皆さんは自分がいつ子供から大人へとなったのか、その境目となった出来事をはっきりと覚えているだろうか。
私はある。
それはコウノトリにまつわる、こんな記憶だ。
幼い頃、一人っ子だった私は、弟や妹が欲しくて、いつもママに言ったものだった。
「ねえ、ママ。どうしたら赤ちゃんができるの?」
「赤ちゃんはね、コウノトリが運んでくるのよ」
「コウノトリ?」
「そう。大きな鳥さんでね、子供が欲しいお家に可愛い赤ちゃんを運んでくるの」
「じゃあ、ウチにもいつか、赤ちゃん来るかなぁ?」
「さあ、どうかしらねえ。ショウコがいい子にしていれば、運んで来てくれるかもしれないわねえ」
ママはいつもそうやって曖昧に笑い、私をはぐらかした。
あとになってみればどうということはないのだが、ママは一人で私を育てており、父親やそれに代わる存在はいなかった。だから、弟や妹ができるはずはなかったのだ。しかし、そんな知識などない幼い頃の私は、すっかりとママが聞かせるコウノトリの話を信じてしまっていた。
ところが、その話を幼稚園のサクラちゃんやマコちゃんに話すと、そんなのはウソだと教えられた。
「ショウコちゃん、赤ちゃんはママのお腹から出てくるのよ。そんな何とかっていう鳥が運んできたりしないよ」
先日、妹が生まれたばかりのサクラちゃんがそう言うのだから、そうに違いないというのは、私も認めないわけにはいかなかった。私はママにウソを教えられたのだ。今なら小さな子供には早過ぎる話だったと理解しているが、当時の私にはショックであり、幼心ながら大いに傷ついた。
それからしばらくというもの、私はママの言うことに逆らい続けた。ウソをつかれたことに対する反発からだ。でも、ママには直接、コウノトリの話がウソだったということは言わなかった。
急に理由も分からず反抗期を迎えた娘にママは手を焼いた。
「そんなにママの言いつけを守れないようじゃ、コウノトリは赤ちゃんを運んでなんか来ないわよ!」
ママはそれが私を大人しくさせる効果的な方法だと思ったのだろうが、それがウソだと知った以上、言うことなど聞くはずがない。むしろ、それがさらなる逆上を生む結果となった。
「ママなんか大っキライ!」
二、三日、私はママと口をきかなかった。
そんなある日の朝、幼稚園へ行こうと、ママよりも先に玄関を開けたとき、
「ママ!」
私は驚いて、大きな声を出した。
「どうしたの?」
出かける前に火の元と戸締りを確認していたママは怪訝な顔で尋ねた。
「赤ちゃんが、赤ちゃんがいるよ!」
「えっ!?」
私は玄関の前で、おくるみに包まれたまま眠っている赤ちゃんを指差した。ママはすっかり気が動転し、サンダルも片方履いただけで外へ出てくる。赤ちゃんのおくるみには、折り畳まれた小さな紙片が挟まっていた。多分、この赤ちゃんの名前と、「この子をよろしく」といった書きつけがされていたのだろう。私は自分にやっと弟か妹ができた気になって喜んだ。
「わーい、赤ちゃんだ! 赤ちゃんだ!」
ところが、赤ちゃんを見たママはおろおろするばかりだった。
「ど、どうして……どうして、またウチに……」
捨て子を目の当たりにしたママは、そう言ったきり絶句した。
「また?」
私はママの言葉が引っかかり、自然と訊き返していた。すると、ママの顔は強張り、サッと口許を手で覆った。
そのとき、私はすべてを悟った。ママが思わず口にした、「また」という言葉の意味に。
私はこの捨て子を運んできた見知らぬコウノトリに教えられたというわけだ。
自分がママの本当の子ではなかったのだということを。
それが私の記憶している、幼年期の終わりだった。