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吟遊詩人ウィル

仮面の魔女

−33−

 マーベラスを失ったザカリヤの嗚咽は、いつまでも続くかに思えた。冷酷非情と噂されたかつての盗掘王も、手塩にかけて育てた養女の末路に涙している。この男にも情というものが通っていたのかと、ヴァルキリーは初めて知った。
「お前は間違った」
 ウィルが突き放すように言った。そして、改めて“移送の扉”を見やる。
「『この扉に触れる者は、この扉を必要とする者でなくてはならない』――彼女では不足だったのだ」
「だ、黙れっ!」
 ザカリヤは声を絞り出すようにしてウィルを制した。目は涙で真っ赤になっている。ザカリヤが乗る魔法の安楽椅子<マジック・チェア>も床すれすれにまで降りていた。
「貴様らだ! 貴様らがわざと罠を作動させるよう仕向けたのだ!」
 それは言いがかりに過ぎなかった。ヴァルキリーが訳したルーン文字の意味をザカリヤが勝手に解釈し、マーベラスに“遺跡の扉”を開けさせたのだ。
 しかし、このことを誰かのせいにしなければ、ザカリヤの気は治まらなかっただろう。愛情のすべてを注いできた養女が、自分のせいで命を落とすことになったというつらい現実を受け止めるには、老いさらばえ、心技体の何もかもが弱り果ててしまっていたザカリヤにとって酷としか言いようがない。
「おおっ、マーベラス……帰って来ておくれ、マーベラス……」
 老人は何度もマーベラスの名を呼んだ。もちろん、そんなことをしても異界へ飲まれたマーベラスが戻ってくるはずもない。それは取り返しのつかない過ちだったのだ。
 アルコラ、スカルキャップ、ジョーと斃れ、ヴァルキリーが離反した今、とうとうザカリヤは独りになってしまった。しかも身体は満足に動かず、魔法の安楽椅子<マジック・チェア>の上に座ることしかできないという、かつて盗掘王と恐れられた面影はない。事実上、ザカリヤの遺跡探索はここで終わったと言えた。
「もういいわ、ザカリヤ。あとは私たちが――」
 ヴァルキリーが慰めの言葉をかけようとしたとき、ザカリヤの顔がこちらを向いた。そのとき光った眼光の鋭さ。それはとても死の訪れを待つ老人のものではなかった。
「させぬ……」
 呪詛のような恨みのこもった声が薄い唇から漏れた。まるで亡者が発するがごとく。それを聞いたヴァルキリーは、背筋にゾクッと冷たいものを感じた。
「お宝はワシのものじゃ……誰であろうと渡しはせぬ……」
 死に瀕した老人にしては、人をたじろがせるほどの鬼気をはらんでいたが、それだからといって実際に何ができるというのか。仮に魔法の安楽椅子<マジック・チェア>に仕掛けられた隠し矢の発射ボタンを押せるにしても、それよりも速くウィルは魔法の呪文を唱え、ザカリヤの息の根を止めてしまうだろう。どのような抵抗も無意味であった。
 しかし、まだ闘志だけは、この老人から絶えていなかった。むしろ、マーベラスを失った逆恨みを糧にして、最後の炎を燃やしていたのかもしれない。
「邪魔者は……始末する……それがこの……ザカリヤのやり方……だ……」
 来る、とヴァルキリーは身構えた。ザカリヤの指先が、震えながらボタンへ伸びる。
 だが――
 次の刹那、ザカリヤが座っていた魔法の安楽椅子<マジック・チェア>が浮力をなくしたように落ちた。落ちた角度がいけなかったのか、ザカリヤの身体が前へ放り出される格好になる。ザカリヤは手さえ着くことができず、そのまま顔から床に倒れた。
 突然のことに、ヴァルキリーは何も言えなかった。倒れ込んだザカリヤは、お尻を高くした不格好な姿勢で、ピクリとも動かない。ひょっとすると死んでしまったのかと、ヴァルキリーは疑った。
「ザ――」
「待て」
 容態を確かめようとしたヴァルキリーをウィルが非情にも止めた。相手が相手だけに警戒しているのだろうか。ヴァルキリーは倒れたザカリヤに何か異常がないか見つめた。
 だが、いくら待っても、ザカリヤに動きはなかった。こちらを油断させるための演技などではない。やっぱり息を引き取ったのかと、ヴァルキリーは判断した。今思えば、あのような健康状態でよく過酷な探索行に挑んだものだと畏敬の念さえ抱きたくなる。これも妄執が為せる業なのだろうか。
「ウィル、彼を――」
「見ろ」
「――っ!?」
 どうにかして弔ってやろうと提案しかけたヴァルキリーは、ウィルに促されてギョッとした。死んだとばかり思っていたザカリヤの頭が微かに動いたのだ。
 ザカリヤはまだ死んでいなかったのだろうか。自分の早合点だったかと反省しかけたヴァルキリーであったが、ザカリヤの動きは奇妙であった。手を使うことなく、頭だけがゆっくりと持ちあがって行く。やがて腰がピンと伸びると、膝立ちの格好で止まった。
 その動きだけでも気味が悪かったが、さらに異様さを覚えずにいられなかった。ザカリヤは白目を剥いており、口許も明らかに弛緩している。死んでいるようにしか見えなかった。
「な、何なの……?」
 さすがのヴァルキリーも、若干、声に震えが混じった。ザカリヤは死んでいる。間違いない。なのに、どうして起きあがったのか。
「朽ち果てたか……まあ、長く保った方だろう……」
 唐突にザカリヤは喋った。唇はほとんど動いてない。まるで死者の唇を借りているような、そんな不気味さがあった。
 このおぞましい現象を前にしても、黒衣の吟遊詩人は少しも動じなかった。冷然とした眼差しをザカリヤに注ぐのみだ。
 ザカリヤはフラフラしながらも二本の脚で立った。そんな姿を見るのはヴァルキリーも初めてだ。この男は魔法の安楽椅子<マジック・チェア>なしでは動けぬ重病人のはずではなかったか。
 しかし、確かに上体は今にも倒れそうなくらいヨタヨタとしていたが、ザカリヤは立ち続けた。すると、ヴァルキリーの注意を惹いたのは、そのザカリヤの腹部である。痩せた身体とは対照的に、まるで妊婦のように突き出た腹がモゾモゾと動いたのだ。まるで腹の中を何かが蠢いたかのように。
「おあつらえ向きに、新たな肉体もあるようだし……そろそろ移らせてもらおうか……」
 何の抑揚もなく喋るザカリヤに、ヴァルキリーは薄気味悪さを感じていた。いや、目の前にいるのは、すでにザカリヤではないのかもしれない。
「あ、新しい肉体って、どういう意味?」
「オレたちのことだろう」
 ザカリヤの代わりに、ウィルが答えた。怜悧な目が刃のような鋭さを増す。
「どうやらヤツは、とんでもないモノを飼っていたようだ。――いや、巣食われていた、というべきか」
「ど、どういうこと?」
 ヴァルキリーは説明を求めた。ウィルのマントをつかみたい衝動に駆られるが、仮面の魔女の名において、かろうじて堪える。
「おそらく、ヤツの腹にいるのは寄生獣だろう」
「寄生獣――」
「ああ、人間や動物の体内に寄生する化け物だ。寄生獣は人間の身体を通して、喋ったりすることもできるらしい」
 ヴァルキリーも知識としては知っていた。いわゆる寄生虫に似ている。どちらも宿主に害を与えるということに変わりはないが、寄生獣はその意識や行動までも乗っ取ることができるのだ。重病人のザカリヤがこうして立ちあがったのは、寄生獣が肉体を支配しているために違いなかった。
「よく分かったな……その通りだ……」
 寄生獣に操られたザカリヤは笑った。表情筋が動いていないので、まるで腹話術のようだ。
 正体が分かれば、ヴァルキリーも臆してはいなかった。ザカリヤの寄生獣に質問をぶつける。
「それでは、今まであなたがザカリヤを操っていたの?」
「いいや……こちらもこんな肉体を操るのは難しい……意識も本人のものだった……」
「何のために? どうして宿主の自由にさせたの?」
「肉体はままならないが、この宿主の中はとても快適だった……力をつけるのに持って来いだった……」
「どういうこと?」
「聞いたことがある。とあるところでは病気の治療に特別な寄生虫を使う、と」
 口を挟んだのはウィルだった。吟遊詩人ゆえの博識なのだろうか。初めて聞く話に、さすがのヴァルキリーも舌を巻くほどだ。
「寄生虫が患部だけを食べ、病人を治すらしい。この寄生獣はそれと同じなのだろう」
「ほう、見事だな……」
 寄生獣はザカリヤの口を借りて賞賛した。もちろん、そんなことをされても美しき吟遊詩人はニコリともしない。
「この宿主は延命のために必死だった……危険だと分かっていても……」
「自ら寄生獣を飲むことにしたのだな」
「じゃあ、ザカリヤは快方に向かっていたの?」
「いや……病は全身に及んでいた……それを食べればどうなるか……言うまでもないだろう……」
「………」
 少しは寿命を延ばせたのかもしれないが、どの道、ザカリヤに助かる術はなかった。それでもこの方法にすがったのは、この遺跡へ挑むためだったのかもしれない。
 しかし、それにどんな意味があったのだろう。ヴァルキリーは問わずにいられない。例え、お宝を見つけようと、あるいは名声を得ようと、死んだらそれらを墓の中に持って行くことはできないのだ。それとも多くの人間が持つ、死への恐怖、生への渇望がそうさせたのだろうか。
「さあ、お前たちの肉体を渡してもらおうか……今度の器は若いだけに、長く巣食っていられそうだ……」
 ザカリヤの腹部がモゾモゾと動いたかと思うと、それは突如としてせりあがって来た。体勢が前屈みになり、まるで嘔吐でもしそうになる。
 次の刹那、二人の前に寄生獣がその姿を現した。


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