RED文庫]  [新・読書感想文



ライフセイバー


 夏──海水浴。
 誰もが波と戯れ、砂浜に寝そべって肌をこんがり焼いているというのに、オレはただ黙々と海に目を光らせていた。照りつける太陽の日射しに、うだるような暑さ。オレは用意してきたスポーツドリンクを口に含んだが、顔をしかめたくなるくらい、すでにぬるくなっていた。
 だが、それでもオレは海の監視を続けた。それがオレの仕事だからだ。
 オレの仕事はライフセイバー。海水浴場で海水浴客たちの安全を監視し、万が一、誰かが溺れたりしたら人命救助に当たる。一見、格好良く思えるかも知れないが、仕事の内容は、結構、ハードだ。なにしろ、一時も気を抜けない。事故が起きたら、一分一秒を争うのだ。
 オレがこの仕事を選んだのも、小学生のとき、海で溺れた経験があるからだ。あのとき、もし近くにいた大人が助けてくれなかったら、オレの命はなかっただろう。オレはそのときの経験を踏まえて、泳ぎを上達させていったし、人命救助に必要な知識と技術を学んだ。せっかくの楽しい海水浴が、痛ましい惨劇の地にならないようにと。
 今日の未明、この近くを台風が通過していたせいで、いつもより波が高かった。こういう日は注意しないといけない。それに砂浜に打ち上げられる流木なども事故の元だ。海ばかりでなく、波打ち際にも警戒しておく必要があった。
 オレは監視台の上から双眼鏡を使って、海水浴場を一通り見渡した。気温が三十度以上に達している休日のせいか、昼近くになってから、かなり混雑し始めている。これは迷子の捜索願も多そうだと感じた。
 ふと、イモ洗い状態の波打ち際から、沖合の方へと目を転じてみた。ここはマリーナが近いせいで、よく水上バイクの侵入がある。もちろん、水上バイクと遊泳者がぶつかったら大変だ。水上バイクの搭乗者には、むやみに海岸へ近づかないよう警告してあった。
 そのとき、オレは一人の女性の姿が目に止まった。海岸から二百メートルといったところだろうか。若い女性がぽつんと海を漂っていた。
 溺れてはいない。胸から上を出して、立ち泳ぎをしているようだ。しかし、どんどん岸から離れていってしまっている。ひょっとすると流されているのかも知れない。
 オレは無線機で本部に連絡した。
「こちら名波。沖合に女性一名を発見! どうやら、流されているようです!」
『了解! 至急、救命ボートを派遣する!』
 十秒と間を置かず、待機していたボート班三名が救命ボートを抱えて走り出した。ホイッスルを鳴らし、海水浴客たちに道を開けるよう指示する。海へ到達すると、ボートを押しながら、一人、また一人と阿吽の呼吸で乗り込んでいった。
 ボート班はオールをあやつりながら、海へと漕ぎ出した。先頭のライフセイバーが、時折、ホイッスルを吹いて、遊泳者に近づかないよう注意を与える。好奇心いっぱいの遊泳者は、何が起きたのかと興味津々で、なかなか進路を譲ろうとしない。こうしている間にも女性は。オレは双眼鏡でボート班を見つめながら、胃がキリキリするような思いを味わった。
 そのとき、急にボートが転覆した。右の方へと傾ぎ、乗っていた三人が次々に落ちていく。オレは何が起きたのかと思った。
 よくよく見てみると、近くに難破船の残骸のような板きれが浮かんでいた。どうやらこれがボートに穴を開けたらしい。しかも運が悪いことに、落ちた一人がやはり板きれで頭を負傷したようだ。水に落としたインクのように、血が海ににじんでいくのが、双眼鏡から確認できた。
 次の瞬間、オレは躊躇なく監視台を飛び降りた。本当は、何があろうとも無断で監視台を離れてはいけない。監視員の役目はあくまでも監視であって、人命救助は救助班に任せなくてはいけないのだ。
 だが、事態は急を要した。ボート班の男たちは、負傷した一名を岸へ運ぼうとしている。それなのに、沖合の女性に対しては、誰も助ける者がいなかった。
 オレはTシャツを脱ぎ捨てると、海へと飛び込んだ。クロールで女性救出に向かう。荒い波が打ち寄せてきても、オレはそれを掻き分けるようにして進んだ。
「大丈夫か!?」
 沖合の女性のところまで、オレは泳ぎ着いた。女性と同じように流されてしまうのでは、という恐れがあったが、幸いにもそんなことはない。オレはさらに女性へ近づこうとした。すると──
「来ないで!」
 女性はオレが近づくことを拒絶した。美人だが、ちょっと気の強そうな顔つき。実際、オレの方を睨んでいた。
「それ以上、沖合に行くと危険です! 一緒に戻りましょう!」
 オレはそう言ったが、彼女は首を振った。
「イヤ! 私のことはほっといて! それ以上、近づかないで!」
 どうやら、彼女は自殺を図る気らしい。そんなこと、オレの目の前でさせるものか。
「考え直してください! そんなことをしたら、ご両親が悲しみますよ?」
「何言ってんのよ、あなた!? そんなの関係ないでしょ!?」
「いいえ! ライフセイバーとして、あなたを見捨てるわけにはいきません!」
「私を助ける!? ふざけないで!」
「ふざけてなんていません! さあ、こっちへ! 陸に上がってから、ちゃんと話をしましょう!」
「陸へ!? 冗談じゃないわ!」
 彼女は激昂していた。しょうがない。こうなったら力ずくでも。
 オレはさらにクロールで彼女に近づいた。
「ちょっと、来ないでったら!」
 激しい抵抗に遭いながらも、オレはやっとのことで彼女を捕まえた。
「大人しくしてください。さあ、帰りましょう」
「帰る? 私は、たった今、帰るところだったのに! あなた、私のことをちゃんと見てから言ってよね!」
「え?」
 そう言われてから、オレはまじまじと彼女を見つめた。
「どうやったら、私が溺れ死ぬことができるって言うの?」
 呆れ顔の彼女は、下半身に虹色の鱗を持つ人魚だった。


<END>


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