「あれ?」
気がつくと、見知らぬ場所に立っていた。何だか、大劇場のロビーのようなところだ。さっきまで駅のホームを歩いていたと思ったのだが……。
「サトウ様ですね?」
「わっ!」
いきなり女性に声をかけられ、オレはビックリした。何かのコンパニオンのような、すらっとした美人である。オレに向ける笑顔が素敵だった。
「え、えーと……誰?」
「はい。私はサトウ様のご案内係を担当しております」
「ご案内係? 担当?」
「はい。間もなく振り分け作業が始まりますので、会場までご案内いたします」
事情を呑み込めないオレが呆然としているうちに、彼女はオレの胸にネームプレートをつけてくれた。『Y−014431 サトウ・ヨシキ』とある。
「何これ?」
「サトウ様のナンバープレートです。この番号で呼ばれますので、なくさないようにしてください」
「はあ」
「それでは参りましょう」
そう言って女性は歩き出した。オレはそれに従いかけて、足を止める。
「ちょっと待ってよ! オレ、全然、事情が飲み込めねえんだけど」
すると彼女は、イヤな顔ひとつせず、オレを振り返った。
「これは失礼いたしました。ちゃんとご説明しておかなければいけませんでしたね。実は、サトウ様には自覚がないかもしれませんが、ここはすでに現世ではございません」
「はぁ?」
現世じゃないだって? それはどういう意味だ?
「つまり、サトウ様はお亡くなりになったのです」
ええええええええっ!?
オレは驚きのあまり、声が出なかった。オレが死んでいるだなんて。そんなバカな。だって、こうして呼吸だってしているし、心臓だって――あれっ、動いていない!?
そのときオレは、真っ青な顔になっていたと思う。
「ど、どうして、そんなことに……?」
死ぬにはまだオレは若すぎた。二十一歳だったんだぞ。オレの青春を返せ!
「サトウ様はスマートフォンを操作しながら駅のホームを歩いていらっしゃいました」
そうそう。オレは就職活動中で、次の面接先へ移動する途中だったんだ。
「そこへ電車が入って来て、運悪く肩に接触し、そのまま跳ね飛ばされたのです。最近、そうやってお亡くなりになる方が多いんですよ」
いわゆる、ながら歩きの死亡事故というヤツだ。自分は大丈夫だと思っていたが、まさかオレがそんな不注意で死んでしまうとは……。いくら悔やんでも悔やみきれないではないか。
この半年もの間、就職の内定をもらおうと必死に努力してきたオレの苦労は何だったのか。死んでしまっては就職なんて意味を為さない。
「それでオレはここへ……」
「はい。これからサトウ様には二つの道がございます。いわゆる天国に行けるか、地獄へ行くか、です」
そんな天国と地獄なんて、それぞれの宗教が勝手に作った概念だと決めつけていたのだが、どうやら本当にあるらしい。うわぁ、天国ならまだしも、地獄に落とされたらどうなるんだよ。
「そ、それは……自分で決められるの?」
「いいえ」
あっ、そう。やっぱり、そうなんだ。
「天国か地獄かは、会場の中で審判者によって振り分けられます。そろそろ始まりますのでお急ぎを」
オレは死のショックを引きずりながらも、彼女に案内されるまま、その会場とやらの中に入った。
会場は何万人も収容できそうなアリーナに似ていた。ざっと見た感じでは満員だ。ただ、コンサートが行われるアリーナと違って、皆、オレのように死の現実を受け入れられないのか、それとも地獄行きの宣告に戦々恐々としているせいか、場内は葬式のように陰鬱で静かなのが、とても異様に感じられた。
「サトウ様、こちらです」
女性が席まで案内してくれた。席にもナンバープレートと同じ番号が刻まれている。オレはそこに座った。
程なくして、会場の中央ステージに二人の男が現れた。白い背広の男と黒い背広の男。二人はそれぞれ大きな台帳のようなものを手に持ち、用意されたテーブルに着いた。
「それではこれより、天国と地獄の振り分け作業を開始します」
面白いことに、二人のテーブルにはマイクが備え付けられていて、声は場内のスピーカーから響いた。アリーナの天井からは巨大なモニタースクリーンが四方に向けて吊り下げられており、映像も届いている。あの世のはずなのに、随分と近代的な設備があるものだ。
「まず天国。『J−012719 サクマ・ミヒロ』」
白い背広の男が台帳を開き、番号と名前を読み上げると、なお一層、緊張感が高まった。
どうやら、その名前を呼ばれたサクマという老女だろう、下のステージに降り、白い背広の男が登場した入場口へと消えて行った。
「では、次は地獄。『U−056538 ハシダ・エイセイ』」
今度は黒い背広の男が次の番号と名前を読み上げた。地獄行き。最初の老女と逆の方向へ消えた男は、いかにも悪人ヅラをしていた。
このようにして、天国と地獄、交互に一人ずつ名前が呼ばれ、それぞれがそれぞれの出口に消えて行った。
「あのぉ」
オレはまだ階段のところに立っていた案内係の女性に声をかけた。
「どうなさいましたか、サトウ様」
「これが振り分け作業ってヤツ?」
何ともまどろっこしい作業を目の当たりにし、オレは質問してみた。
「はい。これが振り分け作業でございます」
「何かプロ野球のドラフトみてえ」
「以前は善人と悪人という風に分け、自動的に天国か地獄か分けていたのですが、善人が必ずしも聖人君主でないように、悪人にも情状酌量の余地があるとして、何でもひとくくりに判断するのは不公平だと、このようにそれぞれの審判者が交互に選ぶ形式になりました。もちろん、天国には一番善行を施した方から、地獄には一番悪行を為した方から呼ばれるようになっております」
その説明を聞きながら、オレはやっぱりドラフト会議を思い出していた。しかし、それでは善人とも悪人とも呼べないような人はどうなるのだろう? というか、オレも含めて、易々と善悪に区別できない人こそが大多数だと思うが。
振り分け作業は淡々と続いた。それでも、いつ自分の名前を呼ばれるのか分らないので、緊張感が常にある。特に地獄行きが呼ばれるときは、自分でないことを祈った。
それがどのくらいの時間行われただろう。白と黒の審判者が不意に手元の名簿を閉じた。あれ? どうした?
「本日の振り分け作業は、これで終了します。皆様、お疲れさまでした」
アナウンスでそう告げられるや、会場は安堵と弛緩の入り混じった空気になった。オレはまたまた案内係の女性に訊ねる。
「本日は終了って……?」
「はい。振り分け作業は、一日につき、天国と地獄それぞれ百名ずつが選ばれた時点で終了になります。今は天国も地獄も定員が厳しくて、そうせざるを得ないのでございます」
「ちょ、ちょっと待ってよ! じゃあ、続きは!?」
「引き続き、明日行われます」
「それも百名ずつ!?」
「はい」
女性は営業スマイルを完璧に貫いた。
こりゃ大変だ。明日は明日で、新たな死者がここへ来るだろう。日本だけでも一日の死者は何千人といるはずだ。一日二百人ずつが天国と地獄へ行っても、ここで待つ人数は増える一方ではないか。しかも天国と地獄へ行けるのは、より善人であるか、より悪人であるかが選択の基準であって、そうでない者はいつまで経ってもここで待たされることになる。
「そろそろ、この会場も手狭なんですよね。もっと大きな所を用意しないと」
案内係の女性が独り言のように喋った。
やれやれ、いつになったらオレは天国か地獄へ行けるのか。これじゃ、会社がなかなか決まらなかったオレの就活と同じではないか。
これが本当の生殺しだとオレは思い、深く嘆息した。