「あの、すみません」
居酒屋へ行く前に切らしたタバコを一箱買った白木は、電子決済したスマホを上着のポケットに入れながら、後ろを振り返った。声をかけられたのは、ちょうどコンビニから出ようとしたタイミングだ。途端に開いた自動ドアから冷たい外気が吹き込み、思わず首をすぼめる。
「失礼ですが、白木くんじゃありませんか?」
白木の名前を口にした相手は、同年代と思しき三十前後の男性だった。コンビニの店員ではない。さっきレジの横でコーヒーを注いでいたのを見かけた気がする。
「ええと、確かに白木だけど」
紙コップを持った男に、白木は見覚えがなかった。白木は訝しむ。
すると相手はホッとした表情をした。
「よかった、人違いじゃなくて。憶えてないかな? 中学のとき一緒だった、仁科なんだけど」
自分の顔に人差し指を向けている男をまじまじと眺めているうちに、白木も十五年前の記憶が甦ってきた。
「ああ……」
あの頃の仁科は細身で、いかにも勉強が出来そうなタイプだったはず。今は黒いダウンジャケットを着ているせいもあるだろうが、昔よりも身体がガッチリしたように見える。お互い大人になったということだろう。
「思い出した! お前、仁科か! おお、懐かしいなぁ! 中学の頃と雰囲気が全然違うから、まったく気がつかなかったぞ」
旧友との思いがけない再会を懐かしみながらも、白木は内心で戸惑っていた。確かに仁科とは中学三年のときに同じクラスだったが、向こうは優等生、こっちは大がつくほどの勉強嫌いで、一緒に遊ぶような仲ではなかったはず。進学した高校も別々だったから、中学卒業以降、交流は一切ない。
「勉強が出来るヤツってのは、やっぱり記憶力もいいのか? 俺なんか仁科って名前を聞いても、すぐにピンと来なかったぜ」
「そりゃあ、十五年も昔だからね。僕が白木くんのことを思い出せたのも、たまたまかも。チラッと横顔を見た瞬間、何となく昔のイメージのまま大人になった感じがして」
「そいつはつまり、俺はちっとも成長してねえってことか?」
それに関しては明言せず、仁科は偶然再会した白木の横に並んで歩き出すと、コンビニで買ったばかりの温かいコーヒーを一口飲んだ。真っ白な息が口許から吐き出される。
「やっぱり、こっちは東京よりも寒いねえ。あまりにも風が冷たいもんだから、思わずコンビニでコーヒーを買い求めてしまったよ。体の芯から温めないと、風邪を引いてしまいそうだ」
「何だ、仁科は東京なのか。長いこと、こっちには帰ってなかったのか?」
「そうそう、実を言うと四年ぶりなんだ。本当は正月に帰りたかったんだけど、仕事で休めなくて。ようやく今頃になって帰省したってわけさ」
「ふーん」
「白木くんは、ずっとこっちで?」
「ああ。実家の塗装業を継いでいるよ。下請けの下請けみたいな仕事して、なかなか厳しいけど」
「そうか、地元で頑張っているんだな。――あっ! ひょっとして、白木くんもこれから『魚辰』へ? 実は高田くんから誘われててさぁ。久しぶりだから、居酒屋で同窓会っぽいことをしようぜって」
「そういうことか、なるほどな。俺も高田から急に連絡があって、ちょうど行く途中だったんだ。――ったく、それならそうと高田のヤツも前もって教えてくれりゃあいいのに」
人付き合いに長けている高田が昔から多岐に渡る交友関係を広げていたのは白木も知っている。地元を離れた仁科と未だに親しくしていても不思議ではない。
「俺も高田とは、たまに飲む仲なんだ。地元に残っている他の連中ともな」
「へえ。他に誰か来るのかな?」
「うーん、いつものメンツなら、松尾とか末次かな。憶えてるだろ?」
「もちろん。そうか、みんなの変わった姿が見れるのは楽しみだな」
「おいおい、何言ってるんだ? みんな、三十だぜ。それなりに年を取ったさ。俺だって二十一で結婚して、子供が二人いるし」
「男の子?」
「ああ。小学三年生と一年生。最近は生意気な口を利くようになって、手を焼いているよ。ホント、誰に似たんだか」
そう仁科に愚痴りながらも、間違いなく自分だろう、と白木には自覚があった。妻によく「似た者同士ねえ」と呆れられている。
「で、お前は? 向こうで結婚したのか?」
「あっ……『してた』と言った方が正しいかな。今は気楽な独身暮らし」
「バツイチかよ!? 子供は?」
「いない」
「そうか。なら、不幸中の幸いだな。子供がいたら、養育費とか大変そうだし」
「だね」
二人は寒風に身を丸めながらも、昔話をしながら居酒屋を目指した。目的の店は商店街の外れにある。早く暖房の効いた店内に飛び込みたくて、歩く速度が気持ち上がっただろうか。
「――にしても、この商店街も寂しくなったなぁ」
多くの店舗でシャッターが下りたままになっている商店街は、久しぶりに帰省した仁科にとって記憶と大きくかけ離れていた。昔はもう少し賑わっていたはずだ。今はゴーストタウンの一歩手前と呼んでもいい。
その変遷を地元で目にしてきた隣の白木がうなずく。
「商店街の北側と南側にそれぞれスーパーが出店してからというもの、凄まじい特売合戦が繰り広げられたからな。個人商店の八百屋や肉屋なんかでは太刀打ちできず、次々と店を畳んでいったんだ。どうせ、スーパーに行けば一軒で何でも揃っているし。これも時代の流れってヤツかな」
「ふーん」
馴染み深かったはずの商店街には、錆の浮いたシャッターで閉ざされた店舗だけでなく、すでに建物ごと取り壊されたところもあった。いずれはマンションやアパート、有料駐車場といったものに変わるのかもしれない。
「こうして見ると、昔ここに何があったのか、思い出せないなぁ」
「確かに。そういうことってあるよな」
「あれだけ毎日のように通学で往復してたはずなのに、すっかり忘れてしまっているなぁ。こっちに帰って来たのも何年かぶりだから尚更そう感じるのかも。――ここなんて、何の店だったっけ?」
感慨にふけりながら、仁科はふと空き地の前で足を止めた。白木も立ち止まる。
「ああ、ここなら憶えているぞ。『はらさわ』だ」
「はらさわ……?」
「ほら、メインは本屋なんだけど文房具も一緒に売ってて。ウチの中学のヤツは、ほとんどがここでノートとかを買ってたんじゃないか? それに原沢って女子が同じクラスにいただろ? あいつの父親がやってた店だ」
「よく憶えているなぁ。さすがは地元民」
「当然さ。あの女――原沢遼子のヤツにはムカついていたからな。俺が隣のクラスの女子にフラれたとき、学校中に言いふらされたのを憶えてねえか? あいつが男だったら、間違いなくぶん殴ってただろうな!」
「へえ、なるほど。それを根に持っていたんだな」
「なっ――ッ!?」
いきなり上着のポケットに突っ込んでいた左手首を仁科が掴んできたので、白木はギョッとした。有無を言わさぬ力で引っ張り出される。一瞬の出来事であったことと驚きのせいで何の抵抗も出来なかった。
「十五年経っても、昔の癖が抜けてないってワケか……」
深く息を吐くように発せられた仁科の声には、静かな怒りが込められているようだった。
ポケットから出された白木の左手には数パックのトレーディングカードが握られていた。コンビニのレジ前で販売していたものだ。そして、店を出てから、ずっと白木がひた隠しにしてきた盗品でもある。
「タバコを買うとき、レジの後ろにある棚から商品を取り出さないといけない店員は、客側に背中を見せる。その隙を狙った万引き。どうやら防犯カメラの死角も熟知してそうだな。そのトレーディングカードは子供への土産か? どうせ、お前が求めているのは商品なんかよりも、万引きをするときのスリル感なんだろう」
「仁科……お前……」
「僕はスリや万引きを警戒するGメンなんだ。お前のことは中学時代、原沢から相談されていてね。店から頻繁にマンガ本などが盗まれて、被害額が馬鹿にならないんだって。毎日、何も買わないのに店に来るお前のことを原沢は怪しんでいたけれど、万引きは現行犯でないと逮捕されない。その点、お前は上手く立ち回っていたようだな」
「………」
「『はらさわ』が潰れたのは、この商店街が廃れたから、という理由だけではなかった。盗難被害も少なからず影響していたに違いない。それさえなければ、同じく店を畳むにしても抱えた借金の額は抑えられたはず。とうとう店を畳むことになったと僕に教えてくれた原沢は、相当悔しがっていたよ」
「……それで俺をマークしていたのか? わざわざ東京から足を延ばして?」
「さすがにそこまでは。帰省はあくまでもプライベートだし、コンビニで再会したのも単なる偶然だ。でも、僕のすぐ近くで万引きを働いた以上、見逃せるわけがない。かつての同級生であろうとも。店を出るとき、いきなり声をかけられて焦っただろ? そうやって、ずっとポケットの中でトレーディングカードを握り締めていたのがいい証拠だ」
白木は諦めたようにため息をついた。この事実が家族に知られるのが何よりも恐ろしい。
「コンビニに戻ろう。店員に説明し、そこで警察を呼ぶ」
そう言って罪を犯した白木に商店街を引き返すよう促した。
ひとつ思い出した万引きGメンの仁科はスマホで電話をかけた。
「もしもし、高田くん? 仁科です。級の連絡で申し訳ないんけど、少し用事が出来たので遅くなります。どうぞ、先に始めてて。――うん、じゃあ、また後で」
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