私の目の前に、ぶすっとした表情の男子生徒が頬杖をつきながら座っていた。絞めるはずのネクタイはなく、シャツの胸ははだけ、裾もズボンからはみ出している有様だ。上履きも踵を踏んでおり、絶えず貧乏揺すりをしている。
彼の名は小松悠治。私の教え子だ。彼はいつも私に対して反抗的な態度を取る。やはり若い女教師だと舐められてしまうのか。
彼は札付きのワルというわけではなく、多感な思春期で、ちょっと不良を気取っているのだと私はこれまで思っていた。実際、今までに問題らしい問題を起こしたことはない。成績もそこそこのレベルを維持していた。
ところが今日の昼休み、トイレでタバコを吸っている彼を巡回の男性教諭が発見してしまった。中学三年生が喫煙とは、いくら何でも見逃せない行為だ。即座に私の耳にも入った。
ただ、今回は初犯でもあるので、校長や学年主任とも話し合い、今後、喫煙しないよう反省文を書かせるようにした。処罰をするばかりが教育ではない。彼らがひとりで何を考え、何を抱えているのか、それを知ることも、私たち教師の務めだと思う。
こうして、クラスの全員が帰った三年三組の教室に、彼と私の二人が残っていた。
「さあ、原稿用紙で十枚。これを書き終えないと、家に帰れないわよ」
私はふてくされたような小松くんに言った。彼の机には真っ白な原稿用紙が手付かずで置かれている。このマス目を埋めることは、苦痛以外の何ものでもないに違いない。
彼は私の方はおろか、机の原稿用紙にも見向きしなかった。私はジッと小松くんに視線を注ぐ。
五分は沈黙していただろうか。小松くんが口を開いた。
「オレ、書くモンないんだけど」
何と小松くんは、学校に鞄すら持ってきていなかった。一体、何しに学校へ来ているのか。私は呆れ果てた。
だが、ここで私がヒステリックに叫べば、また彼は軽蔑するに違いない。私は自分を落ち着けて、教壇から降りた。
「しょうがないわね。じゃあ、先生のペンを貸してあげるわ」
私は一本のボールペンを、小松くんの机の上に置いた。
実は、そのボールペンこそ、私が大事にしている宝物だった。これは私が大学受験に合格したとき、今は亡き祖父がお祝いにくれたものだ。
このボールペンには不思議なことがあった。何と、これで書くと、そのとき書いた人の気分が色となって表れるのである。
例えば、好きな人へのラブレターを書けば、淡い恋に弾むピンク色が、落ち込んだ気分でつづれば、憂鬱で沈んだようなブルーとして書かれるというわけだ。
もし、今の小松くんがこのボールペンを使って書いたら、どんな色が出てくるだろうか。私は教師としてよりも、ただの好奇心から興味が湧いた。
小松くんは私のボールペンを握ると、渋々、原稿用紙に書き始めた。しかし、その動きはすぐに止まってしまう。
「先生、このペン、書けねえんだけど」
小松くんは仏頂面をして言った。
私は焦った。それは祖父からもらった、世界に二つあるかどうかも分からない大事なペンだ。
私は小松くんからボールペンを受け取ると、自分のノートの端に試し書きをしてみた。すると、どういうわけか、ちゃんと書けるではないか。それも疑いのグレーがハッキリと出ている。
「何言ってんの? 書けるわよ」
私はホッとして、再び小松くんの机の上に置いた。ところが小松くんがそのペンを使って書こうとすると、まったくインクが出てこない。小松くんはガリガリと原稿用紙にペン先を押しつけたが、逆に破いてしまう始末だった。
「書けねえよ!」
とうとう小松くんはボールペンを放り出してしまった。そして、まるで子供のようにふくれる。
そのとき、私は合点がいった。
どうやら、小松くんの反省の色は見られなかったらしい。
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