「この私を貶めるとは許せん!」
これまで数々の難事件を解決に導いてきた探偵は、犯人の策謀にはまり、憤りを覚えずにいられなかった。
そもそもの発端は三日前、とある大富豪の誕生祝賀会が催される大豪邸へ招かれたことにある。
探偵と大富豪に面識はなかったが、ミステリーマニアの祖父のためサプライズゲストとして招待したいと、彼の孫娘が相談してきたのである。あまり華やかな場を好まない探偵であったが、自身がバースデープレゼントであることや話を持ち掛けて来た孫娘が美人であったことを鑑み、今回だけはと引き受けたのだった。
このサプライズは大富豪に大変喜ばれた。
彼はパーティーでの食事もそこそこに探偵を談話室に呼び、これまでに起きた有名な事件や世に出ていない謎多き事件の話を少年のように目を輝かせて楽しんだ。
そんな二人の歓談は深夜にまで及んだ。ところが、事件はそこで発生したのである。
口を滑らかにするため、大富豪に勧められるまま、年代物のワインを飲んでいた探偵に、突然の睡魔が襲いかかった。そんなに量を飲んだ覚えはない。意識を失った探偵が様子を見に来た孫娘に起こされると、一緒にいた大富豪がすでに胸をひと突きにされ殺されている最悪の状況であった。
当然、警察の疑いの目は探偵に向けられた。しかし、その日に初めて会ったはずの探偵に、大富豪を殺す動機などありはしない。取り調べは執拗だったが、探偵が殺したという明白な証拠はなく、ようやく釈放されたのが二時間ほど前だ。
すでに夜の九時を回っていたが、探偵は再び大豪邸を訪れた。こうなったら探偵自らが事件の真相を解き明かし、真犯人を挙げてやるとの決意だ。
許可を得て、犯行現場になった談話室を調べ始めた探偵は、あの夜、何があったのか自分の記憶を辿った。
多分、ワインの中には睡眠薬でも混ぜられていたのだろう。でなければ、あの程度のアルコールで酔い潰れるはずがない。そして犯人は、探偵が眠りに落ちたのを見計らって、大富豪を殺害したのだ。
意識を失う直前、誰かが談話室を訪れたような気がする。それが誰なのかまでは、まるで記憶に靄のようなものがかったかのように判然としない。それさえ分かれば事件の解決も早いのだが。
容疑者は探偵を除けば八名。
まず今回のサプライズゲストを探偵に依頼した孫娘と、その両親である大富豪の次男夫婦。
そして会社経営を任された長男夫婦と、その一人息子である十九歳の大学生。
あとは料理の給仕役を務めた年配の男性とメイドの若い女性だ。
内部犯の可能性が高い以上、この中に必ず犯人はいるはずである。
普通に考えれば、殺害の動機は大富豪が持つ遺産だろう。彼が死んだことによって、莫大な遺産が親族に相続される。と、すれば――
推理に没頭していた探偵は、そっと談話室の中に入って来た人物に気づかなかった。不意に室内の電気が消える。
「――っ!?」
停電か、と探偵は一瞬思った。だが、すぐに廊下から明かりが漏れているのに気づき、単に部屋の照明が消されただけだと知る。そのとき、背後に何者かの気配を感じた。
ガシャン!
何か重たい物で殴られた衝撃と、それが砕ける派手な音が響いた。倒れ込んだ拍子に探偵は額の辺りをサイドボードにぶつけ、そのままふかふかのカーペットの上にうつぶせになる。おそらくは室内にあった大きな壺で後頭部を殴られたに違いない。
(犯人か!?)
ひどい痛みの中、探偵は犯人の正体を見ようと、懸命に首を捻った。しかし、部屋が真っ暗なせいで顔が分からない。
そうこうしているうちに、犯人は探偵の背中に馬乗りになり、首に紐のようなものを巻きつけた。そのまま力任せに締めあげていく。
「ぐっ……!」
苦しさの余り、探偵は助けも呼べなかった。後ろから乗っかられているせいで、満足な抵抗もままならない。
(く、くそぉ……)
探偵の意識は徐々に遠退いていった。すると、なぜだか昔のことが甦る。
――幼稚園の頃、立ったままの状態で滑り台を滑り降りて転んだこと。
――小学生のときの遠足で弁当を忘れ、泣く泣く先生や友達に分けてもらって食べたこと。
――中学生のときに初めてラブレターを書いて好きな女の子にフラれたこと。
これが死ぬ間際に今までの出来事を思い出す走馬燈か、と探偵は薄れゆく意識の中で思った。
(短いようで、色々なことがあったなぁ……そうそう探偵になっての初仕事はS県の離島で起きた猟奇事件を解決したっけ……その後、鬼面館の殺人事件や豪華客船での密室事件、豊臣財宝殺人事件なんていう難事件もあったっけ……それに……おや、この回想は……?)
様々な過去が流れていく中、探偵はひとつのシーンに引っかかった。
(こ、これはあの夜の記憶……!)
それは間違いなく、探偵が眠らされ、大富豪が殺された晩の記憶だった。走馬燈によって、ぼやけていた記憶が鮮明に喚起されたのである。
あのとき、探偵は薄れゆく意識の中で、ちゃんと犯人の顔を目撃していたのだ!
(そ、そうか! そうだった! 犯人は――!)
憎き犯人の正体を悟った探偵であったが、すでに限界が訪れようとしていた。首に巻かれた紐状の凶器はさらにきつくなり、探偵を窒息へと追い込む。
(は、犯人は……犯人は……)
これが名探偵と呼ばれた男の最後の事件となった。