RED文庫]  [新・読書感想文



今夜は無礼講


「さあ、今夜は無礼講だ! ジャンジャン、飲んでくれよ!」
 乾杯の音頭をとった阿川課長が景気良く付け加えた。
 いつもはしかめっ面をして、部下を怒鳴り散らしてばかりいる課長である。当然、彼の部下たちは訝った。課長が課内の親睦を図るため飲み会を開こうと提案してきたのにも驚いたのだが、一体、どういう心境の変化で部下たちへの接し方を変えてきたのか。
 部下たちはおずおずと乾杯したグラスのビールに口をつけた。皆、阿川課長の方を窺っていて、宴会と言うよりはお通夜の席だ。
 阿川課長はそんな場の空気を読みとると、自分から席を立って、部下たちにビールをつぎ始めた。天地がひっくり返りでもしなければ有り得ないと考えられていた態度の豹変に、他の部下たちは目を剥いた。
「さあ、戸根田くん。いつもご苦労だね。ほら、グッと空けて」
 恐縮しまくる戸根田に、阿川課長はビールを注いだ。
「か、課長、どうしちゃったんですか?」
 いつも一言多いと言われている戸根田は勇気を持って尋ねたというよりも、口が滑った感じだった。すると、課長は目尻を下げて、似合わない笑顔を作る。
「いや、これまで君たちとのコミュニケーションが足りないと思ってね。いつも、私が一方的に君たちのミスを叱るばかりだろう。これではいけないと思い立ったんだ。もっと君たちにも私に言いたいことがあるはずだ。これから会社を良くしていくためにも、君たちの忌憚のない意見を聞いておこうと思ってね。まあ、いきなりは面と向かっては無理だろうから、こういう酒の席を用意したわけだ」
 課長の言葉に、みんなが耳をそばだてていた。なるほど、やっと課長もワンマンな手法を改心したのだな、と納得する。
「どうだい、戸根田くん。私に何か言いたいことはないかね?」
 阿川課長は改めて戸根田に尋ねた。
 戸根田はちょっと考えてから答えた。
「そうですね。やっぱり、私たちを叱るときなんですが、もっと手短にスパッと終わらせて欲しいですね。ねちねち、ねちねち、直立不動のまま聞かされる方はたまらんです。確かにミスをした私たちもいけないんですが、もっと要点をまとめて、スパッと男らしくいかないものでしょうか」
「ほう、『男らしく』かね?」
 阿川課長のこめかみが、ぴくりと動いた。戸根田は、しまった、と焦る。だが、課長は必死になって笑顔を保とうとしていた。
「な、なるほど。叱るときは短くか。そうだな、私の説教を聞くよりも、仕事に専念した方がいいだろうし。分かった、今後は気をつけよう」
 課長がそう言ってくれて、戸根田はホッと胸を撫で下ろした。いつものように一言多すぎて、課長を激怒させてしまったかと恐れていたのだ。
 しかし、課長は本気で部下たちの声を聞こうとしているようだった。ビール瓶を持ちながら各席に移動し、課員たちの意見に耳を傾けていく。
 最初は遠慮しがちだった課員たちだが、段々とアルコールの度合いが進んでいくうちに、口がなめらかになっていった。
「課長、我々が先に退社するとき、睨むような目つきをするのはやめてください」
「課長、パソコンのキーボードをあんなにバシバシ叩かないでください。何か日頃の不満をぶつけているように見えます」
「課長、社員食堂で個人の好き嫌いをいちいち注意しないでください。もう子供じゃないんですから」
「課長、貧乏揺すりはやめてください」
「課長、忙しいときに限って急な仕事を持ってくるのはやめてください。それとも私に何か恨みでも?」
「課長、常に自分が正しいと思わないでください。課長にだって、間違っていることはたくさんあります」
「課長、気分の浮き沈みが激しすぎます。それを仕事に持ち込まないでください」
「課長、たまに電話で居留守を使うのはやめてください。どうして、取引先にはああも弱腰なんですか?」
「課長、私のお尻をいやらしい目で見ないで」
「課長の使っている整髪料、臭いがキツいんですけど」
 調子に乗った課員たちは、日頃から思っていることを全部吐きだした。
 阿川課長はそれをすべて聞いた。途中、幾度となく酔いと怒りから顔を真っ赤にさせ、怒鳴り声が口をつきそうになったが、それを何とか思い留まる。
 こうして、無礼講の夜は更けていった。



 翌日、阿川課長は社長室に呼ばれた。
 社長は一礼する阿川課長にうなずいて見せた。
「この度はすまなかったね。君に嫌な役目を押しつけたようで。君も部下たちに対して、心苦しいところがあるだろう」
「いいえ」
 阿川課長はキッパリと言った。
「おかげさまで、心置きなく人選させていただきました。これがそのリストです」
 それは昨夜、課長に対して意見を述べた課員たち全員の名前が書かれたリストラ名簿だった。


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