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《光の短剣》が引き抜かれると、壁に押しつけられるようにして絶命した寄生獣は、そのままずるずると床へ落ちた。ひとつ目から光が失われ、白く濁っていく。あれだけ厄介だったムカデのような胴体も、微かな痙攣を残すのみだ。
強敵の死を目の当たりにし、ヴァルキリーはホッと息をついた。ウィルから授かった作戦とは言え、発動させるタイミングが難しかっただけに、自分でもうまく行ったことに驚いている。片や、《光の短剣》を収めたウィルは、相変わらず死闘の名残などまるで感じさせなかった。
「終わったのね」
「いや」
ヴァルキリーの言葉に、ウィルは不吉な返答をした。まさか、と思って寄生獣を見る。だが、動く気配はなかった。
「そっちではない」
「じゃあ、何だって言うのよ?」
この説明不十分の吟遊詩人にイライラさせられながら、ヴァルキリーは尋ねた。
するとウィルは部屋の入口を振り返る。
「どうやら来たようだ」
ヴァルキリーもそれにならうと、入口の扉が軋みながら開いた。誰もいない。いや、視線を下げると、扉を開けた者がいた。
「――っ!? アルコラ!?」
それは這いつくばった格好になっていたが、見覚えのあるフード付きのローブは、まさしくアルコラのものだった。生きていたのか。てっきり暗闇の部屋で奈落の底へ落ち、ヴァルキリーたち一行の最初の犠牲者になったものと思っていたのに。
アルコラは歩けないのか、やっとの思いで這いながら、部屋の中へ入って来た。ヴァルキリーは助けてやろうと近づきかけるが、アルコラの手を見て、足が止まる。アルコラの手の肌は黒かった。
「あ、アルコラ……」
常にローブを身にまとい、頭はもちろんのこと、手すらも露出を拒んできたアルコラである。ヴァルキリーが思わずギョッとしたのも無理はなかった。
「ど、どうしたの、その手――?」
転落と関係がある、とは思えなかった。何かの病気なのかと怪しむ。
すると、ウィルが無頓着とも言える足取りで、這いずるアルコラに近寄った。そして、いきなりフードをむしり取る。
「この男は人間ではない。ダーク・エルフだ」
ウィルの言う通り、アルコラは漆黒の肌を持つ邪悪なエルフ――ダーク・エルフであった。かつて《魔界大戦》のとき、悪魔王の陣営に就いたエルフ族の末裔の姿だ。
しかし、それよりもヴァルキリーにショックを与えたのは、醜く潰された顔であった。これこそ転落の代償ではなかろうか。いや、しかし、これほどの大ケガを負って、ここまで来られたことの方が信じられない。
それはウィルも同意見であっただろう。
「今はもうダーク・エルフとしての自我もないのかもしれないな」
「えっ?」
「つまり、こいつもザカリヤと同じだということだ」
ヴァルキリーの目は、驚愕に大きく見開かれた。ザカリヤと同じ。それはすなわち、アルコラの腹の中にも寄生獣がいるということだ。
潰された顔では目も開けられないというのに、アルコラは頭を上げた。これならゾンビの方がマシかもしれない、などとヴァルキリーは思う。
ザカリヤのときと同じく、アルコラの体内から声が響いてきた。
「あの子の力を借りようと思ったのだが……遅かったようだな……」
「ああ。お前の仲間も、その宿主だった男も死んだ」
「ならば……仕方ない……」
おもむろにアルコラは力尽きたように倒れ込んだ。すると、その口の中から無数の虫のようなものが這い出して来る。ヴァルキリーは全身にむずがゆさを覚えた。
よく見ると、それは虫ではなく、寄生獣の頭の部分と同じく、殻のないひとつ目のヤドカリのようだった。その一匹一匹が、いずれ寄生獣に育つのだろう。
アルコラの中から出てきた寄生獣の幼生たちは、死んでいる成獣の寄生獣に群がっていった。何を始めたのか見るまでもない。食べているのだ。
「死んだ仲間を自らの糧とする、か。寄生獣というのは恐ろしいものだな」
ちっとも感情のこもってない顔つきでウィルが言うので、ヴァルキリーは自分が悪夢でも見ているのだろうかと思った。もちろん、そんなことはなく、紛れもない現実であるのだが。
幼生たちの食事はとても慌ただしかった。成獣の頭部はあっという間にきれいに片づけられ、さらにムカデの胴体である内部を食い尽くしていく。一匹一匹は爪の先ほどしかないのに、驚くほど底なしの食欲であった。
程なくして、胴体の外殻だけを残し、寄生獣の幼生はアルコラの体内へ戻っていった。知らない者が見たら、脱皮した後かと勘違いしただろう。
今度はアルコラに変化が起きた。床に手を突き、起きあがろうとしている。転落によるダメージで、這いずることしかできなかったはずなのに。膝立ちになると、潰れた顔が自然に戻っていく。二本の脚で立ちあがったときには、傷ひとつないダーク・エルフになっていた。
「これで元通りだ」
初めてヴァルキリーの前に素顔をさらしたアルコラは邪悪な笑みを浮かべた。この男に抱き続けていた嫌悪感の正体がようやく分かったような気がする。ヴァルキリーは改めてアルコラを敵と認識した。
「素晴らしいだろう、寄生獣の力は。ダーク・エルフは人間よりも長命だが、この寄生獣を体内に飼うことによって、肉体の損傷も容易く修復できるのだよ」
「お前がザカリヤに寄生獣を飲ませたのだな?」
ウィルの目が鋭さを帯びた。
「そうだ。あの男はどうしてもまだ死にたくない、どんなことをしてでもいいから生きたいのだ、と私を頼って来たのでね。私は人助けをしてあげたつもりだよ」
「よくもそんなことを言えたものね! 結局はザカリヤを利用して、自分の寄生獣を育てたかっただけでしょ!」
ヴァルキリーも怒りを目に宿した。ダーク・エルフが神々の側で戦った人間を助けるわけがない。
アルコラは声を押し殺すようにして笑った。
「それでも何もしないよりは命を長らえることができた――違うかね?」
「命を長らえることがすべてではない。人間は、どう生きるか、が大事だ」
そう告げるウィルの黒い瞳には、どこか悲しみにも似た感情が込められているようだった。
だが、アルコラには関係なかった。アルコラはダーク・エルフなのだ。
「聞いたようなセリフを。寿命の短い人間たちは、得てしてそんなことを言う。私には強がりだとしか思えないのだが――まあ、いい。こうして肉体を修復できた以上、ここに用はない。私の可愛い子を殺してくれたのは、ちょっと気に触るが、見逃してあげることにしよう」
アルコラはそう言うと、《移送の扉》にも興味はないのか、元来た道を引き返そうとした。
「待ちなさい!」
それをヴァルキリーは止めた。このダーク・エルフによって運命を狂わされたのはザカリヤだけではない。マーベラスやジョー、そしてスカルキャップもそうだ。ザカリヤが彼らを巻き込まなければ、この地下遺跡で命を落とすことはなかっただろうに。
「ここであなたを見逃せば、また誰かが不幸な目に遭うでしょう。そんなこと、私は絶対に許さないわ」
アルコラは振り向いた。皮肉めいた笑みを浮かべている。最初からこうなることを予期していたかのようだ。
「後悔するぞ。この私を敵に回したことを」
「それはどうかしらね。――ブライル!」
ヴァルキリーは先制攻撃を放った。ファイヤー・ボルトが一直線にアルコラへ飛ぶ。
「魔法はお前の専売特許ではないことを知れ! グレイル!」
アルコラからはフリーズ・アローが飛んだ。両者の間で火と氷の矢はぶつかり、互いに相殺する。先手を取り損ない、ヴァルキリーは唇を噛んだ。
アルコラの言う通り、ダーク・エルフは魔法を得意とする。しかも精霊の力を操る白魔術<サモン・エレメンタル>だけでなく、悪魔王からの力、黒魔術<ダーク・ロアー>も会得しているのだ。そのことを失念していたわけではないが、アルコラの魔法を見て、ヴァルキリーは痛感させられた。
「今まで、いろいろとお前の魔法を見せてもらったが、人間としては一流でも、ダーク・エルフの私からすればまだまだ。魔法とは、こう使うのだ! ――ベルクカザーン!」
青白い稲妻が走った。ライトニング・ボルトだ。ヴァルキリーは抵抗すべく、歯を食いしばり、自身の魔力を高めて構える。
そこへ、すっとウィルが立ちはだかった。
「ラミーラ!」
二人の前に光の幕が張られた。ライトニング・ボルトはそれに当たると、アルコラへ跳ね返る。それはかろうじて頭上にそれたが、危うくアルコラを貫くところだった。
「何ィ!?」
アルコラは驚愕に顔色を変えた。ウィルが使ったのは黒魔術<ダーク・ロアー>の魔法反射<リフレクター>である。白魔術<サモン・エレメンタル>の使い手、白魔術師<メイジ>だと信じ切っていたアルコラには、青天の霹靂も同然だった。
「ば、バカな! どうして、黒魔術<ダーク・ロアー>を――!?」
「黒魔術<ダーク・ロアー>は、お前の専売特許ではないということだ」
ウィルはアルコラの言葉をそのまま返した。
通常、ダーク・エルフならばともかく、白魔術<サモン・エレメンタル>と黒魔術<ダーク・ロアー>の双方を使える人間はとても限られている。
「お、お前は一体、何者なのだ!?」
そう問われれば、答えねばなるまい。
「オレの名はウィル。ただの吟遊詩人だ」
と。
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