RED文庫]  [新・読書感想文



夜行バス


「えっと……ここだな」
 都築は窓側の座席番号を確認すると、ゆったりとしたリクライニングシートに身を沈めた。なるほど、記憶の中にある観光バスの乗り心地とは大違いだ。かなりの角度でシートを倒せるし、前後、隣の座席とも間隔が空けられている。これなら他の乗客に気兼ねすることなく、目的地の青森まで、しっかりと身体を休められそうだ。連日の猛暑と仕事でヘトヘトになった都築には有難い。
 突如帰省することになった都築にとって初めての夜行バスだった。上京してから十二年、故郷へはまともに帰っていない。中高生になった頃から退屈な田舎を飛び出して、刺激的な東京で暮らしたいという想いを強くしてきたからだ。
 ところが今朝、祖母の訃報が届いた。享年九十歳。今年の正月、傘寿の祝いとしてプレゼントを送ったから、と電話で知らせたのが最後の会話だったと回想する。
 小さい頃、両親が畑仕事に出ている間、都築は祖母に面倒を見てもらっていたので、実家の母から届いた一報に様々な気持ちが溢れた。いつかは帰省するつもりでいながら、結局、その機を逸してしまった己の不孝に祖母への申し訳なさが募る。取り返しのつかない後悔を滲ませながら、都築は目を閉じた。
 どうやら、そのまま眠ってしまったらしい。急に仕事を休むわけにもいかず、取り敢えず定時まで働いた疲れが出たのだろう。すでにバスは出発し、目的地へ向けて高速をひた走っているようだ。乗車するときに点いていた照明は落とされ、車内は暗くなっている。
 目を開けた都築はスマホで現在時刻を確認した。予定通りに出発したとしたら、もう三時間ほど走行している計算になる。今はどの辺りになるのだろう。窓のカーテンを開けてみたが分からない。到着時間を考えれば、まだ全行程の三分の一にも満たないか。
 都築はふと喉の渇きを覚えた。初めて利用する夜行バスのことばかり気にかけていたせいで、途中で買うつもりだった飲料水のことをすっかり失念していたと気づく。一旦戻った自宅からは着替えしか持って来ていなかった。
 どうしたものか、と都築が思案し始めたところ、サービスエリアまで一キロという案内標識が窓の外にチラッと見えた。
 この夜行バスにはトイレも完備されているが、さすがにバスの運転手は休憩や交代をする必要がある。次のサービスエリアで休息を挟む可能性は高そうだ。
 特に休憩するとのアナウンスはされなかったが、それも寝ている乗客への配慮なのだろう。しばらくしてバスは吸い込まれるようにサービスエリアへと入った。真っ暗だった車内に常夜灯が灯る。これも睡眠を妨げず、外へ出る乗客の足元の安全を確保する意味合いがあるに違いない。
「うぅーんっ!」
 都築はバスを降りて伸びをした。他にも同じような乗客が四、五人。往来する車に気をつけながら駐車エリアを横切る。夜中でもムッとした不快な空気は東京とあまり変わらない気がした。
 サービスエリアには他の夜行バスも何台か停車していた。仙台など東北の各地へ向かうのだろう。ドライバーの交代を行っているバスもあった。
 とにかく喉が渇いた都築は自動販売機のコーナーを探した。眩しいくらいの光を放つ自己主張の激しい自販機のLEDは遠目からもすぐに分かる。電子マネーでミネラルウォーターを買うと、ほぼ一気の勢いで中身を飲み干した。
「ぷはぁーっ!」
 よく冷えたミネラルウォーターによって都築の渇きは癒え、生き返ったような気分になった。この先の水分補給についても忘れず、もう一本購入してから、都築はバスへ戻る。
 うだるような熱帯夜の外から車内に戻ると、暑がりな都築でさえ、ここは北極かと身を縮めるほど冷房が強く感じられた。乗降口が開け放たれている状況なので、敢えて冷房を利かせたのだろうか。寒すぎる、とクレームをつける客が誰かいやしないか、心配しながら都築は自分の席についた。
 やがてドライバーが戻ってくると、休憩に入る前と同じくアナウンス無しでバスは発車した。乗車客の点呼もしないのか。誰かサービスエリアに置き去りにされてたりして、と都築は不安に駆られて車内を見回した。
 そのとき都築は違和感を覚えた。サービスエリアで下車するまで乗っていたバスと何か違う気がする。車内の造り自体はまったく同じだが、座席の埋まり具合が記憶と一致しない。
(まさか……!)
 バスを間違えたのでは、と都築は血の気が引いた。心臓の鼓動が尋常ではない速さになったのを感じながら、隣の座席を確認する。
「――ッ!」
 確か都築の隣の席には五十代くらいの男性が座っていたはずだが、今、顔には白いハンカチのようなものが被せられていた。車内の明るさが煩わしく眠れないと、自分で顔を覆ったのだろうか。しかし、これでは隣の男性が同じかどうか確認のしようがない。ポロシャツ姿なのは一緒だが、漠然とした印象だけで色や柄を仔細には憶えていなかった。
 どうしたものか、都築は悩んだ。ここは運転中に申し訳ないがドライバーに確認した方がいいだろうか。
 ガタン!
 そのとき走行による振動のせいか、隣席の乗客の顔から乗せていたハンカチが滑り落ちた。すぐさま都築は顔を確認してみる。駄目だ。五十代男性であるのは間違いないが、似ているようにも見えるし、別人のような気もしてくる。車内は薄暗いままだし、元々、他人の顔を覚えるということが苦手な都築には同じ人物だとも、違う人物だとも確証が持てない。
 都築は床に落ちたハンカチを拾い上げた。男性はハンカチが落ちたことにも気づかずに眠ったままだ。いくら何でも顔に戻すのもどうかと考え、胸の下で組んだ両手のところへ返そうとする。
 そっと返そうとしたせいで手元が狂ってしまったらしく、都築は男性の手と偶然接触した。伸ばしたはずの手を思わず引っ込めてしまったくらい、まるで氷のような異様な冷たさにギョッとする。
「あっ……ああっ……」
 都築は狼狽えた。男性の手が冷たいのは、よく効いた車内の冷房のせいではあるまい。男性は微動だにしない。都築は怖くなった。
 周囲に助けを求めようと視線を移した都築だったが、すべての乗客たちが顔を白いハンカチで覆っていることに気づいた。
「ひっ――!」
 都築は持っていたハンカチから手を離した。これはハンカチなどではない。葬儀などで死者の顔に被せる布――打ち覆い、とか呼んだか。
「ま、まさか……まさか……」
 都築は胃の腑までズンと冷たくなるのを感じた。死んでいる。都築以外の乗客が全員死んでいる。
「う、運転手さん!」
 異常事態にパニックを起こし、都築は座席から立ち上がった。走行中の移動は危険だが、そんなことは言っていられない。恐怖のせいで足がもつれ、運転席に辿り着くまで何度も転びそうになったが、死体を乗せたシートで身体を支えながら都築は訴え出た。
「運転手さん、大変です! みんな、みんな死んで――」
 次の瞬間、都築は恐怖に言葉を呑み込んだ。運転中にもかかわらず、振り返ったドライバーの顔を直視したからだ。
 なぜかドライバーはガスマスクのようなものを被っていた。
「困ったお客さんですね」
 くぐもった声がした後、何処からかシューッという音が聞こえた。エアコンの送風口からドライアイスのような白い煙が吐き出される。それを吸った途端、都築はその場で意識を失い、崩れ落ちるように倒れ込んだ。
 白い煙の正体は催眠ガスだった。
「どうやら、さっきのサービスエリアで乗るバスを間違われたようですね。このバスは身寄りもなくお亡くなりになった方々のために用意された片道切符――即ち、死出の旅路へお連れするバスなのですよ。まだご存命であるあなたが乗るべきではなかった」
 車内に充満した催眠ガスを外に排出させてから、ドライバーは鬱陶しそうにガスマスクを外す。運転の安全を確認すると、チラッと憐れみの目を昏倒した都築に向けた。
「こうなっては仕方ありません。このままご同行願いますよ。このバスの最終目的地まで降りることは出来ませんので、何卒ご了承ください」


<END>


壁紙提供=素材屋 flower&clover



RED文庫]  [新・読書感想文