「うぅぅぅぅぅぅっ……」
今日は第一志望校の合格発表の日だというのに、オレは朝から三十九度近い熱を出し、情けなくもぶっ倒れていた。
立ち上がろうとすると世界はぐにゃりと歪み、まるで酔っぱらいのように足元がふらついた。これでは外出なんて到底できない。吐き気のせいで食欲もなく、ベッドに横たわって唸っているしかなかった。火照った体に、氷枕がひんやりとして気持ちいい。
朦朧とした頭で、時計を見た。そろそろ合格発表がある時間だ。オレの両親は共働きなので、わざわざ仕事を休ませてまで行ってもらうのは忍びないだろうと、結果は一緒に受験したアサミに見てもらうよう頼んである。
アサミはオレの彼女だ。高校三年に進級するとき、ずっと好きだったアサミに、オレはなけなしの勇気を振り絞って告白し、奇跡的にOKをもらったのである。今でも、あれは夢だったんじゃないかと疑うほどだ。それくらいアサミは男子の間でも人気があったし、誰かと付き合っているという噂もあった。
アサミと付き合うようになって、オレは浮かれた。こんなことなら、もっと早く告白するんだったと後悔したものだ。高校三年生は、進路で思い悩む一年でもある。
実のところ、オレがA大を第一志望にしたのは、アサミがそこを受験すると聞いたからだ。はっきり言って、お世辞にも勉強ができるとは言えないオレにとって、A大はハードルが高い。しかし、A大に合格しなければ、オレとアサミとの交際はわずか一年で終止符を打つことになってしまう。そんなのはイヤだ。せっかく、人生初の彼女を手に入れたのに。それからというもの、オレはしゃかりきに勉強した。
果たして入試の結果はどうだったか。正直、できたという自信がない。入試が終わって帰るとき、あまりにも手応えがなかったせいで、ひどく落ち込んだものだ。これでオレとアサミの仲も終わりかと。
体調もひどく悪いせいで、オレはマイナス思考ばかりが働いた。
そのとき、携帯電話の着信音が鳴った。アサミからのメールだ。タイトルは『無題』。オレは中身を見るのが怖かったが、それを開かないわけにもいかなかった。おっかなびっくり、アサミからのメールを読むため、携帯電話を操作する。
内容はまるで電報の電文みたいに簡潔だった。たった五文字。
『サクラ散ル』
「………」
オレは茫然とメールを眺めた。どれくらい眺めていただろう。その文章が心に沁みこむまで、しばらくかかった気がする。
オレは携帯電話の電源をオフにすると、力なくベッドに倒れ込んだ。
「ダメかぁ……ダメだったかぁ……」
きっと無念さが、すべての気力を奪ったのだろう。そのあと、オレは泥のように眠った。
それから、どのくらいの時間が経過したのか、目が覚めたのは、頭に何かが軽く触れたような気がしたからだった。目を開けて、オレはドキリとする。そこにいたのはアサミだった。
「携帯電話の電源、切ってるんだもん。裏から勝手に入って来ちゃった」
ウチの親は、雨戸を開けたあと、サッシの鍵を閉め忘れることがよくある。嘘だか本当だか、どうせ盗られて困るようなものはないからと、ウチの親はいくら注意してもまったく意に介さない。アサミは、その話を憶えていたのだろう。
「熱、下がったみたいだね」
オレの額に置いた手を引っ込めながら、アサミは微笑んだ。窓の外は暗くなり始めている。その表情は憂いを帯びていた。
「アサミ……」
オレは彼女の顔を直視できなかった。アサミとは卒業まで、あと数週間の仲。今日、そう決定づけられたのだ。きっと不甲斐ない彼氏だと思ったことだろう。一緒に勉強もしたのに。オレは涙が出そうになった。アサミも泣きそうな顔になる。
「そんな顔しないでよ。私だって、つらいんだから」
アサミはオレと別れたくないと思っているのだろうか。ひょっとして、卒業してからも、このまま付き合っていけるとか。
「私もね……」
「えっ?」
「実は、私も『サクラ散ル』だったんだ……」
「えーっ!?」
オレは熱があるのも忘れて、大きな声を出した。アサミはバツが悪そうな顔をする。
「そんなに驚くことないでしょ」
そりゃ、驚くでしょ。アサミはオレと違って勉強ができるんだから。アサミが合格することを露ほども疑っていなかった。
「あーあ、A大目指して、ずっと受験勉強してたのに。この一年間がムダになったような気分だわ。ああ、もうショック!」
アサミは髪の毛をぐしゃぐしゃにした。そんな仕種も可愛い。
オレの暗く沈んでいた心は、原子力潜水艦も及ばない急速浮上をした。
「じゃあ、じゃあ……」
オレの第二志望はB大。そして、アサミも同じくB大を受けた。合格発表は二日後だが、B大ならば、オレも合格している自信がある。ということは、オレとアサミは晴れて同じ大学に――
「浪人はしないって親と約束してるから、受かっていたらB大に行く。――ユージも一緒に行ってくれるんでしょ?」
「も、もちろん!」
オレは破顔した。そして、勢いでアサミに抱きつこうとする。しかし、アサミはオレのスケベ心を見抜いてたのか、その手からするりとすり抜けられた。
「ダーメ、一日も早く風邪を治すのが先! それに喜ぶのは、B大の合格発表を見てからでしょ!」
アサミはオレをたしなめた。
でも、オレは勝手にアサミとの大学生活を思い描いていた。今から合格発表の日が待ち遠しくなる。
今度こそ、オレには吉報が届くはずだ。
『サクラ咲ク』と。