「あれ? 森下さんは?」
昼休み、いつもの四人グループで弁当を食おうと、オレ――因幡亮(いなば・たすく)が四つの机を移動させてくっつけていると、教室へやって来たのは小曾木猛(こそぎ・たける)と三角純(みすみ・じゅん)の二人だけだった。同級生、森下七菜(もりした・なな)の姿がない。
「今日は因幡と一緒に食う気分じゃないってさ」
「そりゃそうだよねえ。乙女心を傷つけるような因幡とじゃ。ナナも可哀そう」
「………」
何となく、そんな予感はしていた。オレは森下さんに申し訳なく思う。
小曾木と三角はオレにガッカリした視線を向けながら、それぞれの席についた。持ち寄った弁当を広げようとする。
これはチクチク責められそうだ、とオレは観念した。この二人が完全に森下さんの味方なのは分かっている。どうせ女心に疎いオレなんか悪者だ。
仕方なく弁当を食べようとしたところ、目の前に座っている小曾木が机をドンと拳で叩いた。何事もなかったかのように食事をしようとしていたオレに目くじらを立てる。
「森下がどれだけ傷ついたか、お前、分かってんだろうな?」
「傷ついた、って……」
ここでオレが「そんな大袈裟な」と続けていたら、もっと小曾木から反感を買っていただろう。
三角もオレに冷めた視線を寄越した。目がクリッとしたタイプなので、笑顔のときは愛嬌があっていいのだが、睨まれると強烈な目力に圧され、たじろぎそうになる。
「まっ、因幡は鈍感だからさぁ、女の子のちょっとした変化になんか気づかないんだろうけど、でも、さすがに今朝のは分かったんじゃない?」
「それは……」
おっしゃる通りです。
昨日の日曜日、森下さんは美容院へ行ったのだろう。いつも髪の毛の量が多いから重たく見られる、と愚痴っていたのは前々から聞いていたし、見るからに今朝の森下さんの茶色みがかった髪はふわっとした感じが出ていて、先週までとは明らかに違っていた。元々、巷のアイドルなど比較にならないくらい可愛かったが、さらに磨きがかかり、こちらが直視していいものか躊躇われたくらいだ。
それなのに、オレはヘアスタイルについて触れず、いつも通りに接するよう徹した。イメチェンした髪型のことになど気づかないフリをして。それがいけなかったらしい。
その点、小曾木などは日頃からクラスの女子をよく把握しており、髪を数センチ切ったかどうかどころか、使っているリップやシャンプーの変化にさえ敏感に気づく。この男がそれらに関して褒め言葉を並べると、大抵の女子は上機嫌になった。だから小曾木はオレなんかと違って女子からの人気がめちゃくちゃ高い。
「気づいていたなら、何で言ってやらなかったの? 『似合うね』とか『いい感じじゃん』くらい言えば、ナナだってあそこまでへそを曲げなかったのに」
オレがそんなキャラでないことを百も承知で、彼女の一番の親友である三角は口を尖らせた。そのときオレは耳を真っ赤にさせていただろう。
「だ、だって……そんなこと言ったりしたら、何だかオレが森下さんのことを年がら年中、観察しているみたいで……キモいって思われるんじゃ……」
「バッカじゃないのッ! んなワケないでしょッ!」
オレに対して愛想を尽かしたらしく、三角は舌打ちまでした。すると小曾木が身を乗り出す。
「因幡……オレたちだって、いつまでもグループ交際を続けながら、お前ら二人のことをフォローしてられねえぞ。一刻も早く、森下にハッキリと気持ちを伝えろ」
「うっ……」
そう、オレたちはグループ交際で仲を深め合った。言い出しっぺが小曾木であるのは明かすまでもない。ゴールデンウィークの連休に、四人で江ノ島の水族館へ行ったのが、そもそもの始まりだ。
その後もデートと称し、夏休みに海で泳いだり、秋に映画やボウリング、冬休みには初詣とスケートにも行った。小曾木は三角とくっついたので、自然とオレと森下さんが一緒になることが多く、これでも自分なりに距離を縮めた関係性になれたと思っている。
森下さんのことは、同じクラスになってすぐ意識するようになった。屈託のない笑顔と表裏のない明朗な性格、すべてがオレの好みだと断言してもいい。
だから小曾木から水族館へのダブルデートに誘われたとき、オレは宝くじの一等賞が当たったくらい有頂天になったものだ。それまでまともな会話すらしたことのない森下さんと思いがけずお近づきになることができ、時には二人っきりになれるチャンスも出来たのだから。どうせ平凡に終わるだろうと思われていたオレの高校生活がドラマチックなものに転じたのは奇跡と呼んでもよかった。
とはいえ、それはあくまでもダブルデートでの話。学校で昼食を一緒に摂るのも四人でだ。日常会話くらいは交わせるようになったが、男女交際をしているとは決して言い難い。あくまでも親しいクラスメイトの一人。
森下さんがオレの彼女になってくれたらどんなにいいか、そう想像してみることはある。けれども、自分が森下さんと釣り合うような彼氏になれるとは、とてもじゃないが思えない。
いつまでも煮え切らないオレに、小曾木も三角も気を揉んでいるようだ。実はこの二人、最初からダブルデートを仕掛けてオレと森下さんをくっつけようと目論んでいたらしい。そうと気づいたのは、最近になってからのことだった。そんなに期待されても、これ以上はもう無理だってのに。
「今のお前は、呑気に弁当なんか食ってる場合じゃないだろ!? とっとと森下を捜して、ここに連れ戻して来い! それまで教室に帰って来んな!」
「ええーっ……!?」
いつもは女子に受けのいいチャラそうなイケメンだが、どうやら今回ばかりは真剣らしい。ここでゴネたら、小曾木に本気でぶん殴られそうだ。
オレは自分の弁当を持ったまま、追い出されるように教室を出た。
さて、森下さんは何処にいるだろう。
当て所もなく、オレは校舎の中を彷徨った。三学期なので、さすがに寒空の下にはいないだろう。ウチのクラスとは違う教室だろうか。
ふと、オレは階段の方へ足を向けた。一階へ降りる。
オレが向かったのは体育館だった。森下さんが足を怪我するまでバドミントン部だったのを思い出したからだ。退部を決断したのは、ちょうど一年くらい前だったと聞く。
もう昼を食べ終わったのか、体育館にはひたすらサーブの練習をしているバレー部員と、バスケの1on1(ワン・オン・ワン)を楽しんでいる男子生徒たちがいた。その片隅に座っている一人の女子生徒を見つける。
「森下さん」
声をかけると、森下さんはビックリしたような顔をした。オレが一人で捜しに来るなんて予想もしていなかったらしい。逆に言えば、そういう人間だと森下さんに見られている証拠だ。
「よくここに私がいるって分かったね」
「うん、何となく……えーと、その……いいかな?」
「どうぞ」
オレは森下さんの許可を得て、隣に座った。森下さんは自分の弁当箱を持っていたが、食べてはおらず、ボーッとバレー部員のサーブの練習を眺めていたようだ。バドミントンに打ち込んでいた頃の自分を思い出していたのだろうか。
「森下さん、お昼はもう食べたの?」
「……ううん、まだ。何だか一人で食べる気になれなくて」
「そう……」
ううっ、居た堪れない。これもオレのせいか。
「因幡くんもお弁当を持って来たの?」
「うん。何となく持って来ちゃった。食べる前に森下さんを捜して来いって、小曾木たちに言われちゃって」
あっ、しまった。今のは余計な一言だったかもしれない。これでは自主的に森下さんを捜しに来たわけではない、と言っているようなものではないか。
「そういうとこ」
案の定、森下さんは不機嫌そうな顔になった。ぷくっと頬を膨らませる。やっぱり、オレには女の子の機嫌を取るなんて難しい。
「ごめん」
とにかく謝るしかなかった。
「……まあ、そこが因幡くんらしいところではあるんだけど」
森下さんかれ洩れるため息混じりの言葉。
「……ごめん」
「あーっ、ムシャクシャしたら、俄然、食欲が湧いてきたわ。もういいから、お弁当ここで食べよ。――そうだ、因幡くん。アレ、ある?」
「う、うん」
オレには森下さんが言わんとしていることが分かった。弁当箱の蓋を開ける。
すると、待ってましたとばかりに森下さんがオレの弁当のおかずに手を伸ばしてきた。さも当然のように。
森下さんが摘んだのは、ひと切れの玉子焼きだ。パクッと一口で食べると、途端に幸せそうな顔つきになる。目をつむって味を噛み締めている表情がこれまた可愛い。写真に撮っておきたいくらいだ。
「んーっ、いつ食べても因幡くんが作る玉子焼きは最高ね!」
小学校の頃に母親を亡くしたオレは、仕事の忙しい父に代わって料理を覚えた。最初は包丁の扱いにさえ苦労するくらいだったが、今では料理のレパートリーも増え、大概のものならある程度は作れる。もちろん、昼に食べる弁当もオレの手作りで、父親の分と合わせ、ほぼ日課になっていた。
こうして森下さんがオレの玉子焼きを摘み食いするのも毎度のことだった。オレが自分で全部作っていると言うと、かなり気に入ってくれたらしい。いつも美味しいと褒めてくれる。だからオレも弁当のおかず作りに、森下さんが好きな玉子焼きだけは欠かさなかった。もう森下さんのために作っているようなものだ。
「ホント、甘さも硬さも理想的な玉子焼きね。今度、因幡くんに私のお弁当を作って欲しいわぁ」
「いいよ。じゃあ、作ろうか」
覆水盆に返らず。言ってしまってから、「あっ」と思った。弾みで了解してしまったが、森下さんに弁当を作るなんて。何だか愛妻弁当みたいじゃないか。
きっと森下さんだって冗談のつもりで言ったに違いない。なのに、オレは真に受けて――
しばらく、森下さんは口を噤んだまま、真っ赤になったオレの顔を見つめていたが、
「……お言葉に甘えて、いいの?」
オレの勘違いなどでなければ、森下さんの頬も赤くなっていたはずだ。
「……うん。もちろん」
「……ありがとう。じゃ、お願いしちゃおっかな」
はにかんだような笑顔を見せた森下さんに、オレはとてもドギマギした。やっぱり森下さんは可愛い。森下さんが好きだっていう気持ちは、この先、いつまでも変わらないだろう。
そこでオレは思い切って言ってみた。
「そ、それでなんだけど……」
「うん?」
「森下さんにお弁当を作るとなると、新しいお弁当箱を用意しなくちゃいけないから……放課後、一緒にお店に行って選ばない?」
ただの買い物であるはずなのに、オレはまるでデートにでも誘っているような気分になった。これまで四人で出かけたことはいくらでもあるが、二人だけというのは一度もない。
森下さんは微笑んだ。
「いいよ。行こ」
そう言ってもらえて、オレはホッとした。
その後、オレたちは何処で買い物をしようかと相談しながら、その場で楽しく弁当を食べた。小曾木には森下さんを見つけたら教室へ戻って来るよう言われていたが構いやしない。貴重なランチタイムを誰にも邪魔されたくなかった。
食べ終わってからも、午後の授業が再開するギリギリまでオレたちはあれこれと喋った。オレと森下さんの間にあった、自分勝手に作っていた壁など、もう存在しない気がする。これからはもっと進んだ間柄になれるかもしれない。
そろそろ教室へ戻ろうと立ち上がったとき、森下さんがオレに言った。
「そうだ。お弁当のおかずは因幡くんのお任せにするけど、必ず玉子焼きだけは入れてよね」
「もちろん」
よーし、これで明日からの弁当作りに張り合いが出そうだ、とオレは心が浮き立つのを感じていた。
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