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吟遊詩人ウィル

仮面の魔女

−34−

 まず、何よりも驚かされたのは、人間の口がこれほどにも大きく開くのか、ということだった。ザカリヤの口は限界まで開かれ、今まさに、その奥から何かが現れようとしている。最初、ハサミのようなものが出現した。
 それを見たヴァルキリーは、一瞬、ジャイアント・スコーピオンを思い出した。ハサミはひとつだけではなく、ふたつ目も現れる。もう、この時点で入口となるザカリヤの口はいっぱいで、とてもではないが中のものが出て来られそうにもなかった。
 するとザカリヤの腹の中に巣食っていた寄生獣は強引な手段に訴えた。ハサミのついた腕が左右に押し開かれると同時に、それにともなってザカリヤの頭が倍に膨れ上がる。骨が軋む嫌な音が響いていた。何が何でも出ようというのだ。
 思わずヴァルキリーは、やめて、と叫びたくなった。次に起きようとしている凄惨な場面が予想され、反射的に目を背けたくなる。だが、ヴァルキリーはなぜか凝視し続け、ザカリヤの頭が爆ぜる瞬間まで目撃してしまった。
 それはザクロのように割れた。血と脳漿が飛び散り、べっとりと周囲を朱に染める。むせかえるような腐臭が撒き散らされ、吐き気を催しそうになった。
 頭がなくなったザカリヤから、奇妙なものが立ちあがっていた。それは一見、ひとつ目をしたヤドカリのようだ。しかしながら、ヤドカリと決定的に違うのは胴体で、まるでムカデのように長く、なおも後ろの部分はザカリヤの中に潜ったままだった。
「これが寄生獣か。オレも初めて見る」
 常人ならば卒倒ものの光景を目の当たりにしながら、眉ひとつ動かさずにウィルが言った。感嘆だろうか。口を押さえているヴァルキリーには、この吟遊詩人の感覚が信じられない。
 寄生獣の背中にはトンボの翅のようなものがついていた。それが空中に浮かび上がらせ、細長い胴体を支えている。今やザカリヤの背丈の四倍以上にまで伸び、まだ胴体を引きずり出していた。
 寄生獣のひとつ目がウィルとヴァルキリーを見下ろした。そこだけが妙に人間めいていて、ヴァルキリーはぞくりとする。ザカリヤを介して喋ることができなくなっているが、寄生獣はどちらを新たな宿主に選んだのだろうか。
 いきなり、寄生獣は襲いかかって来た。急降下だ。ウィルとヴァルキリーは、それぞれ左右に分かれた。
 避けられた寄生獣は、床すれすれで浮上すると、天井近くまで上がった。長いムカデのような胴体が無数の脚を蠢かせながら延々と続く。よくぞザカリヤの腹の中にこれだけのものが入っていたものだと、感心したくなるほどであった。
「ディノン!」
 黙って肉体を提供するつもりのないヴァルキリーは、寄生獣へマジック・ミサイルを発射した。全弾三発が寄生獣の目の付近へ命中する。しかし、寄生獣は魔法抵抗<レジスト>したのか、少しもひるんだ様子を見せなかった。
「ならば、これはどう!? ――ヴィド・ブライム!」
 さらに強力な攻撃魔法を浴びせようと、ヴァルキリーはファイヤー・ボールを使った。これも命中し、爆発で天井が真っ赤に染まる。いくら魔法に対する抵抗力が高くても、この直撃を受けてはひとたまりもないだろう。
 ところが、爆発の中から寄生獣は飛び出してきた。一直線にヴァルキリーへ襲いかかる。間一髪、ヴァルキリーは身を躱したが、それよりもファイヤー・ボールが通用しなかったことにショックを受けた。
「ウィル、こいつ――」
「任せろ」
 美しき吟遊詩人はあくまでも冷静だった。そして、彼には魔法の他にも武器がある。
 ウィルは《光の短剣》を抜いた。伝説の《聖刻の護封剣》だ。刀身が仄かに青白く光った。
 寄生獣もまた、ウィルに狙いを定めたようだった。一気に加速する。
 敵が目の前に迫った瞬間、ウィルは《光の短剣》で斬りつけた。ところが寄生獣は、寸でのところで方向転換する。そのままムカデのような胴体が流れるようにしてウィルにぶつかってきた。
 カカカカカカカカカン!
 寄生獣が持つ無数の脚が《光の短剣》によって受け止められると、まるでたくさんの剣が打ちかわされたような音がした。それを聞いたヴァルキリーは、寄生獣の脚そのものが鋭い刃物のようになっていると気づく。寄生獣の胴体は、まるで変幻自在なノコギリのようなものだ。
 寄生獣は次第にスピードを上げた。それによって刃物のような脚の殺傷能力が増す。しかも、その胴体は信じられないくらい長大で、部屋を幾重にも取り巻いていた。
 もしも広いところで戦えれば、これほど神経を使わずに済んだであろう。しかし、限られた空間の中では逃げ場はない。スピードを増し、縦横無尽に飛び回る寄生獣を回避するのは次第に困難になっていった。
 ヴァルキリーは身の軽さを生かして寄生獣から逃れたが、その包囲網は徐々に狭められており、捉えられるのも時間の問題だった。それはウィルも同様だ。時折、《光の短剣》を振るっているが、それも互いを弾くだけで効果はない。
 ついにウィルとヴァルキリーは、ぐるり、と寄生獣に囲まれた。その輪がギュッと小さく締められる。その刹那、二人はまるで目配せでもしたかのようにジャンプし、同時に同じ呪文を唱えていた。
「ヴィム!」
 黒と白の魔術師たちは浮遊術でピンチを脱することに成功した。これにより、床上で立ち回るよりは、空間の隙間を生かし、回避運動を存分に取ることができる。縦横無尽に飛べるのは、何も寄生獣だけではないのだ。
 床の上では二人の代わりにザカリヤの死体が輪切りにされていた。タイミングを誤っていれば、ヴァルキリーたちも同じ末路を迎えただろう。
 そのとき、ヴァルキリーの頭に起死回生のアイデアが浮かんだ。
「ウィル!」
 ヴァルキリーは再び床近くへ降下しながらウィルを呼んだ。彼女を見て、ウィルもその意図を汲み取る。二人は並んで寄生獣を待ち構えた。
「来たわ!」
 寄生獣は正面から突っ込んできた。ギリギリまで引きつける。ヴァルキリーは再びファイヤー・ボールを発射した。
「ヴィド・ブライム!」
 至近距離で爆発が起きた。だが、その程度では寄生獣に通用しない。またしても魔法抵抗<レジスト>で、ファイヤー・ボールをものともしなかった。
 しかし、ヴァルキリーが目論んだのは、ショート・レンジでの魔法攻撃ではなかった。切り札は彼女たちの後ろにあったのだ。
 すなわち、“移送の扉”。
 爆発を突き破った寄生獣は、目の前から獲物がいなくなっていることに気づいた。代わりにあったのは部屋の中央に据え置かれた“移送の扉”だ。ウィルとヴァルキリーはこれを背にして、寄生獣を待ち受けたのだった。
 “移送の扉”へ突っ込みそうになり、寄生獣は避けようとした。しかし、それには少し遅すぎたと言わざるを得ないだろう。ヴァルキリーのファイヤー・ボールが目くらましとなり、寄生獣はまんまと謀られたのだ。
 寄生獣は“移送の扉”に激突した。その弾みで扉が開く。マーベラスのときと同じく、その向こうには暗黒の空間が広がっていた。“移送の扉”に仕掛けられた罠<トラップ>が作動したのだ。
 ゴーッと風が唸り、“移送の扉”が寄生獣を吸い込み始めた。寄生獣は懸命に翅を動かし、その力に抗おうとする。しかし、ムカデのような胴体は中へと飲まれた。
「どこまで抵抗できるかしら?」
 “移送の扉”から離れたヴァルキリーとウィルは、その様子を見守った。異界へ飛ばされてしまえば、寄生獣もこの世界に戻って来られないだろう。ザカリヤの死体を見たとき、その近くにあった“移送の扉”が目に入り、思いついた奇策だった。
 思ったよりも簡単には、寄生獣も吸い込まれはしなかった。徐々に“移送の扉”から離れようとしている。だが、その胴体はあまりにも長過ぎて、全部を外へ出すことは不可能だった。
 やがて罠<トラップ>の作動時間が終わったのか、扉が自動的に閉まり始めた。このままなら寄生獣は“移送の扉”に挟まれて、胴体が千切れるか、身動きが取れなくなるだろう。ウィルはすぐさま斬りかかれるよう身構えていた。
 ところが寄生獣は思いもよらぬしぶとさを見せた。なんとムカデのような胴体をくるくると巻き取ったのである。扉が閉まったのは、寄生獣が決死の脱出を遂げた次の瞬間だった。
 これにはヴァルキリーも驚き、声が出なかった。まさか、このような方法があろうとは。胴体を器用に丸めた寄生獣は、今度はそれを勢いよく伸ばす。ムチのようにしなった一撃はヴァルキリーに襲いかかった。
 すぐさま空中へ逃げつつ、ヴァルキリーはどうしたら寄生獣を仕留められるか考えた。魔法でダメージを与えられない。そして、何よりも厄介なのは、ほぼ全身が武器となっていることだ。頭が弱点なのは間違いないが、とにかく素早すぎる。ヴァルキリーはチラリとウィルを見た。
「何かいい手はないの?」
「ない」
「あっさり言わないでもらえるかしら」
「では、こういうのはどうだ」
 ウィルはいきなりヴァルキリーへ向かってきた。いきなりのことにヴァルキリーは驚く。二人は空中で接触し、まるで抱き合う格好になった。
「ちょっ……!」
 ヴァルキリーはドギマギした。もしも、こんな死闘の最中でなければ、美しき吟遊詩人の顔を間近にして恍惚となっていただろう。素顔を仮面で隠してはいても、ヴァルキリーも女だ。ウィルの魔性めいた魅惑には抗えない。
 しかし、ウィルが突然そのような行動を取ったのには理由があった。
「――では、頼むぞ」
 耳元で何事かを囁いたウィルは、ヴァルキリーから離れると、自ら寄生獣へ立ち向かっていった。《光の短剣》が輝きを強める。正面から寄生獣の頭を狙うつもりだ。
 寄生獣は方向を変えた。代わりに横滑りした胴体がウィルに迫る。だが、それをあらかじめ読んでいたウィルはあっさり躱すと、すぐに寄生獣の頭を追いかけた。横に並びかけて飛ぶ。寄生獣がそれを嫌がっても、くっついていった。
 その様子を少し離れたところから見ていたヴァルキリーは、ハッと我に返った。息遣いが聞こえるほどの間近でウィルを感じ、つい陶然としていたのだ。
「まったく、何をするのかと思えば……」
 顔の火照りを恥ずかしく思いつつ、ヴァルキリーは改めて精神を集中させた。邪念を振り払う。多分、チャンスは一度。ヴァルキリーはウィルから託されたのだ。
「行くわよ。――ヴァイツァー!」
 ヴァルキリーは風の上位精霊ジンを呼んだ。密閉された空間に突風が吹き荒れる。その力を寄生獣に向って思い切り叩きつけた。
 横殴りの強風は飛行中の寄生獣を吹き飛ばした。攻撃魔法は通用しなくても、これにはさすがの寄生獣も抵抗できない。煽られるようにして、壁に激突した。
 その不意討ちに乗じて、ウィルが寄生獣の頭めがけて突っ込んだ。いや、実際にはウィルも横風を受けて吹き飛ばされたのだ。もちろん、この瞬間を狙って。
 壁に叩きつけられた寄生獣は、ウィルの《光の短剣》を避けられなかった。無論、胴体で防御することもできない。唯一、生々しさを持ったひとつ目が、まるで信じられぬとでも言いたげに見開かれていた。
「これは読めなかっただろう。アクシデントのようなものだ」
 ウィルは《光の短剣》を深々と寄生獣に突き刺しながら静かに呟いた。


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