RED文庫]  [新・読書感想文


悲しみのパラドックス


「誰だ!?」
 しまった。見つかった。
 こうなったら仕方ない。オレは物陰から姿を現した。
「キミは?」
 研究室にただ一人残っていた白髪白衣の老人が尋ねた。しかし、オレはそれには答えず、素早く目的の場所へと移動する。老人には止める間もない。
「待ちたまえ!」
 オレは目の前にある乗り物のハッチを開けた。主電源は入れっぱなしになっており、オレも操縦方法は分かっている。あとは動かすだけだ。
 老人は重そうな身体でタラップを上がってきた。
「いかん! こいつはまだテスト段階だ! どんな危険があるか──」
「テストならオレがしてやりますよ、博士」
 オレは振り返って、言葉を返した。博士はオレの顔に見覚えがあったのだろう。そうだ。このタイムマシンの開発には、オレも携わったのだから。
「どこへ飛ぶつもりだね?」
 博士はオレを見据えながら質問した。
「三年前に」
 別に答える必要はなかったはずだ。それなのにオレは答えていた。
「三年前だと?」
「ああ。三年前の十月二十二日、オレの婚約者が死んだ。その真相を確かめたいんだ」
「キミの……婚約者……」
「そう。あの日、あずさは奥多摩にある吊り橋から転落死した。以前から一緒に行こうと約束していた場所だ。だが、その日、オレは仕事で行けなくなった。あずさが一人で出かけたのは、多分、仕事にばかりかまけているオレへの当てつけだったんだろう。それきり、あずさは帰ってこなかった」
「………」
「なぜ、彼女が吊り橋から落ちたのか? オレはその原因が知りたい! 事故だとも自殺だとも言われているが、あのあずさがどうして……」
「そして、あわよくば彼女を助けたいと言うのか?」
「──っ!」
 オレは虚を突かれた。確かに、それを考えなかったわけではない。過去に行って、彼女を救い出す。そうすれば彼女は死なずに、現在も生きていられるはずだ。
「いいかね? たとえ、タイムトラベルが成功しても過去を変えることは出来ない。キミの婚約者は死ぬ運命にあるんだ。キミはそれを間近で見る勇気があるのかね?」
「親殺しのパラドックスですか? オレは信じません。過去だって変えることはできるはず。それも確かめてきますよ。──申し訳ありませんが、これ以上、博士と論議している暇はありません。オレはこのタイムマシンで過去へ行きます!」
 オレは博士の制止も振り切って、タイムマシンへ乗り込んだ。目的地と時間をセットし、タイムマシンを起動させる。
 小さな窓の外では博士が何事かを叫んでいたが、中のオレには聞こえなかった。タイムマシンは唸りをあげて、わずかに浮かび上がる。そして、光彩が周囲を取り巻き、次第に窓の外がぼやけ始めた。
 次の瞬間、まるで無数の星が流れるように光が後ろへ吹っ飛び、オレの身体はシートに押しつけられた。猛烈なGだ。体中の骨が軋む音を聞いたような気がした。
 人類初のタイムトラベル。
 オレはその偉業を達成しようとしていた。
 身体をペシャンコにされそうになりながらも、オレはコンソールに表示されているタイム・カウンターを見つめた。狂ったように時間がさかのぼっていく。あと少し。そうすれば、死んだあずさに会える。
 不意にGが消失し、オレは急に身体が軽くなった。タイムマシンが時間の壁を飛び越え、過去へと到着したのだ。タイム・カウンターは間違いなく三年前の十月二十二日を示している。
「やった!」
 オレが喜んだのも束の間だった。軽い衝撃が機体から伝わってくる。何かにぶつかったらしい。と同時に──
「きゃあああああっ!」
 女性の悲鳴が聞こえた。どうしたんだ? いったい、何が?
 オレは小窓から外を覗いた。
 谷底へ一人の女性が落下していくのが見えた。あずさだ。オレはこともあろうにタイムマシンを三年前の事故現場に出現させ、吊り橋を渡っていたあずさを突き飛ばしてしまったのだった。まさか、これが転落事故の真相とは……。
「あ、あずさぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 オレの絶叫は渓谷に落ちたあずさに届きはしなかった。


<END>


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