むかしむかし、とある遠い遠い国に、それは恐ろしい大魔王がいました。
大魔王は様々な魔法を使って悪いことをし、人々を苦しめていました。すでに腕に覚えのある勇者が大魔王を退治しようと、その居城に向かいましたが、誰一人として帰ってきた者はいません。みんな、大魔王によって返り討ちにあってしまったのです。その国の王様はどうしたものかと困り果てていました。
そんなある日、王様の前に一人のみすぼらしい男が引き出されてきました。
「大臣、この男は何者だ?」
「はっ。此奴は舌先三寸で何百人という人々を騙していた悪党です。ようやく捕まえましたので、陛下に裁きを下していただきたく、このように連れて参りました」
「なるほど、詐欺師というわけじゃな。しかし、大臣よ。今、我が国は大魔王の脅威にさらされている。このような小物など、捨て置いても構わないのではないか?」
「とんでもございません、陛下! この者は、確かに金などを騙し取るだけで、肉体的に危害を加えたことはありませんが、そのせいで破産し、首をくくった者も一人や二人ではないのです。死刑に処して、当然の輩と考えます」
「ふむ、そうか」
王様は白い髭を撫でながら、目の前の詐欺師の男を見下ろしました。男は大臣の死刑という言葉を聞き、身を硬くして微動だにしません。面もまともに上げられませんでした。
やがて王様に名案が浮かびました。
「死刑にしてしまうのは簡単だが、余がこれから与える任務を成功させれば、お前の罪を許そうではないか。どうだ?」
一瞬、助かるチャンスがあると分かった男は、パッと顔を輝かせて、王様を見ました。
「ありがたきお言葉! どうぞ、なんなりと私めにお申し付けください!」
「よく言った。実はそちに大魔王を退治してきてもらいたい」
「何ですと!?」
天国から地獄とは、まさにこのことです。男は自分の耳を疑いました。数々の勇者も太刀打ちできなかった大魔王を退治せよ、とは。
しかし、ここで断ってしまえば、男は確実に処刑されるだけ。イチかバチか、男は王様からの任務を引き受けることにしました。
「任せてください。見事、大魔王を退治してご覧にいれましょう」
さすがは詐欺師。口先ではいくらでも大層なことを言えました。
次の日、男は大魔王のいる城へ向かいました。本当は、その途中で逃げてしまおうと考えていたのですが、王様が道中の警護をつけていたので、それはできません。もちろん、警護というのは口実で、本当は男を見張るためのものです。男は観念しました。
(まあ、いくら魔法が使える大魔王とは言ったって、こっちだって数えきれないくらいの修羅場をくぐりぬけて来たんだ。大魔王だって、うまく丸め込んでやる)
男は悪知恵を巡らせ、どうやって大魔王をはめてやろうか、考えながら歩きました。
そして、とうとう大魔王の城の前に到着しました。門はまるで悪魔の口のように開け放たれており、気味の悪いコウモリがキィキィと飛び回っています。王様の家来は城の入口に立ち、男が中へ入って行くのを見届けようとしていました。
こうなっては度胸を決めるしかありません。男は城の中へと入って行きました。
男が中を進んでいくと、それを導くように明かりの火が灯され、奥へ奥へと誘います。きっと、これも魔法なのでしょう。男は唾を呑み込みながら歩きました。
それからどれくらい歩いたか。男は広くて天井の高い部屋へ出ました。正面には何段か高くなった玉座が据えられており、そこに異様な人物が座っています。きっと噂の大魔王に違いありません。
大魔王はまるで牛と人間を合わせたような顔をしていました。頭から二本の角が生え、口からは猪のような牙が出ています。どんな屈強な勇者でも敵いそうにない肉体も誇っていました。
「何者だ?」
大魔王が尋ねるだけで、空気がびりびりと震えたような感じがしました。男は足をすくませます。でも、震えてばかりもいられませんでした。
「あ、あなた様が、かの有名な大魔王様で?」
「そうだ」
「わ、私は世の見聞を広めて、旅をしている者です。ここに大魔王様がいらっしゃると聞き及び、こうして参ったわけでして……」
「旅の者、とな? 確かに、お前はこれまでオレを斃しにきた人間たちとは違い、身に寸鉄すら帯びておらぬようだ。もっとも、このオレに剣や槍など通用しないがな」
「そうでしょう、そうでしょうとも」
男は釣られるように笑いました。とりあえず大魔王が旅の者と信じてくれたことで、少しだけ男の心に余裕が生まれたようです。このまま、うまく騙せれば――
「大魔王様。今日、こうして私が訪ねましたのは、あの噂に名高いという変身術を大魔王様に見せていただきたいと思ったからです」
「なに、変身術を?」
「はい。変身術は魔法に通じた者の中でも、真に魔法を極めた者にしか使えぬと聞いたことがございます。よろしければ、この私めに大魔王様の変身術を見せていただきたいのです」
大魔王は男の顔をジッと見つめました。男は愛想笑いをして、心の中を見透かされぬよう注意します。大魔王は眉をひそめていましたが、やがて重々しくうなずきました。
「何を企んでいるかは知らぬが、変身術を見せてやるくらい造作もないこと。とくと見るがいい」
「ははっ、ありがたき幸せ」
男は膝をついて、かしこまりました。大魔王が玉座から立ち上がります。そして、呪文を唱え始めました。
「アバロン、アバロン、ドルトローン!」
ボン、という音がするや否や、大魔王の体は煙とともに消えました。それを見ていた男は目を見張ります。
「おおっ!」
次第に煙が薄れていくと、その後ろに巨大な影が見えてきました。男は目を見開いたまま、徐々に視線を上に向けていきます。最後には天井を見上げるくらいにまで。
そして――
「グオオオオオオオオオオオッ!」
凄まじい咆哮が城を揺さぶりました。男は身体が飛ばされないよう、足を踏ん張るだけで精一杯です。男の目の前で巨大なドラゴンが身をくねらせました。
「どうだ、オレの変身は?」
ドラゴンの姿になった大魔王は得意げに尋ねました。その大きさは高い天井にまで達し、ちょっと暴れたら城を壊してしまいかねません。調子に乗った大魔王は、ドラゴンの口から炎を吐き出して見せました。
「うわぁ、だ、大魔王様! わ、分かりました! み、見事な変身でございます! ですが、どうかその炎だけはご勘弁ください!」
丸焼きになりかけて、男は懸命に懇願しました。大魔王はドラゴンの姿のまま大口を開けて笑います。
「ハッハッハッ、恐れ入ったか! オレがこのように変身すれば、この国のヤツらがいくら来ようとも、あっという間に焼き殺してやるわ!」
大魔王は自分の力を誇示できて、ご満悦な様子でした。一方、男は燃えかけた服から火の粉を払うのに必死です。その奇妙な踊りは、大魔王を楽しませました。
「これで分かったか、旅の者よ。オレの変身術がいかに偉大であるかを」
「はい、確かに拝見させていただきました、大魔王様。ですが――」
「ですが、何だ? まだ何かあると言うのか?」
「大魔王様がドラゴンに変身できるのは分かりました。でも、他のものにも変身できるのですか? イヌとかネコとか、小鳥とか」
「当り前だ。オレはどんなものにでも変身できる」
男に疑われた大魔王は、ちょっぴり気分を害したようでした。でも、それこそが男の狙いだったのです。
「本当でございますか? でも、さすがに豆粒みたいな小さなものは無理でございましょう?」
「そんなことはない。簡単なことだ」
「では、やってみてくださいませ。私はこの目で見たものしか信じませんので」
男の挑戦に大魔王は乗りました。再び呪文を唱え出します。
「疑り深いヤツめ。見ていろ! ――アバロン、アバロン、ドルトローン!」
またもや、ボン、という音がして、周囲は白い煙に包まれました。その瞬間を待っていた男は一気に走り出し、大魔王が立っていた辺りを思い切り踏みつけようとしました。
「引っかかったな、大魔王! これでお前も最期だ!」
男が勝利を確信したときです。その瞬間、男は悲鳴をあげました。
「ぎゃあああああああああっ!」
男は小さな画鋲に変身した大魔王を踏んでしまい、片足でピョンピョンと跳ねまわる羽目になりました。
その後、この愚かな男が大魔王の怒りを買ったのは言うまでもありません。
めでたし、めでたし。