RED文庫]  [新・読書感想文



エンドレス


「私を驚かせてちょうだい」
 突然、両親の前で莉李子が言った。食事中だった父と母は顔を見合す。
「どういうことだい、莉李子?」
 父が言葉の意味を図りかねて、娘に尋ねる。すると莉李子はテーブルの下から一冊の本を取り出した。
「だって、この本に、しゃっくりを止めるには、誰かに驚かせてもらうのが一番ってあったのよ。そうしたら、私のしゃっくりも止まるんじゃないかって」
 莉李子は生まれつき、特異体質だった。年がら年中、しゃっくりが出て止まらないのだ。
 莉李子の父は世界的な大富豪で、金に糸目はつけずに名医を捜し、しゃっくりを止めようとしたが、その努力はすべて徒労に終わっていた。やがて、莉李子は美しく成長し、今は中学一年生にまでなっているが、学校には通ってはいない。このしゃっくりをする体質が改善されない限り、学校でいじめられるだろうという両親の配慮から、勉強は屋敷に家庭教師を呼ぶ形で行われ、彼女は一歩も外へ出たことがないのだ。しゃっくりに悩まされる他は、いつも明るく振る舞っている莉李子だが、やはり普通の女の子として生活したいのだろう。
 両親は莉李子の気持ちが痛いほどに分かっていた。気遣わしげに目線を交わす。
 そこへ、莉李子の背後から、そっと近づく人物がいた。
「わっ!」
「きゃーっ!」
 いきなり後ろから脅かされて、莉李子は悲鳴を上げた。手にしていた本を落としてしまうほどだ。
「どうです? これでよろしゅうございますか、お嬢様?」
 莉李子を脅かしたのは、長年、この家にいる給仕の男性だった。この他にも屋敷内には八十名程度の執事や女中が働いている。皆、莉李子のことが好きで、この奇病ともいうべきものには胸を痛めていた。
 お望みの通り、心臓が止まりそうなくらい驚いた莉李子であったが、残念ながらしゃっくりは止まらなかった。しかし、莉李子は給仕の心配りに甚く感謝する。
「ありがとう、私のために。うれしかったわ」
 その後、屋敷内の使用人たちは、莉李子の願いどおり、ありとあらゆる手段を使って驚かせようとした。
 あるときは、屋敷に侵入した賊に扮して、莉李子を空砲の拳銃で撃ってみたり。
 あるときは、スープの中に、本物そっくりなおもちゃの目玉を浮かべてみたり。
 あるときは、莉李子の前でいきなり血を吐き、倒れる芝居をしてみたり。
 あるときは、部屋のすべての家具を移動させ、戻ってきた莉李子を驚かせたり。
 あるときは、水道から真っ赤な血が流れるように細工をしたり。
 だが、いずれも莉李子を脅かすには充分なものの、肝心なしゃっくりを止めるまでには至らず、とうとう使用人たちも万策尽きて落胆した。
 それを見かねた両親が、莉李子に語りかけた。
「莉李子。そんなことをしても、お前の奇病は治らない。もう、あきらめなさい」
 父と母に諭され、莉李子は悲しみに沈んだ。
「どうして……どうして、私のしゃっくりは止まらないんですか?」
「それはね、莉李子……」
 母が言い淀んだ。その隣で父が沈痛な面持ちになり、言葉を引き継ぐ。
「実は、お前にはずっと言わないでおいたのだが……」
「な、なに?」
「じ、実はな、今までお前が傷つくと思って偽ってきたのだが、それはしゃっくりなどではないのだ」
 父は真実を話すべきときが訪れたと覚悟した。莉李子は目を瞠る。
「じゃあ、これはなんなの?」
「そ、それはな……」
 一度は決意したものの、父はためらった。母も口を閉ざす。莉李子は両親の言葉を待ちながらも、今までしゃっくりだと教えてられてきたものが次々と出るのを止められなかった。
 プゥー……プ、プ、プゥ、プププププッ……プゥーッ……、と出るオナラを。


<END>


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