RED文庫]  [新・読書感想文



モデルルーム


 日曜日、騒がしい子供たちがキャンプへ出掛けたのを見計らって、若夫婦はそろって住宅展示場へと足を伸ばした。
 今住んでいる社宅は手狭で、もっと広い所へ引っ越したいというのが、家族みんなの希望だ。決して家計は楽ではないが、どうせなら一戸建て。そう夢見るのは、この若夫婦ばかりではないだろう。
 郊外にある住宅展示場は、さすがに真新しい邸宅が並び、まるで高級住宅街を訪れたようだった。若夫婦は何軒か外観を眺めて回り、やがて気に入った一軒の家に決める。中を見学しようと、夫は玄関のドアに手をかけた。
 すると、途端にドアが開き、中から小学五、六年生くらいの男の子が飛び出してきた。
「行って来まーす!」
 と、元気な声。夫婦は慌てて脇へのき、男の子に道を譲る。男の子は謝りもせず、モデルルームの前に停めてあった自転車に跨ると、どこかへ走り去ってしまった。
 夫婦は互いに顔を見合わせる。
「き、近所の子かな?」
「た、多分……」
 モデルルームの中から突然出てきた男の子。しかも、「行って来ます」と、まるで家人にでも告げるように言っていた。まさか、モデルルームのはずなのに?
 夫婦は恐る恐るといった感じで、モデルルームの中を覗き込んだ。
「ごめんください……」
 モデルルームへ上がり込むには不適切な言葉だったが、万が一という考えが頭にある。夫婦は玄関の三和土で立ち尽くした。
 足下には、男物の革靴と女性用のおしゃれなサンダル、そして、庭先で使いそうなつっかけが揃えられていた。傘立てにも──外は晴れているというのに──大小様々な傘が刺さっている。さらにキッチンでは天ぷらでも揚げているのか、香ばしい匂いが漂ってきていた。モデルルームのはずなのに生活感が感じられる。
 まさか、間違って他人の家に上がり込んでしまったのではないか。夫婦がそう考え始めたときだった。
 ジャーッ、ゴボゴボゴボ、というトイレの水が流れる音がして、新聞紙を手にしたステテコ姿の中年男性が姿を現した。そして、玄関に立つ若夫婦に気づく。
 狼狽したのは若夫婦の方だった。慌てて、出て行こうとする。
「す、すみません、モデルルームと間違えてしまったようで!」
 夫は必死に弁明した。だが、ステテコ姿の男は、いらっしゃいと手招きするように寄ってくる。
「いやいや、いいんですよ。ここはモデルルームなんです」
「え? でも……」
 いぶかる夫婦の様子を見て、ステテコ姿の男は笑った。
「ハッハッハッ、皆さん、同じように驚きますよ。こうしてモデルルームに誰かが住んでいるとね。でも、ここは歴としたモデルルームに間違いありません。──どうぞ、お上がりください。中をご案内しますよ」
 ステテコ姿の男は若夫婦にスリッパを出すと、入ってくるよう促した。招かれた若夫婦は、怖々といった感じで、それに従う。
 ステテコ姿の男は、どうぞどうぞと言いながら、若夫婦を案内した。
 男が最初に案内したのは、キッチンだった。予想通り、そこでは主婦らしい女性によって天ぷらが調理されていた最中だ。天ぷら油の匂いが充満している。
「母さんや、お客さんだよ」
 ステテコ姿の男は、エプロン姿の女性に告げた。すると鍋から振り返って、女性がほころぶ。
「まあ! ようこそ、おいでくださいました。今日はじっくりと見ていってくださいな」
 若夫婦は呆気にとられた。無理もない。彼らはモデルルームの見学に来ただけなのだから。
 だが、ステテコ姿の男は、まるで販売員のようにキッチンの隅々まで見せた。
「どうです、機能的なキッチンでしょ? もちろん、奥様の身長に合わせて高さも調整できますし、模様替えも可能です。最大の特長は、この食器洗い機が標準装備されていることでしょう。これで奥様は大助かり! それに──」
 何かを言いかけたステテコ姿の男は、キッチンの隅に設置されていた消化器をおもむろに手にした。そして、天ぷらを揚げている女性にうなずいて、合図を送る。女性は、ガス台の炎を全開にさせた。
 炎は天ぷら鍋の底を回り込み、中の油にまで達した。たちまち、盛大な火柱が立ち昇る。その勢いに、見ていた若夫婦は仰け反った。
 しかし、ステテコ姿の男は慌てることなく、手に持っていた消化器の安全ピンを抜き、ホースを持って、発射レバーを握った。白い煙と共に、消火剤が天ぷら鍋に放出される。火事は瞬く間に消火された。
「このように、ボヤ騒ぎになっても、ちょっとやそっとでは壁は燃えず、大きな火事にはなりません。すべては、この防火材のお陰です。もちろん、これはキッチンだけに限らず、家のあらゆる壁が同じ材質です」
 誇ったようにステテコ姿の男は説明するが、壁はすっかり黒くすすけ、きなくさい臭いが鼻を突いた。若夫婦は顔をしかめる。
 すると、今度は上から大音響の音楽が響いてきた。腹にズシッと来る重低音だ。これは予定外だったのか、若夫婦のみならず、ステテコ姿の男とエプロンの女性も耳を塞いだ。
「美穂のヤツ!」
 かろうじて、そんな言葉がステテコ姿の男の口から聞こえた。そして、小走りにキッチンを出て、二階へと上がっていく。
「美穂! やめなさい! お客さんが来ているんだぞ!」
 だが、大音響はまったくやまなかった。あきらめた様子で、男が降りてくる。そして、若夫婦に謝罪した。
「すみません。私たちの娘なんですが、年頃で、難しい時期なんですよ。何かと親に反抗したいらしくて……」
 所々、聞き取れなかったが、多分、そんなことを言っていたのだろう。
 夫はたまらず尋ねた。
「あなたたちは、ここに住んでいるのですか?」
 すると、ステテコ姿の男はうなずいた。
「このモデルルームは、訪れてくださるお客様のため、ありきたりな一般家庭を再現しているんです。お住まいになったときを、よりよくイメージしていただくためにね。ですから、私たち一家が、こうしてモデルルームで生活しているところをお見せしているわけです」
 なるほど、それは珍しい演出であった。しかし、ここまでくると、かなり行き過ぎの感も否めない。
「さあ、先程は火事対策を見ていただきましたが、今度はこの災害についてもご覧いただきましょう! 充分に用心してください! では、行きますよ!」
 ステテコ姿の男は、おもむろに壁のスイッチを押した。すると──
 ガタガタガタッ!
 突然、モデルルームが揺れた。地震だ。
 激しい。とても立っていられない。若夫婦はダイニング・テーブルの下に身を隠した。食器棚から皿やグラスが落ちて割れ、イスやテーブルが勝手に動く。若夫婦はテーブルの脚をつかんで、固定しなければならなかった。
 地震はすぐにおさまった。呆気ないほど唐突に。しばらくしてから若夫婦はテーブルの下から這い出した。床は砕けた食器が散乱していた。
 だが、ステテコ姿の男は、ご覧なさいとばかりに、両腕を横に広げながら、キッチンをぐるりと見渡した。
「どうです? 関東大震災級の大地震が来ても、食器棚は倒れなかったでしょ? それに家の壁もまったく何ともない。このように耐震性もバッチリです! ここまで丈夫な家は他にありませんよ」
 男は気取った態度で太鼓判を押してくれたが、この惨状を見ると、とても若夫婦は同感できなかった。
 すると、階段を慌ただしく降りてくる足音がした。キッチンから首を覗かせると、降りてきたのは十代後半か二十歳くらいの女性だった。髪の毛は金髪で、派手な化粧をしている。服装もボロなのかファッションなのか判別できないようなものを着ていた。
「美穂、どこへ行くんだ!?」
 ステテコ姿の男が声を荒げて、問い立てた。だが、美穂という娘は無視して、玄関へ向かう。
 男は父親として看過できなかったらしい。なおも詰め寄った。
「おい! さっきはお客様が来ているのに、あんなに大きな音で音楽を聴いて! 父さんは仕事中なんだぞ! 少しはお前も協力したらどうなんだ!?」
 すると娘は、手近にあった靴べらをつかむと、それを父親に投げつけた。
「何が協力しろ、だ! 毎日毎日、人の生活をかき乱して! こんなにボヤ騒ぎや地震騒動をやられたんじゃ、こっちも迷惑なんだよ! ああーっ、もう、こんな生活はうんざり! 私は出てく!」
 そう啖呵を切った娘は、わななく父親に目もくれず、ドアを吹っ飛ばすようにして出て行った。
 そんな親子の諍いを目の当たりにした若夫婦は思った。
 どんなにいい家に住もうとも、肝心なのは家族なのだ、と。


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