「ヒツジが一匹、ヒツジが二匹……」
　オレは横になってヒツジを数えたが、とてもそんなことで眠れるなんて信じちゃいなかった。
　オレは不眠症なのだ。
　この春、なんとか二流大学を卒業したオレだったが、この就職難で予想通りフリーターになった。駅前にあるカラオケ・ボックスの店員だ。仕事そのものは、たまにムカつく客がいるが、まずまず快適と言えるだろう。しかし、オレと店長の相性は最悪だった。何かにつけて、オレを親のカタキのように思っているみたいなのだ。
　どうやら店長は、オレと同じ時期に入ったアルバイトの美奈ちゃんが好きらしい。美奈ちゃんは、この春、高校を卒業したばかりのフリーターで、他の女子アルバイトの中でも飛び切り可愛い娘だった。その美奈ちゃんにオレが親しくするのが許せないのだろう。なんて嫉妬深い、三十を過ぎのオッサンだ。オレだって美奈ちゃんが好きだ。出来れば彼女にしたいほど。だが、それで店長に恨まれるのは合点がいかない。
　オレは毎日のように店長にいびられた。普通なら、こんなカラオケ・ボックス、こっちから辞めてやるところだが、店長の思惑通りになるのは真っ平である。それに、今、辞めてしまったら、美奈ちゃんともこれっきりになってしまうではないか。オレは耐えた。
　それがストレスになったのだと思う。いつしかオレは不眠症になっていた。いつまで経っても眠れない。それでいて、昼間のバイト中になると眠気が襲ってくるのだ。そうすると仕事でミスが続発する。すると、今度はそれが原因で店長に怒られる。またストレスになる……。この悪循環だ。
　今夜もオレはベッドへ横にはなったものの、まんじりとも出来なかった。
「クソ！」
　オレは苛立ち、テレビをつけた。どうせ眠れないのなら、起きてた方がマシである。
　テレビは深夜のテレビ・ショッピングの番組をやっていた。あのタレントが大袈裟なリアクションで、色々な商品を紹介していく番組だ。わざとらしさがあざとく、オレはあまり好きではない。それでもぼんやりと眺めた。
『次にご紹介するのは、この枕です』
　身のこなしが軽そうな販売員が、波形の枕を手にして、往年の女優に差し出した。
『形は変わっていますけど、普通の枕じゃないんですか、松井さん』
『いいえ。これは“スリー・カウント・ピロー”と言いまして、人間工学とアロマテラピーを用いた快眠枕なんです』
　芝居がかった商品説明に、オレは思わず画面を見入った。
『じゃあ、堺さん、ちょっとお試しになってみますか？』
　往年の女優が、共演の年輩俳優に勧めた。じゃあ、ちょっと、と俳優は用意されたベッドに寝ようとする。
『はい、じゃあ、このまま寝てください。いいですか？　ワン、ツー、スリー！』
　販売員はゆっくりカウントした。すると──
　俳優は催眠術にでもかかったかのように目を閉じた。
『堺さーん、堺さーん』
　女優は俳優を呼んだが、俳優は目を閉じたまま。仕方なく身体を揺すると、ようやく俳優は起きた。
『いやー、横になった途端、何だかいい香りがして、すーっと眠りにつけましたよ』
　と、感想を漏らす。
『ホント、スリー・カウントで寝てしまいましたね』
『コレなら不眠症でお悩みの方でも、すぐに解決！』
『気になるお値段は？』
『定価一万二千円のところを、今回は特別に八千円でご提供します！』
　わぁーっ、というため息のような歓声と拍手。
『さらに、こちらの目覚まし時計もセットでお付けします！』
　またもや歓声と拍手。
『お申し込みは今すぐ！』
　販売員がフリーダイヤルを読み上げた。
　オレは苦笑した。そんな三つ数えるだけで眠りにつけるなんて眉唾物だ。確かに快適な枕かも知れないが、不眠症まで解消できるなんて。
　オレは馬鹿馬鹿しいと思いながら、テレビのチャンネルを変えようとした。しかし──
　物は試し。八千円ならば、そんなに高額な買い物じゃないし……。
　オレは携帯電話に手を伸ばした。



　数日後、“スリー・カウント・ピロー”がオレの元へ届いた。
　オレは仕事から帰ってクタクタだったが、食事よりも風呂よりも、その包装紙をビリビリに破いた。
　中から現れた“スリー・カウント・ピロー”は、テレビで見た物と同じで、何の変哲も感じられなかった。特別、ふかふかというわけでもない。匂いはわずかにラベンダーが香ってくるようだ。だが、この枕でテレビのような絶大な効果が得られるかは疑問に思えてくる。
　しかし、試してみないことには分からない。オレはベッドに“スリー・カウント・ピロー”を置いて、寝そべってみた。
　するとどうだろう。
「ワン……」
　自然に身体が楽になっていった。
「ツー……」
　さっきはそれほど感じなかったラベンダーの香りが鼻孔をくすぐり、フッと意識が遠のく。
「スリー……」
　オレは深い眠りに落ちていた……。



　翌朝、オレは目覚めた。
　部屋は電気がつけっぱなし。服装も昨日のままだった。
　オレは時計を見た。朝の八時。昨日、夜の七時くらいに帰ってきたから、十三時間も寝ていた計算になる。
　久しぶりにぐっすり寝たせいか、頭はスッキリとしていた。
　オレはまじまじと“スリー・カウント・ピロー”を見た。
　まさか、ここまで効果があるとは！　オレは次第に喜びが込み上げてきた。
　その後、オレは不眠症に悩まされることなく、快適な生活を送ることが出来た。これまでのように、昼間、フラフラするようなことはなくなり、仕事もバリバリと働いた。それは、何かとうるさかった店長を封じることにも役立った。オレを叱りつける口実がなくなってしまったのだから無理もない。その一方で、一緒に仕事をする美奈ちゃんからは頼もしく見られるようになり、二人の仲は急接近。オレは次第に有頂天になっていった。
　ある日、仕事が終わった後、美奈ちゃんをデートに誘った。美奈ちゃんは二つ返事でＯＫしてくれ、映画を鑑賞し、食事を一緒にした。デートの成功は、美奈ちゃんが普段、飲まないお酒を口にしたところからも分かる（もっとも、美奈ちゃんはまだ十八なので、ホントは飲んじゃいけないのだが）。それだけオレに対して警戒心を解いている証拠だ。
　美奈ちゃんは飲み慣れないアルコールに酔ったらしく、店を出る頃には肩を貸さねばならなかった。とりあえず、酔いが醒めるまで、どこかで休ませないと。
「美奈ちゃん、オレの部屋に来るかい？　ここから近いんだけど」
「うん……」
　オレの下心を知ってか知らずか、美奈ちゃんは拍子抜けするくらいに即決した。オレは美奈ちゃんを自分の部屋へ運んだ。
　玄関から中に入ると、美奈ちゃんはオレにもたれかかってきた。オレは抱き留める格好になる。火照った美奈ちゃんの柔らかな肌を間近に感じ、オレは欲望を抑えきれなくなった。激しく美奈ちゃんの唇を奪う。美奈ちゃんは抵抗しなかった。彼女もその気なのか、美奈ちゃんは両腕をオレのクビの後ろに回してくる。
　オレはキスしながら、美奈ちゃんの胸をまさぐった。もう我慢できない。
「ま、待って！　その前にシャワーを浴びさせて」
　美奈ちゃんは懇願した。オレは美奈ちゃんの体から離れ難かったが、言うとおりにする。
　オレは美奈ちゃんをバスルームに案内した。美奈ちゃんの頬が赤いのは、アルコールのせいばかりじゃないだろう。
「ベッドで待ってて」
　恥ずかしそうに言う美奈ちゃん。
　オレは部屋に戻り、コップ一杯の水を飲んだ。バスルームからはシャワーの音がする。ああ、夢にまで見た美奈ちゃんとこれからエッチできるなんて。
　オレは興奮しながら、服を脱ぎ、パンツ一丁になって、ベッドで彼女を待とうと思った。
　だが──
「しまった！」
　オレはうっかりベッドに横になり、“スリー・カウント・ピロー”に頭を乗せてしまった。すーっと意識が遠のいていく。
（眠っちゃダメだ、眠っちゃ……）
　しかし、オレは“スリー・カウント・ピロー”がもたらす睡魔から逃れることは出来なかった……。



　目が覚めると、朝になっていた。当然ながら、美奈ちゃんの姿はない。代わりに書き置きが一枚あった。
　オレは書き置きを読んで、深いため息をもらした。
『寝ちゃうなんて、ヒドイ！　ばか！』
　オレは“スリー・カウント・ピロー”を恨めしげに眺めた。あまり効果があるのも考え物だと思いながら。