【最新作】

私は鏡に映った自分自身を見つめた。長く伸ばした髪に触れる。少し名残惜しいが、この髪とも今日でお別れだ。
手に取った鋏を耳たぶの後ろ辺りから入れる。目は閉じなかった。躊躇もない。美容室で使っているような鋏みたいにスムーズにはいかなかったけれど、私にとって自慢だった黒髪を斬り落とす。
そう。これから私は別人になるんだ。今の顔を捨てて、整形して、『佐藤理子』という平凡な名を過去のものにする。
そして、明日からは――
私は全国に名を知られるようなトップアイドルを目指す。
まずはアイドルらしい芸名を考えた。
星野ひかり。
ちょっと俗っぽい気もするけど、多くの人に名前を覚えてもらえそう。
それからアイドルグループに加入するため、オーディションにも参加した。歌も踊りもまだまだな私がいきなりメジャーグループに挑戦しても、整形したビジュアルだけで合格するほど甘くはないはず。
そこで私が目をつけたのは地下アイドルだった。それも、これからのデビューを控えた無名グループ。それくらいのレベルなら私でもメンバーとして迎え入れてもらえるかも。
思惑通り、私は書類選考から一次、二次、そして最終オーディションまで無事パスし、地下アイドルグループのメンバーとしてデビューすることが決まった。
でも、大変だったのは、その後のことだ。
基礎的な体力強化に始まり、ダンスレッスンとボイトレに勤しむ毎日。歌唱に関してはともかく、元々、運動音痴だった私にとって、体力トレーニングとダンスは鬼門とも言えた。
何度、過酷なレッスンから脱落しかかったことだろう。他の出来るメンバーを見ていると、不甲斐ない自分自身に絶望したくなる。
けれども、私は決して挫けなかった。絶対にアイドルになるんだから。もう、星野ひかりとして生きることを誓ったのだから。
努力に努力を重ね、遂に私たちは地下アイドルグループ “Be:Angel” として、デビューの日を迎えた。
初舞台は小さなライブハウス。定員八十人くらいのキャパに集まったのは、満員とは程遠い、ほんの十人程度。これから自分たちの推しになるか否か、見定めてやろうという厳しい視線が突き刺さり、ほとんどアウェーでのデビューだと言ってもいいくらいピリピリした空気。
それでもデビューまで苦楽を共にしてきた仲間たちと円陣を組み、オープニング曲のスタートと共に勢いよくステージへ飛び出した。既存曲のカバーだけど、何度も練習を重ねた十八番だ。露出度の高い、臍丸出しの破廉恥な衣裳で激しく踊るキレッキレのダンスに加え、前後左右を入れ替えるフォーメーションに、千変万化のスポットライトで観客の度肝を抜く。
最初は棒立ちになっていた観客たちも、曲のサビに差し掛かる頃にはノリも最高潮になっていた。この日のデビューまでやってきたことは何ひとつとして無駄じゃなかった、と私は思わず目頭が熱くなり、必死に涙を堪えなくてはいけなくなる。
泣いている場合なんかじゃない。これはゴールでも何でもなく、単なるスタートに過ぎないのだから。
私たち “Be:Angel” はライブを中心に活動し、約一年後にはインディーズながら世間でも名を知られるようになった。民放の情報番組で特集も組まれたし、映像配信サイトでは十万回以上の再生回数を記録。このままだと大晦日の紅白にも出場できるんじゃないか、なんて冗談交じりに仲間内で盛り上がることもあった。
この頃、整形のおかげでグループでも一、二を争うビジュの私は、光栄なことにセンターを務めることが多くなっていた。もちろん、苦手なダンスもボイトレも人一倍練習し、メンバーの誰よりも上達した成果だと自負できる。たとえ一日たりとも、私に立ち止まっている暇などないのだから。一人でも多く私というアイドルを知ってもらうために。
ある日、大手音楽プロダクションの方が事務所を訪ねてきた。社長から聞いた話によると、超メジャーグループ “つつじヶ丘47” に私を移籍させないか、という打診だっららしい。
同じプロダクションに所属するグループならまだしも、まったく違う事務所のグループへ移籍だなんて、前代未聞の話だった。要するに、これは引き抜きみたいなものだ。
七年連続紅白出場や5大ドーム公演など、華々しい実績のある “つつじヶ丘47” は誰もが認める日本のトップアイドルグループだ。けれども一年前、不動のセンターだった明坂凛音がステージから去ったことで、人気も下降線を辿るようになっていた。
私にとっては願ってもないことだった。 “Be:Angel” の活動にやり甲斐はあったが、所詮はマイナーな地下アイドル。パフォーマンスだけに集中すればいいわけではなく、会場に来てくれたファンとの握手会や撮影会など、煩わしいことも付きまとう。お金を落としてくれる観客には申し訳ないが、メジャーなアイドルとは違って肌の露出が多い衣裳を着ているせいで、中には不快な思いにさせられる男性ファンもいて、可能であれば、そのような接触は避けたいと日頃から思っていた。
でも、この移籍話は絶対に上手く行かないだろう。私は “Be:Angel” のセンターとして活躍中だ。どの芸能事務所が所属タレントを手離そうとするだろうか。
私は社長に呼び出され、これまでの経緯を伝えられた。
「ひかりはどうしたい?」
「……チャンスがあるなら移籍して、もっと自分の可能性を拡げたいです」
どうせ無理だろうけど、私は正直な気持ちを吐露した。
社長はひとつ大きく息を吐いた。
「そうか。じゃあ、移籍するといい」
「えっ……?」
私は聞き間違いかと思った。
「先方はひかりを必要としている。今回のことは私も大いなるチャンスだと考えているよ。我が “Be:Angel” から一人のアイドルがステップアップして、メジャーデビューするんだ。残った他の子たちに、いや、これから加入する子にとっても夢のあることだと思わないか?」
私は感謝に言葉も出ず、ただ社長に深く頭を下げた。
本当は破格の慰謝料と移籍金を提示され、そちらへ傾いただけなのかも知れないが、私のメジャー移籍が叶った以上は何も文句を言うまい。
こうして私のメジャーデビューが決まった。本格的な参加は一ヶ月後の武道館公演だ。ドームでは何度もコンサートを開催している “つつじヶ丘47” にとっても初武道館になる。
このセンセーショナルな話題は巷を賑わせた。地下アイドルが一流メジャーへ。過去にも例がないわけではないが、天下の “つつじヶ丘47” が一人の地下アイドルを引き抜いたというニュースは驚きを持って伝えられた。
世間の反応は様々だった。この移籍を好意的に受け止める声もあれば、裏切られたと嘆く “Be:Angel” のファンや、金の力を使ってまで過去の栄光を取り戻したいかと反発する “つつじヶ丘47” のファンもいる。
SNSの書き込みに過激なものが増え、事務所に届くファンレターの中に脅迫状めいたものが含まれるようになった。
私はマネージャーにお願いして、脅迫状の中身を見せてもらった。
「あんまり読んで気持ちのいいものじゃないよ。余計なことに神経をすり減らす必要なんかないって」
中身を見る前、マネージャーからはそう忠告された。私は首を振る。
「今回のことについて、どんな意見があるのか目を通しておくだけ。大丈夫、心配しないで」
脅迫状はあらかじめ事務所のスタッフが開封し、すでに内容を把握していた。どれも差出人の名前は書かれていない。
何通か読み進めていくうちに、同一人物がいくつも送っていることに気づいた。
「……この人、毎日送って来るのね」
「どれ?」
マネージャーが私の手元を覗き込んだ。
「ほら。『お前なんか “つつじヶ丘47” にいらない。 “つつじヶ丘47” のセンターは明坂凛音だけだ』って」
「ああ、最後に “番人” って署名してあるヤツだな。どうやら熱狂的な “つつじヶ丘47” のファンみたいだな……というか、久坂凛音の、と言った方がいいのかもしれない。――どうする? これだけ執拗に送って来るヤツだ。直接、危害を加えようとして来るかもしれない。警察に届け出ようか?」
「ううん、心配しないで。最近、送り迎えはマネージャーが付いてくれているし、仕事以外で外を出歩くことなんてないから」
脅迫状を送り付けられた当人よりも不安そうな顔をしているマネージャーに私は言った。
明日から五月。私は自室の壁掛けカレンダーを破いた。
新しくめくった五月のカレンダーには三十日の土曜日と三十一日の日曜日に赤マジックで丸がしてある。“つつじヶ丘47” 武道館公演の日であり、私のメジャーデビューの日でもある。あと一ヶ月後だ。
ようやく、ここまで来れた。私がアイドルになると誓ってから二年が経つ。早かったのか、それとも遅かったのか、自分でも分からない。あのとき切った髪は元の長さにまで伸びていた。
でも、ようやくだ。
時刻は午前零時を過ぎたところ。連日、“つつじヶ丘47” でのリハーサルが続いていて、帰る時間が遅くなってしまう。居残りで自主練もしていたため、夕飯も食べ損ねてしまった。
買い物へ行く暇もなく、冷蔵庫は空だ。コンビニへ行こうかと思ったが、二十四時間スーパーまで足を伸ばそうと考え直す。本番までしばらくこんな生活なのだ。食材を買いだめしておいた方がいい。普段からこまめに買い物するより、まとめ買いする習慣がついていたせいもある。
帽子とメガネ、それからマスク。ダボダボの服装に着替え、アイドルだと分からない格好をする。
スーパーまでは徒歩十五分くらいの距離だ。深夜なので人通りは少ないが通い慣れた道程のはずだった。
途中、三階建ての有料駐車場前に差し掛かったとき――
「おい」
後ろからかけられた男の声に私は立ち止まった。
振り返ると一人の男が立っていた。見たこともない、気の弱そうな男だ。しかも女の私よりも背が低い。両手を上着のポケットに突っ込んでいた。
「……ぼ、僕は何度も警告したはずだ。お前なんか “つつじヶ丘47” にいらないって……お前なんかが “つつじ” のセンターになれると思ってんのか……?」
「あなたが……“番人” なの?」
男――私に脅迫状を送り付けてきた “番人” はポケットからいきなりナイフを取り出した。あまりに大きなナイフだったせいで、切っ先がポケットに引っかかったが、すぐに手首を返して私に凶器を向けてくる。
私は後退った。走って逃げるべきだったかもしれないが、もし追いつかれて背中から刺されたら。私は対峙したまま、後ろ歩きで有料駐車場の中へ入った。
「ば、馬鹿め! 袋のネズミだぞ!」
“番人” は泣き笑いをするような、どんな感情なんだか分からない表情を浮かべていた。逃げる素振りがないのをいいことに、ジリジリと私との距離を詰めようとする。
「な、何でこんなことを……」
理不尽だ。私は恐怖よりも怒りを覚えた。
「 “つつじヶ丘47” のセンターは明坂凛音しかいないんだよ。彼女だけがセンターに立つべきなんだ」
「だからグループから卒業しようとしていた彼女も殺したの?」
私から指摘され、“番人” の目に動揺の色が浮かんだ。
そう。二年前、久坂凛音は何者かによって殺害された。ストーカーの仕業ではないかと噂されたが、結局、犯人は特定されないまま現在に至る。
「お、お前……何を知っている……!?」
「私の本名は佐藤理子。彼女とは幼馴染だった。凛音が卒業するなという脅迫状に悩まされていたとき、私も見せてもらったことがある。その中に “番人” っていう署名があったのを思い出したわ。そう……あなただったのね」
「………」
「凛音を殺された私は犯人への復讐を誓った。だから、敢えて彼女とそっくりな顔に整形し、アイドルになったのよ。いつか、あなたが凛音そっくりの私を標的にして犯行を繰り返すんじゃないかと思ってね」
明坂凛音と瓜二つになった効果は絶大だった。地下アイドルとしてのデビューが叶い、彼女の再来だとマスコミに取り上げられ、所属していた “つつじヶ丘47” への移籍まで実現してしまったのだから。
「じゃ、じゃあ……僕はまんまと誘き出されたと……?」
「そうよ」
「ふ、ふざけやがって!」
“番人” は真正面から突進してきた。身体ごとぶつかるようにしてナイフを私の腹部に突き立てる。
どんなに苦手なダンスを克服したとしても、生来の運動音痴は改善されない。私は相手の動きにまったく反応できず、凶刃から逃れられなかった。
「………」
ナイフを突き立てた “番人” は私の顔を見上げた。ざまあみろ、と勝ち誇りたかったのかもしれない。
でも、私はそれを蔑んだ目で見下ろした。
「死んだ凛音もお腹を刺されてた。何度も何度も。首とか刺されたらどうしようかと思っていたけど、同じところを狙ってくれて助かったわ」
「なっ……!?」
私はポケットに入れていたスタンガンを “番人” の首筋に当てた。バチッと百万ボルトの電圧が走る。
声を発することもなく “番人” はその場に倒れた。相当な威力だったはずだが死んではいまい。
「やったよ……凛音……とうとう、あなたを殺した犯人を……」
私は力が抜けたように膝をついて、気絶した憎き殺人鬼を見つめた。刺された腹部に手を当て、本当に無事だったかを確認する。
上着の下にはスタンガンと一緒にネットで買った防刃ベストを着込んであった。運動神経に乏しい私がナイフを躱す自信はなかったので、あらかじめ準備していたものだ。
「これで終わりだから……凛音……どうか、これからは安らかに……」
私は凶器のナイフを取り上げると、その刃を “番人” の心臓へ向けた。
復讐は犯人を警察に突き出して終わりではない。凛音は殺害されたのだ。罪人には同等の罰が必要だと私は考える。こうして、わざわざ有料駐車場へ誘い込んだのも、偶然通りかかった誰かに邪魔されたくなかったからだ。
私はようやく親友の仇を討てることに涙しながら、渾身の力を振るって “番人” の胸にナイフを振り下ろした。何度も何度も。生温かい返り血を顔に浴びても私は手を止めなかった。
これでようやく続けてきたアイドル『星野ひかり』も辞められる。振り返ってみれば長い長い日々だった。
荒くなった呼吸を整えてから、私はスマホで警察に自首した。
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