「おばあちゃーん」
　精肉店の前で今夜のおかずを選んでいた央乃は、ふとかけられた可愛い声に首を巡らせた。孫の花音だ。幼稚園の帰りらしく、自転車を押した母親の里桜も一緒だ。央乃と同じく、買い物の途中のようだった。
　花音は祖母である央乃の脚に抱きついてきた。息子夫婦の家は近所だが、こうして孫娘に会うのも久しぶりである。嫁の里桜があまり夫の実家である央乃のところへ寄りつきたくないことは、かねてより分かっていることだが。
「お久しぶりです、お義母さま」
　表情だけは笑顔を取り繕って、里桜は挨拶してきた。まだ二十六歳ではあるが、子供一人を生んだ母親にしてはティーンエイジャーのような衣裳。何より央乃の血圧を一気に上げそうなのが、恥じらいもなさそうな短いスカートだ。こんな格好で自転車に乗り、花音を送り迎えしているのかと思うと、央乃は頭痛を覚えずにいられなかった。
　央乃からすれば、あまり気乗りのしない結婚だった。しかし、息子の慎哉が決めた以上、親がどうこう言うわけにもいかない。何より、もうすぐ四十になりかけていた息子には、早く結婚して欲しかったのも事実だ。
　それでも、嫁は嫁、孫は孫。待望の孫娘ができたことは、央乃にとっても喜びだった。やっぱり女の子は可愛い。慎哉しか授からなかった央乃にしてみれば、それこそ目の中に入れても痛くない存在だった。
　あとは、せっかく近所同士なのだから、もう少し頻繁に顔を見せてくれればいいのだが。
「慎哉はどう？　元気？」
　電話一本もよこさない息子の近況を嫁に尋ねた。慎哉は大手商社に勤めていて、社内でも重要なポストを任されているらしい。
「それが最近、忙しいみたいで。日曜日もまともに休めていないんです」
「あら、そうなの。身体は大丈夫なのかしら？」
「ええ。ちょっとは疲れているみたいですけど、どこか体調を崩したということはないようです」
　そう言えば、昔から慎哉は風邪ひとつ引いたことがなかった。息子の数少ない取り柄のひとつだ。
「ねえ、おばあちゃん」
　スカートの裾を花音が引っ張った。
「ん？」
「これ見て。花音が描いたの」
　花音は手に持っていた筒状に丸めた画用紙を央乃に差し出した。央乃はそれを受け取って、広げてみる。
「まあ！」
　それは花音が描いた絵だった。小さな花音を真ん中に、右に里桜、左に慎哉が描かれていて、親子が仲良く手をつないでいる。後ろには観覧車のようなものも描き込まれていた。
「こないだ遊園地に行ったときの絵だよ。ひろこ先生に褒められたんだ。『大変よくできました』って」
「へえ、そうなの。おばあちゃんも、よく描けていると思うわ」
　それは祖母の贔屓目などではなく、客観的に見ても、四歳にしてはうまく描けている絵だと央乃は思った。これなら先生に褒められたというのもうなずける。
　もっとよく観ようと思った途端、いきなり里桜が央乃の手から絵を取りあげ、花音に返した。
「ごめんなさい、お義母さま。ちょっと急いでいるもので、これで失礼させていただきます」
　あまりにも唐突なタイミングに、央乃は面喰った。そんな央乃に構わず、里桜は娘の花音を促す。
「ほら、おばあちゃまにサヨナラして」
「おばあちゃん、さようなら」
　里桜と花音は、その場に央乃を残し、家の方角へ帰って行った。
　央乃には何だか、里桜が娘の絵を見られたくなかったために、態度を豹変させたような気がした。なぜ、そんなことをしたのだろうか。里桜が央乃のことを好いていないのは知っているが。
　そのとき、央乃は思い当たるものがあり、帰って行く嫁と孫を振り返った。
「ダメよ、花音。あの絵をおばあちゃまに見せちゃ」
「ええっ!?　だって、先生にも褒められたのにぃ」
「どうしても！　それから、パパにも見せちゃダメだからね！　いい!?」
　やっぱり。央乃には確信があった。
　日曜日もろくろく休めない慎哉が、家族三人で遊園地へ行けるわけがない。となると、あの絵の花音の隣にいた男は……。今にして思えば、いくら子供の絵とはいえ、慎哉にしては体型がスマートすぎた。
　里桜は浮気をしているのではなかろうか。これは息子の結婚生活も長くなさそうだと、央乃は陰鬱な気分になった。

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