スーパーの帰り道、花畑を描いたカラフルなワゴン車が路肩に停車していた。どうやら移動式の花屋らしい。バックドアが跳ね上げられ、道端に色々な植木鉢が降ろされていた。
だが、客はおろか、店の主もどこへ行ってしまったのか姿が見えない。トイレかタバコを買いにでも行ったのだろうか。まあ、すぐに戻ってくるだろう。
とりあえず、何か買っていこうかと思い、私はふと足を止めてみた。我が家は普通のサラリーマン家庭で、夫の収入はたかが知れているが、花や緑はささやかな贅沢である。
色々と眺めていくうちに、やがてひとつの小さな鉢植えに付けられている札の文字が気になった。
“お金のなる木”
赤マジックで目立つように書かれていたその鉢植えには、何の変哲もなさそうな小さな苗木が植えられていた。金額は「相談に応じて」とある。
本当に“お金のなる木”なのだろうか? いや、今、流行の風水を取り入れた、金運をアップさせる商品なのかも知れない。
そんなことを私が考えていると、背後から足音が近づいてきた。
「いらっしゃいませ! どうもすみません、お客さん!」
まだ若い青年が息を切らせたように駆け寄ってきた。エプロンをしているところを見ると、この花屋の店員なのだろう。青年は私に白い歯をこぼして見せた。さわやかな笑顔だ。どことなく、幼稚園に通っている息子が毎週日曜の朝に欠かさず見ているヒーロー番組の俳優に似ている。名前は忘れてしまったが、その俳優目当てに、私も息子と一緒にヒーロー番組を見ることが多くなっていた。
私は年甲斐もなくドキドキした。こんな感情は久しぶりである。
「あっ、ちょっと見せていただいてたの。気にしないで」
私は青年の顔からサッと視線を逸らして、植木を眺めた。だが、すぐに目線は“お金のなる木”に行ってしまう。
青年もそれに気づいたのだろう。しゃがみ込んで、“お金のなる木”の鉢植えに手をかけ、私の方を見上げた。
「これ、面白いでしょ? “お金のなる木”なんですよ」
青年は屈託なく言った。
私は緊張を隠しながら、笑顔を返した。
「あれでしょ? これを家に置いておくと、金運がアップするとかって言う」
そう私が言うと、青年は笑いながら首を横に振った。
「いえ、本当にお金がなるんですよ」
私は一瞬、口を半開きにして、青年の顔をまじまじと見つめたが、すぐにからかわれているのだと思い直して笑い出した。しかし、青年はちょっと怒ったような、悲しいような顔をする。
「奥さんも信じてくれないんですね。これは僕が品種改良を重ねて、やっと完成させた本当の“お金のなる木”なんですよ」
「だって、そんな、お金のなる木だなんて。こんなのがあったら、億万長者じゃない」
「そうです。億万長者だって夢じゃありません! でも、最初に土の中にお金を埋めておかないといけないんです。千円埋めておけば、約一ヶ月後に倍の二千円。一万円なら倍の二万円になるんですよ」
「じゃあ、五千万なら一億ってこと? そんなうまい話が──」
「本当ですよ! 何でしたら、試してもらったって構いませんよ! 鉢植えにお金を入れて一ヶ月間、日当たりのいい場所に置いて、毎日、水を欠かさなければ、お金は倍になって戻ってきます!」
青年は真剣な顔で言い切った。そんな彼を見ていると、本当かも知れないと思えてくる。
「……分かったわ。じゃあ、一ヶ月、試させてもらおうかしら」
私は言った。すると青年の顔がパッと明るく嬉しそうになる。
「ありがとうございます! 僕の話を信じてくれたのは、奥さんが初めてです!」
青年は感謝して、私の手まで握ってきた。私もぎこちなく笑顔を返す。
まあ、例え青年の作り話だとしても、観葉植物として置いておけば、別に損をしたことにもならないだろう。私は気楽に考えていた。
買い物帰りで両手がふさがっていた私のために、翌日、青年は“お金のなる木”を私のマンションまで運んで来てくれた。日当たりがいいところという条件だったので、ベランダに置いてもらった。そして、青年が帰ってから、私は植木鉢に百円玉を一枚埋め、水を与えた。正直、まだ半信半疑である。とりあえず実験してみようというわけだ。これで一ヶ月後、二百円になって帰ってきたら、本当の“お金のなる木”だという証明になる。ダメで元々くらいに考えて、植木に世話をし続けた。
花屋の青年は、週に一回か二回、最初に出会ったところで店を開いていた。話を聞くと、ここだけでなく、色々と場所替えをしているらしい。ただ、“お金のなる木”は、まだ私以外に買った人はおらず、あれから顔を合わせるたびに、ちゃんと水を与えているかどうかという会話になり、段々と親しくなっていった。
そんな毎日を繰り返した約一ヶ月後、買い物から帰った私は、ベランダに置いていた“お金のなる木”を見て驚いた。なんとゴルフボール大の実がなっていたのである。買い物へ行く前には気がつかなかったのだが。
私はドキドキしながら実を手にとって、包丁で中を割ってみた。
「!」
実の中から、チャリンと二枚の百円玉が転がり出た。二百円だ。まさか、本当に倍に?
だが、これは紛れもない事実だった。
翌日、私は青年のところへ行った。
「お兄さんの言ったとおり、お金が倍になったわ! あれは本当に“お金のなる木”だったのね!」
私は興奮気味に話して聞かせた。それを聞いた青年も嬉しそうだ。これで“お金のなる木”が実在することを証明できたと。
本物と分かれば、今度は本格的にお金を増やしてやろうと、私は思い立った。
お金は倍になるのだから、最初に埋める金額も高い方がいいに決まっている。まず、私は貯金を全額下ろし、現在加入している保険も片っ端から解約した。さらに親戚や友人からお金を借りまくった。サラ金にも手を出した。とにかく、あちこちからお金をかき集め、その結果、一千二百万円もの大金を用意することが出来た。借りた分は、お金が増えた時点で返せばいい。そして、残ったお金をもう一度埋めて、また倍にし、さらにそれを倍にして、と、際限なく増やしていける。五ヶ月もすれば、二億円近くもの大金を作れる計算だ。
だが、問題がひとつだけあった。鉢植えの大きさである。今の鉢植えはチューリップを育てるくらいの小さなもので、とてもじゃないが千二百枚の一万円札を土の中に埋めることは出来ない。仕方ないので、私はもっと大きな鉢植えを買うことにし、そちらへ“お金のなる木”を植え替えた。
これで一ヶ月後には、夫の年収をも上回る大金が手に入る。
──と、私がほくそ笑んでいると、やがて大変な問題が持ち上がった。私が二日間、家を留守にしなくてはいけなくなったのだ。
それは鹿児島の実家で行われる亡父の法事であった。前から予定されていたのだが、つい忘れていたのだ。当然、夫も息子も私と一緒に鹿児島へ行くことになっている。そこで問題になってくるのが、植木の水だ。留守の間、誰が水を与えてくれるのか。
もう一週間もすると、埋めてから一ヶ月になる。ここで中断するわけにもいかない。かと言って、気軽に頼めるようなご近所さんもいなかった。
そこで私は、本当に毎日、水をやらないといけないのか、あの花屋の青年に相談した。
「一日も欠かしちゃダメです」
青年の答えはキッパリしていた。私は事情を話した。
すると青年は笑って、自分の胸を叩いた。
「じゃあ、奥さんが不在の間、僕が預かって、世話をしますよ」
青年の申し出に、私は感謝した。早速、花屋の営業が終わってから、私のマンションへ来てもらう。
青年はベランダの鉢植えを見て、少し驚いたようだった。
「ずいぶん、大きな鉢植えにしたんですねえ」
青年は一声、気合いを入れると、大きな鉢植えを重そうに持ち上げた。
そのとき、私は夢にも思わなかった。これが青年と“お金のなる木”を見る最後になろうとは。