RED文庫]  [新・読書感想文



人間引力


 どうやら私には不思議な力が働いているらしい。
 とりあえず「働いているらしい」としたのは、私自身が半信半疑で、単なる偶然の積み重ねではないか、と今ひとつ確信できないからだ。
 例えば、私はかなりの高い確率で道を尋ねられる。
 家の近所や勤務先の近辺に限らず、初めて訪れた土地でも尋ねられる。こちらが明らかに旅行者だと分かる格好や大きな荷物を持っていてもお構いなしだ。なぜ、みんな、私なんかに尋ねようとするのだろう。不思議だ。
 それから空いている電車に乗っていると、次の駅で乗り込んできた人が私の隣に座る、なんてことも多い。
 向かいの席だって空いているのに、そんなに私の隣は座りやすいのだろうか。美人に座られるなら心が躍るが、恰幅のある汗掻きな男性に密着されると最悪だ。
 このように、どうも私には他人を引き付ける何か――名付けるなら “人間引力” とでも呼ぶべき力があるらしかった。記憶を遡れば、思い当たる節が山ほどある。
 私自身に魅力があるとは到底思えなかった。容姿だって決していいとは言えないし、コミュニケーション能力だって必要最低限のものしか持っていない。誰かと一緒に過ごすよりも一人でいることを好むタイプだ。
 けれども、私のことなど知らない赤の他人たちは、どうしても無意識に引き寄せられるらしい。
 そんなことを学生時代の友人と久しぶりに居酒屋で飲んでいるときに話したら、それは面白いと言ってくれた。
「じゃあさ、今度ウチの店でバイトしてくれないか?」
「バイト?」
「ああ。オレ、三ヶ月前に高級焼肉店をオープンさせたんだけどさ、開店直後はそこそこの客の入りだったのに、最近は閑古鳥が鳴いているような状態で、このままだと従業員にも給料を払えそうにないんだ。そこで、お前がウチで働いてくれさえすりゃあ、客が大勢来てくれるかもしれないじゃないか。なあ、頼むよ!」
 私は友人からの誘いに戸惑った。学生時代からの付き合いだから助けてやりたいのは山々だが、こっちにだって仕事がある。
「じゃあ、店の仕事は手伝えないけど――」
 そこで私はひとつの提案をしてみた。



 翌週、私は友人が出店したという高級焼肉店を訪れた。アルバイトとしてではなく、一人の客として。
「おお、よく来てくれたな」
 外からは立派な店構えに見えたが、中へ入ってみると客が一人もおらず、ガラガラだった。友人の言う通りだ。もう夜の六時半を回っているから、食事に来る客で埋まっていてもよさそうなものだが。
「なっ? 開店休業状態だろ?」
 私を自ら出迎えてくれた友人は作り笑いを浮かべながら店のメニューを差し出してくれた。確かに閑古鳥が鳴いている。
「お前の役に立てればいいんだけど……まあ、あまり期待しないでくれ」
 そう言って私はメニューを拡げ、値段の高そうな肉を何皿かと生ビールを注文した。友人は私のテーブルに火を入れると、注文した品を店の奥にある厨房へ伝えに行く。
 すると、友人の背中が厨房へと消える寸前だった。店のドアが開き、品の良さそうな老齢の夫婦が来店する。
「あのー、予約は入れてないんですが、二名よろしいですか?」
「どうぞ、どうぞ! ご案内します!」
 引き返してきた友人が満面の営業スマイルを浮かべて新規の客を出迎えた。
 どうやら “人間引力” の効果があったらしい、とテーブルで料理を待つ私もひとまず安堵した。
 よく道を尋ねられたり、電車で横に座られたりという経験の他に、私には飲食店でも似たような経験を持つ。
 ランチタイムを過ぎた時間に、空いている飲食店で遅めの昼食を摂っていると、その後どういうわけか次々と客が訪れ始め、たちまち賑わい始めるのだ。まるで自分が招き猫にでもなったような気分である。
 そのことを思い出した私は、友人の店で食事をすれば、やがて他の客も釣られるようにやって来るのではないか、と閃いたのだ。
 どうやら私の思惑は当たったようで、老齢の夫婦以外にも、男の子二人を連れた家族や勤め帰りのサラリーマン六名グループ、法事を終えたらしい親族一同など、店には引っ切りなしに客がやって来た。高級焼肉店だというのに、皆、予約なしの飛び込みの客だというから驚きだ。
 注文した肉を運んできてくれた友人は、私に向かってウインクした。
「お前のお蔭だよ。こんなにも店が盛況になったのは、いつ以来のことやら」
「私も力になれたようでホッとしているよ」
「今日はオレからの奢りだ。遠慮なく食べてくれよ」
「ありがとう」
 上機嫌で他のテーブルに呼ばれて行く友人を見送りながら、私は旨そうな上カルビを熱した鉄板の上に乗せると、冷たい生ビールのジョッキをグイっと傾けた。
 良かった。本当に良かった。
 さすがは高級焼肉店。これで、なぜ客が来ないのか不思議なくらい、充分に美味しい食事を堪能し、ビールまでご馳走になった私は、一万円の謝礼を是非にと渡されて友人の店を出た。
「また来てくれよ。食事は只でしてくれていいからさ」
 きっと久しぶりに店が繁盛したからだろう、帰り際、友人はそう言って私を見送ってくれた。
 私自身も嬉しくなり、誰かのためになるなら、こんな “人間引力” もいいものだと思えた。
 少し酔っぱらってしまったらしく、いささか危ない足取りで最寄り駅へと向かいながら、これを商売に活かせたら面白そうだ、と想像する。そうしたら食費も浮くし、一挙両得だ。
 どんっ!
 あまりにもフラフラしていたせいだろう、私は通行人とぶつかってしまった。
「すみませ……」
 すぐ相手に謝罪しようとして、頭を下げかけた私は、そのまま前のめりになって地面に倒れてしまった。
 あれっ、立てない……ちょっと飲み過ぎてしまっだろうか。
 うつ伏せになった私はお腹の辺りが冷たくなっていくのを感じた。何だろう、と思い、手で触れてみるとひどく濡れている。
 えっ、とビックリした私は濡れた自分の手の平を見てみた。真っ赤だ。
 私はやけに重たく感じる頭を苦労して動かすと、ぶつかった通行人を見上げた。
 それはフードを目深に被ったパーカー姿の若い男だった。手には血のついた包丁を握っている。滴り落ちているは私の血か。
「……誰でもいいから人を殺してみたかったんです」
 そいつは私にしか聞き取れないような声でボソボソっと喋った。
「と……通り魔……」
 遠退く意識の中、私は自分の身に何が起きたのか悟った。
 どうやら私の持つ “人間引力” は、殺すのは誰でも構わないと言いながら、ほとんどの場合、女性を狙うことが多いはずの通り魔まで引き寄せてしまったらしかった。


<END>


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