RED文庫]  [新・読書感想文



究極のシングルライフ


 便利な世の中になったものだ。
 今は何でもネットひとつで完結する。自宅から一歩も出ることなく生活するのに何の不自由もない。
 私は昔から他人と関わるのが苦手だった。意見を異にする人間と付き合うには、何処かで妥協や譲歩を必要とする。集団で何らかの行動を起こすとき、意思の統一を要するのは理解するが、そのために多くの個が黙殺されるのは理不尽だ。普段から少数派に属しやすい私は、多数派からの抑圧に我慢ならなかった。
 だから私は小さい頃から学校での集団生活が肌に合わなかった。リスペクトも感じられない赤の他人と接するなんて、ストレスが溜まる一方でしかない。
 そんなことをするくらいなら、と私は自宅に引き籠って独自で勉強した。大人になったら自己完結社会で独り生きて行こうと固く決意して。
 私の夢は今や現実のものになっている。
 十五歳のとき、両親から二百万円の借金をし、念願のデイトレードを始めた。
 最初のうちはなかなか成果を上げられず、元手を減らさないようにするので精一杯。しかし、徐々に収支がプラスへ転じるようになった。
 一昨年には一千万近い利益を上げ、両親からの借金を倍額で返済し終えている。そして、昨年はとうとう年収五千万円に達した。
 これを機に実家を出た私は、高層マンションでの一人暮らしを始めた。
 平日の日中はデイトレードに集中するため、トイレに立つ以外は部屋の中に籠りっぱなしだ。市場が閉まった後も外出などしない。
 食事はデリバリーサービスを利用したり、食材を配達してもらって自炊したりしている。仕事の邪魔をされたくないため、日用品などと一緒に受け取りは必ず置き配だ。配送業者と顔を合わせる煩わしさもなく、クレジット決済で支払いが完了するため、非常に重宝していた。
 結婚や旅行などにも興味が一切ないため、外へ出掛ける必要性を私はまったく感じていない。運動不足の指摘はあろうが、日頃から摂生に努め、健康には留意しているつもりだ。これぞ私が理想とする究極のシングルライフ。
 どうせ他人には理解してもらえないだろう。私のことを孤独で可哀そうだと揶揄する輩も多いに違いない。
 しかし、人生の幸福など人それぞれだ。誰にも迷惑をかけていない以上、他人にとやかく言われる謂れはない。私がそう望んでいるのだから、それで充分だ。
 ある日の昼近くのこと。そろそろ午前中の取引が終了するという頃だった。
 いきなりスマホからアラート音が聞こえた。緊急地震速報だ。いつもながら心臓に悪い警告音にドキッとさせられる。
 身構えていると、程なくして地震が発生した。部屋自体が体験型アトラクションみたいに左右へ揺さぶられる。大きい。震度5弱――いや、5強だろうか。
 私は咄嗟に目の前のディスプレイを手で押さえたが、座っていた椅子のキャスターが大きく動いたせいで、自分で倒してしまいそうになる。腰が右や左へ流れそうになるのを懸命に堪えた。
 しばらく、その場でジッとして地震をやり過ごした。発生した直後こそ普段とは違う激しさにビックリしたが、地震大国で生まれ育ってきた日本人が、ちょっと大きな揺れを体感したくらいでパニックにまでは陥らない。地震が収まる前に、すっかり冷静さを取り戻していた。
 時間にして三十秒くらいのものだったろう。割と大きい地震だったが、この部屋の中に限れば物が倒れたりというようなことはなかった。耐震性のしっかりしたマンションを選んでおいて良かった、と安心する。
 大きくズレたキーボードやディスプレイの位置を手直してから、私は椅子に腰を下ろした。震源地は何処で、どれくらいの規模だったろうか。スマホで確認してみる。
 速報によれば、震源地は千葉県房総沖でマグニチュード6.6。都心は震度5弱で、津波の心配はない、とのことだった。
 やれやれ、思いもよらないハプニングで貴重な時間を潰してしまった。もう取引は終了してしまっている。このロスは午後に挽回しなければ。私のようなデイトレーダーは一日一日が勝負なのだ。
 ともあれ、突発的な天災に文句を言っても仕方がない。早いとこ昼食にして、午後からの取引に備えよう。
 そう言えば、昨日注文した冷凍ランチプレートが午前中の配送で届いているはずだ。何人か配送業者が来て、オートロックを解除したから、どれかまでは覚えていないが。
 午後の取引再開まで一時間しかないので、いつも昼食は簡単なもので済ますことが多かった。個人的には時間の読めないデリバリーよりも、レンジで数分の冷凍食品の方が便利で気に入っている。
 私は荷物を回収するため玄関へ出てみた。
「あれ?」
 玄関ドアはほんの僅かしか開かなかった。どうやらドアの前で何か重たい物が障害物になっているらしく、ドンとぶつかる手応えがある。
 このマンションの構造は特徴的で、共用の廊下から少し引っ込んだ位置に各住居の玄関がある。そのため、狭い廊下を置き配で塞ぐことなく、気兼ねく玄関前に置いておけるのだ。
 ところが、先程の地震のせいで荷崩れでも起こしたらしい。少し宅配を頼み過ぎたのだが仇になったか。
 そう言えば今日はウォーターサーバーのボトルも届く予定だったのを私は思い出した。12?が六本だから計72?か。道理でドアがビクともしないはずだ。
 試しに力任せに開けてみようとしてみたが、残念ながら微動だにしなかった。腕一本がやっと通る隙間から荷物を除かそうとも考えたが、腕を出して動かせる範囲が狭すぎて指先すら荷物に触れられない。
 さて困った。これでは置き配の荷物を受け取れないではないか。昼食は別にカップラーメンでもいいので、届いた冷凍ランチプレートなどどうでもいいが、このまま他の商品も回収できないのでは困る。
 かと言って、この程度のことで警察や救急隊を呼ぶなんて大袈裟だ。近所の住民にでも知られたら恥ずかしい。ゴミ出しで外へ行くことすら出来なくなる。
 ここは次に来る配送業者宛てにメモを残し、ドアが開くよう荷物を片付けてもらうのが得策か。それまでこのままの状態だが仕方ない。
「今日は色々あるな。まったく」
 生き馬の目を抜くデイトレード以外で、こうまでして思い通りにならぬことに遭遇したのは久しぶりだ。しばらく忘れていたストレスを覚えて苛々してしまう。
 ところが災難はこれで終わらなかった。諦めて部屋へ戻ろうとした途端、今度がけたたましい音が鳴り響いたのだ。
 それは非常ベルだった。
 驚いた私は飛び上がりそうなった。一体全体、何事だ!?
『火事です、火事です! 住民の皆さんは直ちに非常階段を利用し、屋外への避難を開始してください! 火事です、火事です! 住民の皆さんは直ちに非常階段を利用し――』
 癇に障る非常ベルの音に続き、避難を呼びかける音声ガイダンスが流れ始めた。
 これも、さっきの地震が原因か。お昼近くという時間帯から察するに、どこぞのフロアのキッチンで火災が起きたのかもしれない。
「冗談だろ!?」
 玄関から出られなくなった上に、不運が重なって火災が起きるなんて。
 ここは地上二十二階、消防のはしご車でも届かない高さだ。一応、室内に避難器具は備わっているものの、使ったことなど一度もない。たとえ高所恐怖症の人間でなくとも個人での使用は躊躇するだろう。
 避難を促す音声ガイダンスは絶え間なく流れている。
 チクショウ、玄関から表にさえ出られれば非常階段での避難など簡単なのに。
 私は細くしか開かない玄関ドアから叫んだ。
「だ、誰か……誰か助けてくれっ!」
 それは生まれて初めて、関わり合いたくもない他人へ発する、救いを求める言葉だった。


<END>


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