得意先回りの帰り、オレは喉が渇いたので、駅の自動販売機で缶コーヒーを買って飲もうと思った。
オレは自動販売機を探した。それも定期券としても使えるICカードでの支払い可能なヤツだ。なぜかと言うと、オレは小銭を持って歩くのが好きではないからである。最近はコンビニなどでも、電子マネーで決済できるから便利な世の中になった。ちょっとした買い物なら、現金ではなく、ICカードを利用するようにしている。周りからはそこまでこだわらなくてもと言われるが、ポイントもついてお得だし、買い物もスピーディ。第一、缶コーヒー一本で紙幣を崩すなんてもったいない。
ところが改札を入ってすぐのところで見つけた自動販売機はちょっと変わっていた。
「まいど!」
怪しげな関西風のイントネーションで、自動販売機が挨拶してきた。商品は液晶で表示されており、その上にはパンダらしきキャラクターの顔も映っている。どうやら最新型か、試験的に導入された自動販売機らしい。ただし、パンダにしては、全然、可愛くないデザインで、作者のセンスが疑われる。
「買うてくれるんか? ありがとさん。とりあえず、オススメはこれやな」
これまでにも、客が前に立つと自動販売機が勝手に判断して、オススメを提示してくる機種があった。これはさらなるバージョンアップ版か。
しかし、パンダがオススメしたのは、よりにもよってオレが嫌いなウーロン茶だった。ふざけるな。オレはウーロン茶なんて飲み物として認めていない。何がオススメだ。自動販売機の分際で人間様にケンカを吹っかけているとしか思えない。
「オレは缶コーヒーが飲みたいんだ」
自動販売機に話しかけるというのも妙なものだったが、オレは不細工なパンダの提案を無視し、缶コーヒーが表示された部分をタッチしようとした。
すると、どういうわけなのか、缶コーヒーの表示がつつつーっと動き出し、オレの指先から逃れた。パンダが目をスッと細める。
「やめとき、やめとき。絶対こっちの方がええって。ワイは、ちゃ〜んとあんさんにふさわしい飲み物を選んどるんや。ここはひとつ、騙された思うて、ウーロン茶にしとき」
そう言うと、急にウーロン茶の表示が大きくなった。パンダの生意気な言い方といい、強調された『オススメ』の文字といい、何とも癪な気分にさせてくれる。オレはムカついた。
「馬鹿野郎! 誰がウーロン茶なんて飲むか! オレはウーロン茶が大っっっ嫌いなんだ! 客が缶コーヒーって言ったら、缶コーヒーを飲ませやがれ!」
オレが自動販売機に向かって怒鳴ったので、近くにいた人たちがこちらに注目してきた。きっと一人で大声を出して、頭のおかしなヤツだとでも思ったに違いない。クソォ、どうしてオレがこんな辱めを受けなくちゃならないんだ。それもこれも、この自動販売機のパンダのせいだ。
だが、所詮は機械に過ぎない自動販売機は、まったく動じた様子はなかった。
「言うこと聞かんやっちゃなぁ。こっちは親切で言うとるんやで。あんさんにはウーロン茶が丁度ええって」
「うるさい! 缶コーヒーを買わせろ!」
オレは移動した缶コーヒーの表示をタッチしようとした。しかし、敵もさるもの、素早く缶コーヒーの表示は逃げて行き、代わりにウーロン茶がその場所へ来る。危うくウーロン茶をタッチしそうになり、オレは慌てて手を引っ込めた。この野郎、あくまでも缶コーヒーを買わせないつもりか。
こうして格闘すること一分以上。オレは逃げ回る缶コーヒーの表示を追いかけた。そのうち、自分の目の前にあるのが自動販売機などではなく、何かのアトラクション・ゲームのように思えてくる。
結局、途中で息切れしたオレは膝に手をつき、肩を上下させながら呼吸を整える羽目になった。畜生、運動不足が祟ったか。
「残念やったな。あんさんもよう頑張ったが、これで諦めもついたやろ。さ、ウーロン茶にしいや。缶コーヒーなんて、アカン、アカン」
「くっ……」
オレはのろのろと腕を上げ、でかでかと表示されたウーロン茶の表示に指を伸ばしかけた。
――と。
パンダが勝ち誇ったようにニンマリした瞬間、オレは素早く目標を変えた。隙あり! オレの指先は画面の端に移動していた缶コーヒーの表示をタッチした。
「なっ……!?」
オレのフェイントに、パンダは驚きの表情で固まった。オレは思わずガッツポーズをする。
「見たか! これでも昔はゲーセンで“モグラ叩きのシゲちゃん”と呼ばれていたんだぜ!」
大人になってから今まで、何の役にも立たない特技だったがな。
思わぬ敗北に、画面のパンダは今にも泣きそうだった。
「や、やめるんや! 今なら、まだ間に合う! キャンセルするんや!」
「たわけっ! 誰がするか!」
オレは定期券として使っているICカードを読み込ませると、即座に支払いを済ませた。チャリン、という電子音が響き、缶コーヒーが取り出し口に落ちてくる。オレはそれを勢いよく取り出すと、その場でプルタブを開け、一気にコーヒーを飲み干した。
「く〜っ!」
激闘の果てに勝ち得たからか、缶コーヒーは格別の味がした。こんなに旨い一杯を飲んだのは生まれて初めてかもしれない。
「ああ……もう知らんで……後悔しても知らんからな……」
パンダは敗北のショックからか、一人でブツブツ呟いていた。そんなパンダにオレは勝ち誇る。
「こんな旨いコーヒーを飲んで、誰が後悔するもんか!」
すると、
「そのコーヒーが旨いなんて、当り前やがな。なんせ、一本一万円もするんやから」
とパンダはのたまわった。オレは目が点になる。
「な、何!? ――い、一万円っ!?」
驚きのあまり、声が裏返ってしまった。よくよく自動販売機の液晶画面を見てみると、確かに缶コーヒーの値段が一万円になっている。ちなみに、あれだけしつこく勧めてきたウーロン茶はお徳用の百円になっていた。
前もって一万円以上の金額はチャージしてあった電子マネーは、すでに自動的に引き落とされ、缶コーヒーも一息に飲み干していたから返品も出来ず、オレはただただ茫然とするしかなかった。まだ給料日まで、かなりあるというのに、缶コーヒーたった一本で一万円の出費は痛すぎる。
「だから言うたやないか。あんさんみたいな一般サラリーマンは、一万円もする高級缶コーヒーより、百円のウーロン茶がええって。他人の助言は素直に聞いとくもんやで」