RED文庫]  [新・読書感想文


打球の行方


 球場のボルテージは最高潮だった。
 九回裏、2アウト満塁。ランナーが二人帰れば、逆転サヨナラという場面。しかも右バッターボックスには、前の打席にホームランを打っている四番バッターがこれから立とうとしているところだ。
 オレは自分のポジションにつきながら、球場の臨場感をたっぷりと味わっていた。
 やっぱり、グラウンドはいい。選手の緊迫感が直に伝わってくる。
 オレはグラウンドの土をスパイクで少し掘ると、グラブを叩いて、自分のところへボールが飛んできたときに備えた。
 今日の試合は、珍しくオレのところへボールは飛んできていない。せっかく、こうして守っているのだから、一球くらいさばきたいものだ。
 もちろん、マウンドのピッチャーは相手の四番バッターを三振に仕留め、このまま逃げ切りたいだろう。あと一人というところで連続四球を出し、自らピンチを招いたのだから。
 さあ、プレー再開だ。
 第一球。大きく曲がったスライダーが外角を外れ、まず1ボール。
 第二球。同じく外角へ、今度はストレート。バッターは一瞬、反応しかけたが見送った。しかし、判定はギリギリのストライク。
 第三球。外角を狙ったボールがワンバウンドになり、慌ててキャッチャーが押さえた。危ない、危ない。ボールを後ろに逸らしていたら、三塁ランナーが生還していただろう。そうなれば同点だ。肝を冷やしたピッチャーは額の汗をアンダーシャツで拭った。
 苦しいピッチングに、キャッチャーは一旦、タイムを取り、マウンドに走り寄った。キャッチャーミットで口許を隠し、ピッチャーに何か言う。
 どうせ、言っていることは大したことじゃない。思い切り腕を振れとか、そんなことだ。それよりも重要なのは、こうして間を取ることである。オレが見ても、いいタイミングでのタイムだったと思う。
 キャッチャーの言葉に、二、三度、うなずいたピッチャーは、足でマウンドを均した。キャッチャーが小走りで戻っていく。ピンチであることは変わらない。果たしてピッチャーは気持ちを入れ替えられたかどうか。
 第四球。ピッチャーが投じたのは、ほぼド真ん中。バッターは踏み込み、フルスイングする。しかし、ボールはバッターの手前で落ち、その上をバットが通過した。フォークボールだ。相手バッターは空振りを喫した。
 ふぅ。これでとりあえず追い込めた。それにしても今のは危ない球だったと思う。フォークボールにしては高く、落ち方も中途半端だ。空振りは、相手バッターが気負ってくれていたおかげだろう。もう一度、今のと同じ球を投げたら、スタンドまで運ばれそうだ。
 勝負となる第五球。が、スライダーはまたも外れた。打たれたくない意識が働いているせいだろう。とにかく、このスライダーは完全に見切られている。もう使えない。フルカウントだ。
 ――次はどうする? 次は?
 いつの間にか、「ボールよ、飛んで来い」なんていうことも忘れ、オレはこの勝負に見入っていた。
 キャッチャーがサインを出した。ピッチャーがうなずく。そして、ノーワインドアップで六球目を投じた。
 バッテリーが選択したのは、バッターの意表を突くチェンジアップだった。直球系を待っていたであろうバッターはタイミングを崩される。しかし、そこをなんとか堪えた。
 乾いた打球音とともに、白球が夜空に舞いあがった。カクテル光線がきらめくレフトポール際への大飛球。オレは思わず口をポカンと開けて、その行方を見守ってしまった。
 このとき、風はライトからレフトへ。野球の神様は、まだゲームセットにしたくなかったらしい。打球はポールの直前で大きく左に切れ、それを見送った三塁塁審が両手を万歳のように挙げる。ファウルだ。
 客席からは、ため息とも悲鳴ともつかぬ声があがった。ファウルボールへの注意を促すアナウンスが無情に響く。
 惜しくもサヨナラホームランを逃したバッターは、一度、打席を外し、入念なスイングのチェックを行った。
 一方、命拾いしたバッテリーは肝を冷やしたことだろう。多分、このバッターを抑える自信を失くしたと思う。それくらいの一打だった。
 しかし、試合はまだ終わっていない。九回裏、2アウト満塁で、しかもフルカウント。選手も観客も痺れる場面が続く。
 運命の七球目。バッテリーが選択したのは、インコース低めへのストレートだ。申し分ない高さとコース。だが、バッターの反応は鋭かった。
 打ち返された打球はオレの真正面に飛んできた。えっ、この場面でかよ、なんて唖然とする暇もない。とにかくオレは座っていたパイプ椅子から転げ落ちるようにしてグラウンドに倒れ込み、その打球を避けた。
 火の出るような打球は、オレの後ろにあったフェンスに当たり、レフトへと跳ね返った。オレは腹這いのまま、ボールの行方を目で追う。あー、危なかった。
「おーい、大丈夫か、ボールボーイの兄ちゃん? そんなんじゃプロになれんぞ!」
 失笑の漏れる観客席から、一人のオッサンの野次がオレに届いた。


<END>


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