルはそのエルフの顔を見て、よく駆けつけられたものだと思い、涙を込み上げそうになった。
「トーラス」
 それはミシルの幼なじみであり、イスタの腕利き《監視者》のトーラスだった。トーラスはミシルに一瞥を向ける。
「まったく、動くなって言ったのによぉ」
 トーラスは不満そうに口を尖らせた。ミシルの足跡を追ってここまで来たのは、決して簡単ではなかったからだ。しかも現場には争った形跡が残され、そこから足跡はミシルの他に得体の知れない獣のものが連れ添い、さらに途中でもう一名の足跡が加わっているという複雑な状況だった。この正体不明の一匹と一名がミシルに危害を加えるものなのか、どうなのか。最悪の可能性を考えると、追跡していたトーラスは気が気じゃなかった。
「いろいろあったのよ」
 言われっぱなしはミシルの性分に合わない。何とか弱々しい抵抗を試みた。
 だが、トーラスは、
「言い訳なら後で聞いてやる。今はちょっと下がってろ」
 と、ミシルににべもなく言った。
 とはいえ、こうして何とかミシルの窮地に駆けつけることが出来たのは、トーラスにとって僥倖だった。ミシルを助け、ダーク・エルフを片づけられれば、一石二鳥だ。サジェスの近くで一人取り逃がしているだけに、名誉挽回もできる。
 トーラスは担いだ長槍<ロング・スピア>を右肩で回転させるようにして、手に持ち替えた。穂先を半獣人のダーク・エルフ、バララギに向ける。
「さあ、そんな傷ついた動物や女ばかりを相手にしてないで、オレにかかってこいよ。それともダーク・エルフは、自分よりも強い者とは戦わない主義なのか?」
 トーラスに挑発され、血の気の多いバララギが黙っていられるはずがなかった。濡れた顔を手で拭うと、牙を剥き出しにして、怒りの咆吼を上げる。精神的脅威を与える魔法効果の咆吼だ。
 それを真っ向から受ける形になったトーラスだが、何とかレジストに成功した。まるでそよ風でも吹いたのかと平静さを崩さず、すぐさま呪文の詠唱に入る。
「ポルムカ!」
 長槍<ロング・スピア>の先端から、凄まじい勢いで水が放出された。白魔法<サモン・エレメンタル>のひとつである。特にトーラスは水系の魔法が得意だ。
 発射されたのは何の変哲もない水だが、それも水圧次第ではかなりの殺傷能力を持つ。先程、バララギの雷吼弾発射を逸らしたのも、この魔法の仕業だった。
 今度は不意打ちでなかったので、バララギは放水を避けることが出来た。だが、トーラスの人を食ったようなやり口は、バララギの怒りを募らせる。そのままトーラスへ駆け出した。
「勝手に横から割り込んで来やがって! そんなにてめえから死にてえのかよ!」
 バララギの鋭い爪が閃く。トーラスはそれを長槍<ロング・スピア>で受けた。
 ガッ!
 食い込んだ爪は目の前。トーラスはバララギを押し返し、相手の体勢が崩れたところを長槍<ロング・スピア>で突いた。
 しなやかな身のこなしのバララギは、トーラスの攻撃を難なく避けた。そして、間髪を入れず、再び仕掛ける。
「往生しな!」
「──っ!?」
 トーラスの目前で、突然、バララギの姿が消えた。いや、そのように見えたのだ。
 実際には、バララギは持ち前のスピードを活かし、トーラスの死角へと回り込んでいた。トーラスはついていけない。
 今度こそ、トーラスを仕留めようとしたバララギであったが、眼前にいきなり長槍<ロング・スピア>が突き出され、たたらを踏んだ。トーラスはバララギを見ないまま、長槍<ロング・スピア>を操ったのである。それは槍使いとしての高い技量と、戦士としての鋭敏な勘がなせる技だった。
 思いもしなかった長槍<ロング・スピア>の動きに、バララギは肝を冷やしつつ、またしてもトーラスから間合いを取るはめになった。悔しさに歯を軋ませる。それと同時に、このエルフの《監視者》が決して侮れない相手であることを思い知らされた。
「やるじゃねえか」
「そっちこそな」
 うまくバララギを牽制できたトーラスだが、そのスピードは脅威と言えた。一歩間違えれば、バララギの爪に引き裂かれていたところだ。
 バララギもまた、トーラスの変幻自在な槍捌きに、なかなか懐へ飛び込む隙を見出せないでいた。何と言っても、あのリーチのある長槍<ロング・スピア>は厄介だ。
 トーラスとバララギが戦っている間に、ミシルはイェンティの元へ駆け寄った。ミシルが診たところ、イェンティの傷はひどい。それでも森の王者は雄々しく立ち続けることを選んでいた。
「あの若いの、なかなかやるじゃないか。昔のシャルム=グランを思い出す」
 トーラスの戦いぶりを見て、イェンティは現在のラバの族長の名を口にした。槍と弓。もちろん、その違いはあるが。
 しかし、ミシルにとっては身内のようなトーラスを、そんな風に感心して見ていられなかった。第一、相手は半獣人のダーク・エルフ、バララギだ。滝壺に落ちても、こうしてミシルたちを追いかけてきた、その執念と凶暴さは身に沁みて分かっている。そんな相手と戦っているトーラスがとでも心配でならなかった。
 しばらく相手の出方を窺っていたトーラスたちだったが、先に業を煮やしたバララギが勝負に出た。鋭い牙の並んだ口を大きく開ける。
「間合いに踏み込めないなら、この距離でやってやる! 喰らえ! 雷吼弾!」
 急速に青白い光球が作り出され、バララギの雷吼弾がトーラス目がけて発射された。今度は邪魔されない。
「トーラス!」
 ミシルが悲痛な声を上げた。
 次の刹那、再び大きな爆発が生じ、トーラスが立っていた場所を吹き飛ばした。地面に巨大なクレーターが出来る。トーラスの姿は跡形もない。
「ハッハッハーッ! ざまあみろ!」
 バララギはトーラスを仕留めたと確信し、歓声を上げた。ミシルはがっくりと膝を折る。
「ウソ……」
 呆気なくトーラスがやられてしまい、ミシルはショックに打ちひしがれた。頭の中が真っ白になる。
 しかし、イェンティだけはトーラスがやられていないことを見抜いていた。
「大丈夫じゃよ、お嬢さん。あの若いのは、そう簡単にくたばらんて」
 イェンティに言われ、ミシルは顔を上げた。勝ち誇っていたバララギも、周囲の異変に気づく。
 いつの間にか、白い霧がたちこめていた。森の緑がぼんやりと霞む。
「どうした、オレはこっちだぜ」
 と、いずこからかトーラスの声。
 バララギはどちらから聞こえてきたのか察知すると、目視する前に爪を振るった。間違いなくその場に立っていたトーラスの姿を斬り裂く。
 だが、手応えは皆無だった。トーラスの姿も幻のようにスッと消えてしまう。
「幻影だと!?」
 訝しげにバララギが眉を吊り上げた。
 ふっとバララギを取り囲むようにして、八人のトーラスが現れた。
「いや、幻であると同時に実体でもある。名付けて、《万槍幻霧陣》」
 八人のトーラスが異口同音に喋った。バララギは狼狽する。無理もない。声は八方から聞こえた。
「バカな……」
「これで終わりだ」
 バララギに対して、八本の長槍<ロング・スピア>が突き出された。


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