RED文庫]  [新・読書感想文



正直な男


「では、あとは若いお二人だけに致しましょうか」
 媒酌人のおばさんがそう言うと、それが合図だったかのように双方の両親は席を立った。
 今まで取り留めのない話を延々と続けていた八人掛けのテーブルには繁行と司子の二人だけが残され、急に火でも消えたかのように静かになる。両者とも、何から話していいものか分からなかった。
 繁行は今年、三十八歳。これといった彼女もおらず、それを見かねた彼の叔母が見合い話を持ってきた。相手は三十歳になる司子。これまでにいくつもの見合いをしてきたそうだが、なかなか結婚までに至らなかったらしい。繁行は、それほどブサイクな女なのかと、写真も見ないまま見合い直前まで覚悟していたのだが、これが驚くほどの美人だった。今、その美貌を見るのさえためらわれ、視線は伏せがちなままだ。
 やがて、司子の方から口を開いた。
「あの……最初に申しておきますが、私、ウソをついたり、隠し事をしたりする男の人が苦手なんです」
 司子はそう言って切り出した。思わず、繁行は顔を上げる。
「昔、お付き合いしていた男性がいるんですが、その人にひどく騙された経験があって……。確かに、人間、自分の欠点や弱味を他人に知られたくないとは思います。でも、本当の自分をさらけ出すことって、凄い勇気が必要じゃないですか。私、そういう男性が好きです。夫婦になるんだったら、お互いに隠し事などせず、何でも話し合える間柄でいたいんです」
 真摯な眼差しを繁行に向けながら、司子は喋った。
 その点なら、繁行には一切やましいことはなかった。繁行は昔からウソをつけるようなタチではなく、真面目で、純朴で、正直だった。それこそ、繁行の周囲の人間からは呆れられるほどで、これまではその正直さで得をしたことよりも、損をした方が多いくらいである。
 結婚する条件が正直さなら、この世に繁行ほど打ってつけな男性はいないだろう。容姿も、学歴も、今の稼ぎも誇ることが出来ない繁行にとって、唯一の美点であった。
「それでしたら、僕は何もあなたに隠していることはありません。学歴や収入は、さっき叔母が話していた通りですし、女性関係もまったくない状態です。車のローンはかなり残っていますけど、借金のようなものはありませんし、何か法に触れるようなこともしていませんから」
 こんな美人を妻に迎えられるならと、繁行は自分でも驚くほど力強くアピールした。それに対し、司子は安堵したように微笑む。
「そうですか、それならいいんですが。──本当に何も隠していませんね?」
 司子はまじまじと繁行を見つめた。
 その目を見て、繁行はひとつ思い当たった。実は、誰にも言えない秘密がある。それを知ったら、司子はどう思うだろう。繁行は、今、それを言うべきかどうか迷った。
「繁行さん? どうしました?」
「い、いや……」
 繁行はおしぼりで汗を拭いた。次第に司子の視線が突き刺さるような気がしてくる。
「もし──」
 司子は穏やかな口調で言った。聖母のような表情で繁行を包みこもうとする。
「もし秘密になさっていることがあったら、今のうちに打ち明けてください。結婚してから隠し事が発覚したら、私、また男の人に裏切られたような気持ちになります。もう、あんな思いをするのはイヤなんです」
 訴えかけるような司子の目に、とうとう繁行は負けた。
「わ、分かりました。実は、ひとつだけ隠していることが……」
「え? 何ですか?」
 司子は大きく目を見開いて尋ねた。繁行は勇気を奮い起こす。
「実は、私は──」
 そう言って繁行は、おもむろに頭のカツラを取って見せた。ガチャンと司子のコーヒーカップが音を立てる。繁行のツヤやかに光る頭皮を見た司子は、驚きのあまり、口許を覆った。
 その後、この縁談は破談となり、繁行は自分の正直さを呪った。


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