RED文庫]  [新・読書感想文


◆突発性競作企画第19弾「四季・冬」参加作品◆

黎  明


 空はまだ暗い。
 僕は彼女の手を引きながら、急勾配の坂を登っていた。いや、坂なんて生やさしいものじゃない。道など存在しない崖の斜面だ。落ち葉に埋もれかかった足下に気をつけないと、滑り落ちてしまいそうである。僕は右手では彼女の手をしっかりと握りながら、反対の手は細い木の幹をつかんで、二人の体重を引き上げていった。
 これだけ体力的にキツいことしていれば、体中から汗が噴き出てもよさそうなものだが、冬の夜明け前の寒さはアッという間に体温を奪っていった。すべてを凍てつかせる冷気が足先より這いのぼり、僕の動きを少しでも阻害しようとしている。僕はそれに負けじと、口から白い息を吐きながら、ひたすら上を目指した。
 僕の手につかまっている彼女も、無言で斜面を登り続けていた。男の僕でさえキツい道のりなのだから、女の子である彼女にとっては、なおさら過酷な行程に違いない。にも関わらず、彼女は一切、音を上げはしなかった。今にも泣きそうな顔をしながらも、必死に僕のあとをついてくる。
「大丈夫?」
「ええ」
「もう少しだから、がんばって」
「うん」
 僕は彼女を励ました。また、彼女の返事が僕を奮い立たせた。あと少し。そうすれば頂上だ。
 もうどれくらい、そうやって登っていただろうか。僕は腕時計を見た。六時四十二分。もう何分かすれば夜が明ける。
 二〇××年の初日の出。
 僕らがこんなにも大変な思いをしながら、この急斜面を登っているのは、その初日の出を拝むためであった。
 太陽は東から昇る。だから、なるべく東の方角へ行けば、早く日の出が見られるはず。そんな理由から、わざわざ、この場所を選んだのだった。
 ようやく僕らは斜面を登りきった。お互い、ゼェゼェ、ハァハァと息を切らせる。しばらく苦しくて、頂上へ到達した喜びなど、すぐには込み上げてこなかった。
 崖の東側は防護柵もない絶壁だった。その下には暗い海が広がって、波が打ち寄せている。水平線へ目を移すと、青白い輝きが次第に空を照らし始めているところだった。しかし、その空には雲が多い。ちゃんと初日の出が見られるのか、僕は不安になった。
「まだなの?」
 彼女が僕に尋ねた。無論、初日の出の時間のことだ。
「もうすぐだよ」
 正確な日の出の時間は知らなかったが、僕は自分に言い聞かせるように言った。初日の出は必ず見られる。絶対に。
 僕の隣で彼女が震えていた。歯の根が合わないのか、ガチガチという音まで聞こえてくる。多分、影響しているのは寒さだけではないはずだ。僕は彼女の身体を引き寄せるようにして腕を回した。そして、しっかりと抱きしめる。
 そのとき、僕たちの時間の感覚は麻痺していたのかもしれない。腕時計の針が刻む一分一秒が、このときばかりは十倍にも二十倍にも遅く感じられた。なかなか昇らない初日の出にジリジリする。ひょっとしたら、もう二度と太陽は昇らないのではないか。そんなバカバカしいことを思ったりもした。
 二人で初日の出の瞬間を待っていると、かすかに背後の斜面の方で物音が聞こえた。サクサクという落ち葉を踏みしめる音。僕らと同じく、誰かがここへ登ってきているのだ。それも一人ではない。大勢だ。
 こんな場所、普段なら自殺志願者でもない限り、誰も訪れないだろう。それなのに、と僕は歯噛みした。だが、どうしようもない。
「お願い。早く昇って」
 彼女は一心に祈っていた。もちろん、未だ水平線の彼方にある太陽に。確かに、今、僕らにできることといったら、それくらいしかない。僕も彼女と一緒に祈った。一刻も早く初日の出が昇るよう。
 そうこうしている間に、後ろの気配は間近まで迫っていた。あえて振り返って確認はしなかったが、多分、頂上まで手がかかっているに違いない。ここまでか。
「あっ!」
 突然、彼女が声を上げた。そして、東の空を指差す。
 ぼんやりとした光の輪郭が水平線上に顔を出した。それは見る見るうちに昇り始め、眩さを放ちながら、海から空へと浮かび上がっていく。と同時に、夜のとばりが取り払われ、瞬く間に青い空が僕らの頭上に広がっていった。
 御来光だ。
 このときほど、僕は太陽の存在に感謝したことはなかっただろう。太陽の光がこれほど暖かく、これほど安らぎをもたらしてくれるものだとは。
「ぎゃああああああああっ!」
 おぞましい断末魔が僕たちの背後から聞こえた。振り向くと、崖の頂上へ辿り着いた吸血鬼たちが次々と灰になっていく。初日の出を──太陽の光を浴びたからだ。
 昨夜、僕らの街を突如として襲った吸血鬼たちは、ヤツらが苦手としている太陽によって、一瞬にして滅ぼされていった。一晩中、逃げ惑った僕と彼女は、なんとか生き延びることができたのだ。
 しかし、あの化け物たちによって、どれだけの被害が出たのか分からない。家族や友人たちは、一体、どうなったのだろうか。僕らはこれから直面する現実に恐れを抱きながらも、新年の朝を迎えた街へと下り始めた。


<END>



 突発性競作企画第19弾「四季・冬」


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