私は疲れた足取りで、とぼとぼと夜の繁華街を歩いていた。
特に目的があるわけではない。ただ、家に帰りたくないだけだ。
会社はリストラされてしまった。毎日、就職先を探しているが、四十過ぎのしがない男には厳しいご時世だ。受ける面接は片っ端から落とされた。
収入がなくなったことにより、妻はクリーニング工場のパートを始めた。最初のうちは、私にブチブチと文句を言っていたが、最近はそんなこともなくなった。どうやら工場にいる若い上司と浮気しているらしい。そんなのは年齢も考えずに派手になった化粧や服装を見れば分かる。だが、貯金と妻の稼ぎで生活を支えている今、私がそれを咎めることもできなかった。
娘はせっかく受かった大学へろくに行きもせず、毎日、男友達と遊んでいるらしい。家を空けることがしばしばだ。たまに帰ってくるが、それも着替えを取りに来るだけ。先日、無言で家に上がり込んできた娘が別人のような姿になっていて、ギョッとした。
息子は高校でいじめに遭い、すっかり自分の部屋に閉じこもってしまっている。いわゆる、引きこもりというやつだ。同じ家で生活しているというのに、私はこのところ息子の姿を見たことがない。生きているのか、死んでいるのか。私が部屋の前で声をかけても、鍵をかけたまま、何の返答もよこさない有様だ。
そんなわけで、私の家庭は完全に崩壊していた。こんな家に誰が帰りたいものか。私に一因があるとは言え、こんな生活はもう願い下げだった。
どうすれば、この苦難から抜け出すことができるのか。考える時間は腐るほどあっても、何の名案も打開策も浮かんでこなかった。
ふと、私の目の前に紫のショールをかぶった女性が座っていた。女性の目の前には小さな水晶玉が。占い師だ。
今まで、私は占いとかをインチキだと思い、まったく信じなかった。だが、今は藁にでもすがりたい心境である。私はふらふらと女占い師の前に座った。
「どうされました?」
女占い師は私に尋ねた。ショールによって目元は隠れているが、意外と若そうだ。
私はぽつりぽつりと喋った。
「私のリストラをきっかけにして、家庭が崩壊しているんです。私は就職が決まらず、妻は浮気をし、娘は男遊びに呆けて、息子は引きこもりになっています。どうしたら、この状況から抜け出すことが出来るでしょうか?」
私が尋ねると、女占い師は水晶玉に手をかざして、何やら唱え始めた。まったく意味不明の言葉である。しかし、私はそれを黙って見守った。
やがて、
「段々……見えてきました」
と、女占い師は言った。私は固唾を呑む。
「あなたの新しい運命を切り開くには……まず、あそこの停留所からバスに乗りなさい」
私は思いがけない女占い師の言葉に、釣られて振り向いた。確かに、バス停がある。もうすぐ最終に近い時間だ。
「バスに乗って、ここから五つ目の停留所で下車するのです。近くに信号がありますから、それを渡って、道の反対側へ。そうしたら、喫茶店の横にある細い路地を抜けてください。すると再び大通りへ出ます。そこから駅の方へ歩いて、八件目に、あなたの求める答えがあるでしょう」
「ほ、本当ですか!?」
私は腰を浮かせた。そして、もう一度、女占い師の説明を反芻する。
見料三千円を払うと、ちょうどバスがやって来るのが見えた。最終のバスだ。あれを逃すと後がない。私はバス停まで走った。
かろうじて最終のバスに間に合った私は、女占い師が言っていたとおり、五つ目のバス停で降り、近くの信号を渡った。そして、閉店になっている喫茶店の横の路地を抜けて、程なくして大通りへ出ると、駅の方へ歩きながら、建物を勘定していった。
「……五、六、七……八……」
そこが女占い師によって示された場所だった。閉店した書店の前である。
私は呆然と立ち尽くした。ここに私の求める答えが?
「どうされました?」
私に声をかけてきたのは、仙人のような風貌をした、別の占い師だった。
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