【最新作】
むかしむかし、あるところに――
太郎は空腹で目が覚めた。もう空が薄っすらと白み始めている。朝だ。早く浜へ行って、漁に出なくてはならない。
「ああ、仕事かぁ。どうせ行ってもなぁ……」
欠伸よりも先に口からボヤキを洩らすと、腹まで不満を訴えるかのようにグウッと鳴った。太郎は背中とくっつきそうな腹をさすり、余計に情けなさを覚える。
最近、船を出しても不漁が続き、元から豊かではなかった生活は尚のこと苦しくなった。食べる物にも事欠く有様で、一日一食が精々だ。他の者たちよりも体格のいい太郎にとっては毎日が苦行に等しい。
思えば、死んだ父譲りの数珠を失くしてから、何もかもが悪い方へと進んでいる気がする。数珠は海の安全を願って、肌身離さず左の手首に巻いていたものだが、ひと月くらい前に網を引いている最中、何かに引っかけた拍子にバラバラになってしまい、そのまま水底へと沈んでしまったのだ。別に高価なものではなかったから惜しくはないが、それ以来、運に見放された実感があった。
とはいえ、漁に出なければ収益も得られない。今日こそは大量であってくれよ、と願いながら、太郎は力のない足取りでのっそりと外へ出た。
「うわぁっ!」
引き戸を開けた途端、太郎は躓いて倒れそうになった。何と入口の外に葛籠(つづら)ぐらいはある大きな木箱が置かれていたせいだ。
「誰だ、オラの家の前にこんなもんを置きやがったのは! 危ねえじゃねえか!」
腹を立てた太郎は声を荒らげた。それがまた空きっ腹に響く。
苛立たしげに何が入っているのかと思い、太郎は木製の蓋を持ち上げてみた。
「――ッ!」
驚いた。入っていたのは太郎がこれまで拝んだこともない金銀財宝の数々ではないか。中身はほとんどが黄金で埋め尽くされ、他にも美しい珊瑚や真珠、琥珀といったものが混ざっている。太郎は夢でも見ているのかと思った。
しかし、掬(すく)い上げた感触は本物で、指の隙間から得も言われぬ音を立てて零(こぼ)れてゆく。これは決して夢ではない。
ハッと我に返った太郎は辺りの様子を窺った。さっき大声を立ててしまったが、それを聞いて誰かが起き出して来た気配はない。
太郎はそっと箱の蓋を元に戻すと、重たいお宝を家の中に引っ張り込んだ。戸を閉め、用心のために心張り棒で誰も入って来られないようにする。
「へっへっへっ、誰が置いて行ったかは知らねえが、こいつはもうオラのもんだ」
もう一度、箱の中身を舐るように眺めながら、太郎は舌なめずりをし、笑いが込み上げてくるのを止められなかった。
あれだけのお宝さえあれば一生遊んで暮らせる。
太郎はその日から漁を休んだ。仲間には「体調が悪いから」と伝えてある。お宝のことは誰にも教えていない。
これからは何不自由なく暮らして行けるだろう。貧乏暮らしから抜け出し、新しい着物を仕立てたり、豪華な屋敷を持つことだって出来る。いっそ都に移り住み、好みの美女を見初めて嫁に娶ったり、使用人を雇い入れて身の回りの世話を任せたりする生活もいいだろう。
様々な夢を膨らませる太郎がまずしたことは、このところ満足に味わえなかった酒と食事だ。これまでは敷居すら跨げなかった高級な料亭を梯子し、贅(ぜい)を尽くした数々の料理に舌鼓を打った。
こうして毎晩深酒し、家に帰り着くのは午前様。それが七日ばかり続いた。
ある晩、酔って帰った太郎が敷きっぱなしの布団に倒れ込むと、程なくして戸を叩く音がした。猛烈な眠気に支配された身体は動かず、そのまま無視を決め込もうと思ったが、訪問者は執拗で容赦ない。そのうち相手は業を煮やしたか、戸締りしなかった入口を勝手に開けた。
「夜分に失礼します。あなたが太郎さんですね?」
まるで美しい和歌でも詠んでいるような声がした。ハッキリと顔を見たわけではないが、妙齢の美女を想像させる。太郎は重たい頭を持ち上げ、入口の方へ閉じかけの目を向けようと試みた。
「だ、誰ですか……?」
「私は龍宮城の乙姫と申します」
「りゅ、りゅうぐうじょう……? おとひめ……?」
太郎には訳が分からなかった。どちらも聞いたことがない。
「ひ、人違いじゃないですか……? この村には太郎なんて名前、掃いて捨てるほど、有り触れていますから」
本当のことだ。村の者同士なら間違えることはないが、村の外から訪ねてきた者はよく混乱する。
「いいえ、人違いなどではありません」
乙姫は冷然と告げた。太郎に緊張が走る。
「先日、龍宮城の宝物庫にあった財宝が何者かによって盗まれました。手掛かりは犯人が落としていった千切れた数珠が何粒か――これはあなたのものですね?」
バラバラッと音を立てて、太郎の枕元に何かが放り投げられ、転がった。それはいくつもの小さな粒――確かに太郎が漁の最中に失くした形見の数珠だった。
「まさか――!?」
海で失くしたと思っていた数珠が意外な形で戻って来て、太郎の酔いは一気に吹き飛んだ。
「そういう訳なので家の中を改めさせていただきます」
乙姫の言葉は太郎の制止を許さないものだった。外から異形の姿をした者たちが押し入って来る。まだ開き切らない太郎の目にはゴツゴツとした鎧武者の姿に見えた。
捜索は一瞬で終わった。この家に箱を隠す場所などありはしない。
「乙姫様、ございました!」
鎧武者が野太い声を上げた。部屋に明かりが灯される。そのとき家探しした者の姿がハッキリとし、太郎は悲鳴を呑み込んだ。
それは鎧武者などではなかった。触れただけでこちらが怪我してしまいそうな外殻を持つカニとオニオコゼだ。それらがまるで人間のように振る舞っている。
「やはりありましたか」
こちらは打って変わって、まるでお伽噺の中から飛び出してきたような美女が険しい顔つきで発見された宝箱に近づく。
「ち、違う……! それは知らない間に家の前に置かれていたんだ! オラが盗んだわけじゃない!」
「どうやって龍宮城に忍び込んだのかは知りませんが、宝物庫に残されていたあなたの数珠が何よりの証拠。言い分があるのなら龍宮城で伺いましょう。――この者を連行してください」
「はっ!」
乙姫の命令にカニとオニオコゼが従った。抵抗なんてしたら、どんな目に遭わされるか分かったものではない。それ以前に物凄い力が太郎を拘束した。
「た、確かに中のお宝を多少は使っちまった! それは認める! けれど、オラは龍宮城とかいう知らねえ所へ盗みになんて入ってねえ! 本当だ、信じてくれ!」
「さあ、ぐずぐずするな!」
「さっさと立って歩け!」
太郎は釈明を聞き遂げてもらえず、龍宮城の者たちに問答無用で引っ立てられて行った。
その様子を少し離れた場所から気づかれぬよう見届ける者がいた。
「ざまあみろ。まったく、同じ太郎という名前でも偉い違いだな。この私を酷い目に遭わせた恨み、たっぷりと思い知ったか!」
自分を面白がっていじめた太郎にまんまと盗人の汚名を着せることに成功し、すべてを仕組んだカメはほくそ笑んだ。
これをのちに『カメの怨返(おんがえ)し』と言ったとか言わなかったとか。
めでたくなし、めでたくなし。
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