「そう言えば、お前に会ったら聞こうと思っていたことがあるんだよ」
中学校時代の親友だった森田は私にそう言うと、押し入れを開けて、何やら探し始めた。
小さなアパートの狭い押し入れには、見事とも言えるほど色々な物が詰め込まれており、取り出す順番を間違えたら、こちらの方へ雪崩れ込んできそうだった。だが、森田は器用にも中の品物を選り分け、目的の物を引っぱり出す。
「あった、これだよ、これ!」
森田はそう言って、分厚く重そうな本をコタツの上に置いた。
「おっ! 懐かしいなぁ」
私は思わず声を上げた。森田が出してきたのは、もう二十年以上も前になる中学校の卒業アルバムだったのだ。
会社からの帰り道、駅で偶然、森田と再会した。七、八年ぶりくらいか。お互い、腹が出たり、髪が薄くなったりしていたが、一目で相手が誰か分かった。中学を卒業するまで親友同士だったのだから無理もない。オレたちは再会を祝して、飲みに行くことにした。
だが、給料日前ではそんなに派手な夜遊びできない。そこで森田が自分のアパートで飲み直さないかと提案したのだ。森田は一年ほど前に奥さんと離婚して、今はひとり暮らしとのことだった。
ビールや焼酎を飲みながら、近況や昔話に花を咲かせていた森田が、ふと思い出したように持ち出してきたのが卒業アルバムだった。
私はパラパラと卒業アルバムをめくった。私自身、中学の卒業アルバムは物置の奥に長いことしまいこまれているため、こうして眺めるのは十数年ぶりだ。
私たちのクラス、三年三組のページを開いた。思わず吹き出してしまうくらい、皆、幼い顔立ちをしている。こんな頃もあったんだなあ、と私は目を細めた。
「おい、お前、こいつを憶えているか?」
森田は右ページの上の方を指さした。そこには三年三組の集合写真の他に、個人の写真が掲載されていた。いわゆる、集合写真のときに欠席した者が、別撮りした写真を載せておくスペースだ。だが、写真は油性の黒マジックで塗りつぶされ、どんな顔なのかさっぱり分からない。
「何だよ、これ? ひどいなあ」
私は森田に向かって言った。クラスメイトの写真を塗りつぶすなんて。
森田は頭を掻いた。
「う〜ん、確かにオレが塗りつぶしたんだよなあ。でも、どうしてそんなことをしたのか思い出せないんだ。そして、コイツは一体、誰なんだ?」
私はもう一度、写真をよく見てみた。
マジックは乱暴に書き殴られているため、所々、無事の箇所がある。多分、男だ。首の下に男子のブレザーとネクタイが見える。だが、顔はまったく分からず、誰だか特定するのは困難だった。
「これじゃ、全然、分からないよ。でも、集合写真にはいない誰かってことだろ?」
私は卒業アルバムの後ろの方にある住所録をめくった。
「それがよお、おかしいんだよ」
森田が急に声をひそめるように言うので、私は思わず眉根を寄せた。
「何がおかしいんだ?」
「だってよ、ウチのクラスは男女合わせて四十三人のはずだぜ。その人数は住所録でも確かめたんだ。でも、集合写真の人数を数えると、真ん中の先生を除いて四十三人ちょうど……。とすると、ここに別で写っている四十四人目のコイツは誰なんだよ?」
「お前、数え間違えたんじゃないか?」
私は森田を疑った眼差しで見て、集合写真の人数を数えてみた。途中から、森田も声を合わせて数えだす。
「……四十一、四十二、四十三」
確かに集合写真に生徒は四十三人いる。森田の言うように、別撮りまで加えたら四十四人になってしまう。だが、念のためと、私はもう一度、数え直した。そして、またもや結果は同じ。
「………」
顔を塗りつぶされた四十四人目のクラスメイト。私は急に背筋が寒くなった気がした。
「き、きっと何かの間違いさ。集合写真に写っている誰かが、載っちまったんだよ。だから、お前、消したんじゃないか?」
私はよからぬ考えを打ち消そうと、他の可能性を探ってみた。だが、森田は納得できないようだ。
「アルバム作りの手違いとしたら、ちょっとした笑い話として記憶に残っていてもいいはずだ。だが、オレはそんな話を聞いたこともないし、憶えてもいない。お前はどうなんだよ?」
「オレも……そんな記憶はない」
最近、卒業アルバムを開いていなかったとは言え、届いた当初や折に触れて、何度も眺めていたのだ。そして、何の違和感も感じていなかった……。
最近、年齢のせいでもないだろうが、ちょっとした名前が出てこなかったりすることがある。アルコールが入ると、その傾向が強い。知っているはずなのに思い出せないもどかしさ。私も森田も写真の人物が誰なのか思い出そうとしたが、まったく浮かんでこなかった。
「こうなったら確認しよう!」
突然、森田が言い出した。携帯電話を片手に、住所録を開く。
「お、おい、確認って、こんな夜中にか?」
すでに時計は深夜の二時を回っていた。
「構うもんか! このまま、コイツの正体が分からないままでいたら、そっちの方が気味が悪い!」
それは確かにそうかも知れないが。
森田は親しかったクラスメイトを選んで、片っ端から電話をしてみた。
だが、やはり深夜と言うこともあり、眠っていたところを叩き起こされて、不機嫌にすぐ電話を切ってしまう者もいたし、すぐには卒業アルバムを確認できないからといなす者が多かった。結局、連絡が取れたクラスの半数以上に尋ねたが、明瞭な答えは一つも得られなかった。
森田が次から次へと電話しているうちに、私の中にも、次第に真相を知りたいという意識が芽生えてきた。
「よし、こうなったら先生に聞いてみよう!」
「お、おい!」
森田が止めようとするのも構わず、今度は私が電話を掛けてみた。住所が変わっていなければいいのだが。
きっかり十回のコールで相手が出た。
「もしもし、長井先生ですか? 夜分遅くに申し訳ございません。私、二十二年前にA中学校を卒業した山川です。突然、不躾な質問をして申し訳ないのですが、ウチのクラスの卒業アルバムで集合写真から漏れている生徒は誰なんでしょうか? 先生ならばご存じかと思って、お電話したのですが」
「ああ、山川くんか。ああ、憶えているとも。あの卒業アルバムの写真はね、ウチのクラスの生徒ではないのだよ」
「クラスの生徒ではない?」
私はオウム返しに尋ねて、チラリと森田の方を見た。すると森田は大きく目を見開いた状態で、激しく首を横に振っている。先生にまで聞くことはない、と訴えているのだろうか。
「では一体……?」
「あの写真はね、私だよ。集合写真を撮る日、私は学校へ行けなかったんだ。だから、その写真は私なんだよ」
長井先生にそう言われ、私は改めて塗りつぶされた写真を見た。なるほど、制服のブレザーと思ったのは、似た色の背広だったのか。
そう言えば、長井先生は普段から健康状態が良くなく、二学期の半ばからは休職していたと、今頃になって思い出した。集合写真の中央に写っているのは副担任で、長井先生ではない。
──いや、待てよ。
確か長井先生は、そのまま入院して、亡くなられたという話を聞いたような……。
森田が泣きそうな顔で、震えながら、私のワイシャツの袖を握ってきた。
「オレ、思い出したよ……どうして、マジックで塗りつぶしたか……この写真、まるで遺影のように見えたから、だからオレ……」
携帯電話からは、長井先生の寂しげな笑い声が聞こえてきた。
「先生は嬉しいよ……ようやく君たちに思い出してもらえたようでね」