日本の自動車産業シェア第二位のN自動車は、度重なる赤字経営に苦しみ、大胆な改革に踏み切った。フランスの自動車会社から、外国人社長を招聘したのだ。
その外国人社長は、大胆なコスト削減や組織活性化策を次々と打ち出し、急激に業績を回復させていった。その手腕は“コスト・カッター”と呼ばれ、多くの経営者の尊敬と畏怖を集めるのだった。
今、日本で誰もが注目しているN自動車本社へ、男は初めて訪れた。男は出版社の編集者で、新しく発刊する月刊誌にN自動車の新車特集を掲載するため、打ち合わせに来たのだ。
企画宣伝部に通されると、どの社員も忙しく立ち働いていた。さすが業績黒字のN自動車。社員の仕事に対する姿勢からして違う。
担当者は電話中とのことで、部内の片隅に置かれた応接セットで待たせてもらうことにした。男は出されたお茶に口をつけ、所在なげに辺りを見渡していると、壁を埋め尽くすほど大きな模造紙に描かれた折れ線グラフが目に入った。何かの業績を表しているのだろうか。グラフは角度こそ緩やかであったり、急激だったりしていたが、下降することはなく、確実に右上の方へと伸びていた。
「お待たせしました」
ようやく電話を切った担当者が、背広のボタンを留めながらやって来た。とりあえず、型通りの名刺交換をする。
本題に入る前に、男は感嘆したように口を開いた。
「さすがN自動車さんですね。ここへ来るなり、働いている皆さんの意気込みみたいなものが伝わってきましたよ」
「そうですか、ありがとうございます」
「あのグラフなんか、うなぎ登りじゃないですか」
男が指し示すグラフの方を見て、担当者は苦笑したような顔を見せた。
「あれは我が部──いえ、社員全員を仕事に打ち込ませる原動力ですよ。あれも社長のアイデアで」
「なるほど。自分たちが働いて、どれだけ業績が伸びたか。それが一目で分かれば、労働意欲も湧きますものね」
そう言う男の言葉に、担当者は首を横に振った。
「あれは業績を表したグラフじゃありません。今までリストラされていった人数です。──日に日にクビにされていく同僚が多くて、私も気が気じゃありませんよ。何とか会社に認められようと、毎日、必死に頑張っているわけでして。他の社員も同じ思いでしょう。それが業績に影響しているのかも知れませんが」