「卒業生、起立」
司会進行役の英語教師が、高さを微調整されたマイクに向かって、おごそかに号令をかけた。
私はパイプ椅子から立ち上がった。平成××年度の卒業生として。
しかし、私の他に卒業生はいない。今年、この高校から卒業するのは私、高橋由茄、一人だけ。
三年前の入学式には、総勢二百七十名の新入生がこの体育館に集った。最近、よくあの頃を思い出す。皆、新しい高校生活に、それぞれの夢を膨らませていたものだ。明るい未来がきっと待っている。そう信じて疑わなかったのに……。
昨年の春、私たちはオーストラリアへ修学旅行に行った。ところが、帰りの飛行機が原因不明のエンジン・トラブルで墜落。事故当時、私の記憶にあるのは、エンジンが火の玉となって爆発するところと、同級生たちの絶叫にも似た悲鳴だけだった。
それからどうなったか。
私は奇跡的に助かった。──いや、本当なら死んでいてもおかしくなかったという。瀕死だった私を救うため、世界でも名だたる医療スタッフが集結し、実に四十回以上もの大手術を敢行したのである。そのおかげで私は一命を取り留めた。
だが、私以外の同級生は、誰も助からなかった。私のように救助されたものの、手の施しようがなかった人もいるし、そのまま海の藻屑となって帰らぬ人になってしまった同級生もいる。私がそれを知ったのは、事故から半年後の退院した翌日だった。
今、私の後ろには、死んだ同級生たちの肉親が遺影を抱えながら参列している。何事もなければ、迎えられるはずだった卒業式。もう見ることの出来ない我が子の晴れ姿を、たった一人の生き残りである私に重ね合わせているに違いない。その視線は振り向かずとも、痛いほど背中に感じた。
「卒業証書授与。代表、三年九組、高橋由茄」
「はい」
名前を呼ばれた私は、亡くなった同級生たちの代表として壇上に上がった。校長先生が卒業証書を読み上げる。
「卒業証書。三年九組、高橋由茄殿。貴方は県立J高等学校の全課程を修めましたので、ここに卒業証書を授与し、本校を卒業したことを証します。平成××年三月一日。校長、三村長朗。おめでとう!」
私が卒業証書を受け取ろうとすると、会場に割れんばかりの拍手が鳴り響いた。見守っている父兄たちのものだ。中には感情を堪えきれず、すすり泣きや嗚咽も聞こえてきた。
私は卒業証書を両手で拝受した。その私の手には、まだ指先まで包帯が巻かれている。いや、腕だけではない。足も、身体も、そして顔までも、全身が包帯にくるまれていた。
手術が成功し、どうにか退院できた私だったが、事故以前と同じ生活へ戻るのに、さらなる時間を要した。何しろ、今もそうだが、全身はミイラのように包帯でぐるぐる巻き。歩行も困難で、最初のうちは車椅子が手放せなかった。それを懸命のリハビリで克服。加えて、入院で半年も遅れた学校の勉強にも必死に追いつき、今日、こうして卒業を迎えることが出来たというわけである。
私が壇上から降りようとすると、来賓席に白衣を着た男の人たちがいることに気づいた。見覚えがある。私の命を救ってくれた著名な医師たちだ。
私は壇上から降りると、命の恩人である先生たちに挨拶した。
「先生方、その節はお世話になりました。おかげさまで、こうして無事に卒業式を迎えることができました」
「うん、由茄ちゃん、おめでとう。私たちも、こうして由茄ちゃんが元気になったのを見て嬉しいよ」
医療スタッフの中心的人物だった先生が固い笑顔を見せた。いつの間にか、私の両親も近くまで来ている。娘の卒業を喜んでいるというより、なぜか不安に顔色を曇らせているといった感じがした。
「今日はね、もうひとつお祝いがあるんだ」
「もうひとつのお祝い?」
先生の言葉に私は首を傾げた。すると先生は私の後ろに回る。
「ずっと、その包帯をしているように言ってきたけど、ついに外してもいいときが来たんだよ。由茄ちゃんも早く取りたくて仕方なかっただろ?」
確かに、この包帯のおかげでお風呂にも入れず、難儀してきた。身体の動きも窮屈である。しかし、ずっと傷に障るからと、先生たちは包帯を取らないように厳重注意してきた。それが今日、やっと取れることになろうとは──
「本当ですか?」
「ああ、本当だとも。こうして私たちが集まったのは、由茄ちゃんの顔や身体に傷が残っていないか調べるためなんだ。もちろん、私たちはそんな心配などないと信じているがね」
「………」
「じゃあ、由茄ちゃん、包帯を取るよ」
先生は私の顔の包帯を外し始めた。私は反射的に目をつむる。久しぶりに顔の皮膚が外気に触れた。
「おおっ!」
包帯の取れた私の顔を見て、先生たちがどよめいた。それに反して、
「ああっ!」
と私の母がショックを受けたように嘆き、父に抱えられた。この対照的な反応は、一体、何なのか。
「由茄ちゃん、自分で見てみるかい?」
そう言って先生は手鏡を私に渡してくれた。私は恐る恐る、鏡を覗き込む。
「──っ!?」
ガシャン!
私は思わず、手鏡を落としてしまった。割れた鏡が床に飛び散る。
「これが私の顔……」
先生たちが保証したように、私の顔に傷などは一切残っていなかった。まるで生まれたてのような、きれいなものである。しかし、私の顔は私の顔にあらず。どういうわけか、まるで見たこともない別人の顔になっていた。
「驚いたかい? 無理もないだろうね。今まで黙っていてすまなかった。由茄ちゃんは一命を取り留めたとはいえ、それはもうひどい状態だったんだ。そこで私たちは由茄ちゃんのお父さんとお母さん、それに事故の犠牲となった生徒さんたちの父兄と相談して、みんなの命を由茄ちゃんに分け与えることにしたんだよ。その目も、その鼻も、その口も、その耳も、歯も、舌も、髪の毛も──いや、顔だけじゃない、手足の指一本から内臓や筋肉、骨格に至るまで、すべてが誰かの体の一部だったものだ。由茄ちゃんは正に卒業生一同そのものの身体なんだよ」
「そ、そんな……」
私は愕然とした。驚くべき真実。両親はそんな私を見て不憫に思ったのだろうか、抱き合うようにして泣いていた。それでも当時は娘の命が助かればと、こんな前代未聞の移植手術を懇願したのだろう。そして、我が子を失った父兄たちも願ったに違いない。どのような形であれ、自分の息子や娘の一部が生き続けることを。
今まで、私たちのことを黙って見ていた同級生たちの父兄は、さらに感極まったように号泣していた。きっと私の中に我が子を見出しているのだ。それぞれが子供の名前を呼んでいた。
「マサオ!」
「しのぶ!」
「ユイ!」
「ひとし!」
まるで自分の子供が帰ってきたような錯覚に陥ったのか、死んだ同級生たちの父兄は私に群がってきた。
私は誰? 私は何者? 私は高橋由茄だったはず。でも、この身体は死んだ同級生たちの一部で出来た、つぎはぎだらけの肉体……。
「いやあああああああああっ!」
私の自我は呆気なく崩壊した。