「やっぱり、革靴って履き慣れてないから疲れるよな。サイズも合ってないみたいだし」
成人式からの帰り、僕の隣で親友の明慶がぼやいた。確かに歩きづらそうで、いつものせかせかしたような足取りとは違う。
「大丈夫か?」
少し痛そうに顔をしかめるので、僕は心配した。
明慶は靴擦れの痛みに堪えながら、
「まあ、あと少しでウチだし、我慢するっきゃないだろ。それとも、オレをおぶってくれるか?」
と冗談を言う。
僕は即座にOKを出した。
「そんな姿を誰かに見られて、恥ずかしくないなら別にしてやってもいいけど」
「だよなぁ。やっぱ、今のなし。――あーっ、くそぉ、早く靴脱ぎてえ!」
これから僕らは明慶の家に行き、成人式を無事に迎えたことを祝って、ささやかな食事会をすることになっていた。
普通、成人式の後は懐かしい同級生たちと合流して、そのまま居酒屋などへ繰り出し、二十歳になったことをさもアピールするみたいに覚えたてのアルコールを飲む――という行動パターンが主流だと思うが、僕らはそうしなかった。下戸(げこ)で、賑やかな場所も好まない僕のことを親友である明慶が気遣ってくれたからだ。
家が近所同士だった明慶とは、それこそ保育園から高校、さらに大学と、ずっと一緒だったので、かれこれ十八年以上の付き合いになる。特に小学校の中学年くらいまでは、ウチの両親が共働きだったせいもあり、給食のない土曜日など、よく明慶のお宅にお邪魔してはカレーライスやナポリタンなど、昼ご飯をご馳走になっていたものだ。どちらの家族からも「兄弟のよう」と認識された間柄と言えよう。
「しばらくぶりだなぁ、明慶の家に行くのも」
「高校卒業して以来じゃないか?」
「確かに、そうかもしれない」
「ウチの母さんも、成人したお前の晴れ姿を見たいって言ってたぞ」
「そう言えば、おばさんの手料理を頂くのも久しぶりだ」
「昔は、よく一緒にウチで食ってたよな。――そうそう、久しぶりで思い出したんだけど、今日の成人式で山本里咲を見かけたんだ」
いきなり出された名前を聞いて、僕は眉をひそめた。
「えっ? ヤマモト……誰だって?」
「だから、山本里咲だよ! 憶えてねえ? ほら、5年と6年のとき、一緒のクラスだった山本里咲!」
そこまで言われて、ようやく僕は思い出した。
「ああっ、山本里咲か! 確か、教室でリコーダーを失くしたって、大騒ぎになったことがあったな。あとで音楽室に忘れただけだったと分かったけど」
「そういう記憶の仕方かよ!?」
「違ってた?」
「いや、そういう事件も確かにあったけど――そうじゃなくて、あの娘、クラスで可愛かったろ?」
「そうだっけ?」
「可愛かったんだよ! 何たって、このオレの初恋の相手なんだから」
明慶との付き合いは長いが、その僕でさえ二十歳になってから初めて聞いた。
「えっ、そうなの? だって、あの頃、クラスの女子はおしゃべりでうるさい、とか言って、硬派を気取ってたじゃんか」
「それは……山本のことを好きだなんて、クラスの誰かに知られたら恥ずかしいからさ。小学生の初恋とかって、そういうもんだろ?」
あまりにも真っ赤になって言うので、僕は可笑しくなった。
「まあ、そういう気持ちは分からなくもないけど。――で、その山本里咲を成人式で見かけたってんだな?」
「ああ。晴れ着姿だったけど、何か凄い大人っぽくなってて、綺麗だったなぁ」
「声くらい掛ければ良かったのに」
「いやいや、無理だって! オレのことなんか憶えちゃいないよ、きっと。同じクラスになったのは二年間だけなんだぜ。おまけに山本は中学受験で別の学校に行っちまって、それっきりだし。――いいんだよ。初恋なんてものは実らないと相場が決まっているんだから。昔の淡い思い出さ」
ふと寂しげな表情で、明慶はぽつりと呟いた。
――初恋は実らない、か。
「そう言や、潔、お前の初恋はいつなんだよ? お前からそういう話、聞いたことねえぞ」
カミングアウトを終えた明慶は、今度は僕に矛先を向けてきた。
「僕の初恋? イヤだよ、いくら明慶でも絶対に教えないから!」
「ずるいぞ! オレのは教えてやったじゃないか!」
「自分で勝手に喋ったんだろ?」
「いいだろ、教えてくれたって。なら、せめてヒントだけでも。――オレの知ってるヤツか?」
「うっ……そ、それは、まあ……」
「おい、何年生の頃の話だよ?」
「何年生って……明慶よりも前――とだけ言っとく」
渋々ながら、僕は打ち明けた。はぐらかそうとしても、明慶が決して許さないと思ったからだ。
すると明慶は大きく目を見開き、
「オレよりも前かよ!? 小5よりも前ってことは……どっちがませたガキだったんだか!」
そんなことは張り合うものでもないのに、なぜか悔しそうに言う。
さらに問い詰められそうなり、僕はうんざりした。ところが、しばらくすると明慶の自宅へ到着。運良く、それ以上の追及からは逃れることが出来た。やれやれ。
「ただいまぁ」
玄関では明慶のお母さんが出迎えてくれた。顔を合わせるのは実に二年ぶりだ。
「お帰り。――あら、潔くん。久しぶり。やっぱり、男の子はスーツを着ると、大人っぽく見えるわねえ。背も伸びたんじゃない?」
「こんばんは、おばさん。ご無沙汰してます。今日はお言葉に甘えて、ご馳走になります」
「どうぞ、どうぞ。何だか昔を思い出すわねえ。懐かしい。――明慶は着替えてからにするの?」
「うん。ネクタイ、きついし、早く解放されてえ。――潔、先に行っててくれ。すぐ行くから」
「分かった」
二階へ上がって行く明慶を見送り、僕は奥へと通された。
いくら親友であろうとも、多分、この先も僕の初恋について、明慶に話すことはないだろう。いや、教えられるわけがない。僕の初恋の相手は、今もずっと想い続けている「お前の母親だよ」だなんて。