RED文庫]  [新・読書感想文



告  知


「先生、どうなんですか? ハッキリおっしゃってください!」
 八十近くなった痩せぎすの患者は、目の前でむっつりとしている医師に向かって問いただした。医師は疲れたような表情を見せると、メガネを取り、親指と人差し指で眉間を揉んだ。そして、もう一度、メガネをかけ直す。
「橋本さん、本当によろしいんですか?」
 医師は確認するように患者の橋本に言った。橋本は細い首を曲げてうなずく。
「構いません。どうせ私は独り者。妻もとっくの昔に亡くなりましたし、一人息子ともずっと音信不通です。どうぞ、本当のことをおっしゃってください!」
 橋本はすがるように、医師に頼んだ。医師は深いため息をついて、橋本を見る。
「分かりました。ハッキリと申しましょう」
 橋本は下されようとしている診断に姿勢を正した。ごくりと唾を飲み込む。
 それに対し、医師の言葉は簡単で、あっさりとしたものだった。
「胃ガンです。残念ですが」
 医師のガン告知を聞いた橋本は、まるで雷にでも撃たれたように、ショックで茫然自失となった。それを見て、医師はまたため息を漏らす。
 橋本が我に返るのに、しばらく時間がかかった。
「そ、そうですか……やっぱり、胃ガンですか……」
「はい」
「そうですか……胃ガン……」
 橋本はふらふらと立ち上がると、うわごとのように呟きながら、診察室から出て行った。それを見届けると、医師はぐったりと椅子にもたれた。
「先生!」
 今まで橋本の診察に付き添っていた若い看護婦が非難の声を上げた。カルテを胸の前に抱え、医師に詰め寄る。医師はかったるそうに看護婦を見上げた。
「キミは……確か、今日入ったばかりの新人だったね?」
「先生、ひどいです! あんな風にガン告知をなさるなんて! 橋本さんは身寄りもないお年寄りなんですよ! ショックで生きる意欲をなくしたら、どうなさるおつもりですか!」
 新人看護婦は涙目で訴えた。
 医師は看護婦の態度に驚いた様子も見せず、冷静に答えた。
「橋本さんは元々、胃潰瘍でこの病院に来たんだ。それも今では完治している」
 意外な医師の答えに、看護婦は目を丸くした。そして、当然の疑問を口にする。
「じゃ、じゃあ、どうして胃ガンだなんて言ったんですか!? どうして、ウソの告知を!?」
「あの人は疑い深い人でね。こちらが、ただの胃潰瘍だと言っても、ガンじゃないかって疑うんだ」
「だからって、ウソを言わなくても……」
「いいんだよ」
 医師は力なく笑った。
「橋本さんは胃潰瘍を治してすぐに、痴呆症になってしまったんだ。そして、どうやらこの病院に通ったことを強く憶えているようで、今でもこうして通ってくるのさ。こっちは何度も相手をさせられて大変だよ。胃潰瘍は治ったんだと説明しても、まったく信じないんだからな。だから、ああやってガン告知をして、追い払うことにしているんだ。なあに、橋本さんは告知されてもすぐに忘れてしまうんだ。どうせ、また死にそうな顔で、ここへやって来るさ」
 医師は机の上にあった湯呑みをつかむと、一口、お茶を飲んだ。
「……それよりも先に私の方が参ってしまいそうだ」
 すっかり冷めていたお茶に顔をしかめ、医師は呟いた。


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