RED文庫]  [新・読書感想文



味の記憶


「んっ! 美味いっ!」
 目の前にあるカレーを一口頬張った早田は正直な感想を洩らした。テーブルの向かい側に座った凛果が顔をほころばせる。
「良かったぁ」
 初めて出した手料理の出来栄えを心配してか、凛果はホッとした表情を見せた。出された高評価に安心してから、ようやく自作のカレーライスに手をつける。その間に早田は、すでに三口目を味わっていた。
「よく男の胃袋を掴む料理に肉じゃがが挙げられるけど、俺なら断然カレーを選ぶな。それも本場の味なんかじゃなく、市販のルーで作るヤツ。俺好みの辛口であれば言うことなしだ」
「ふーん」
「カレールーにはしっかりとろみがついてて、ご飯が隠れるくらいたっぷりと……なぜ店で提供してるカレーは皿の半分だけしかルーをかけないんだろう? 俺はカレーを味わいたいんであって、ライスは二の次なんだが」
 早田は凛果のカレーを味わいながら、持論であるカレーライス愛を語った。
 それを聞いていた凛果はクスクス笑い出す。
「そこまで言う? 本当にカレーが好きなのね」
「ああ。俺にとっちゃ、カレーがお袋の味みたいなもんだからな」
「てことは、私のカレーはお母さんの味に近いわけ?」
「うん。近い、近い。てか、ビックリするくらいそっくりな気がする」
「へえー」
「こうして凛果がカレーを作ってくれるんなら、わざわざ外出先で食べなくてもいいかも」
 二人が交際して三ヶ月、今日は凛果が初めて自宅に招待してくれた記念すべき日だ。何を食べたいか訊かれ、早田は大好物のカレーをリクエストした。
「おかわりは? する?」
「うん!」
 早田は三分もしないうちに空になった皿を凛果に差し出した。
 いつもならご飯はお代わりしないタイプなのだが、どういうわけかカレーだけは別だ。普段それほどでもない食欲が不思議と湧いて来る。
「はい、どうぞ」
「サンキュー」
 凛果はまだ半分も食べていないというのに、早田はもう二杯目に手をつけた。
 水を一口飲んだ凛果はコップをテーブルの上に置くと、食欲旺盛なわんぱく坊主のようにカレーを貪る早田を眺めた。
「ねえ、お母さんって、どんな人だった?」
「えっ……?」
 スプーンを握った早田の右手が止まった。一年ほど前に亡くなったことだけは、すでに話してある。でも、それ以上のことは敢えて伏せてきた。
「聞かせて」
「………」
 早田は躊躇した。母のことは、ほとんど誰にも話してない。苦い記憶がどうしても甦るからだ。
「……ひょっとして、話したくないの?」
 凛香の顔が曇った。
 早田は食べるのを中断し、気持ちを落ち着けた。そして、隠すわけにもいかないだろうと、皿の上のカレーに視線を落としながら、ぽつりぽつりと話し始める。
「小学四年生の頃、親父が浮気して家から出て行って以来、俺は母との二人暮らしになった。経済的には余裕のない母子家庭だったけど、母さんは愛情たっぷりに俺を育ててくれたし、幸せだったのは間違いない。でも、高校二年生のとき――」
 カレーの辛さのせいか、それとも躊躇いのせいか、早田は言葉を続けられなくなった。コップの水を飲んで口を湿らせる。
 凛果は黙ったまま、早田を待った。
 ところが逆に、沈黙が話の先を促しているようにも感じられる。長く無言でいることに耐えられなくなった早田は、何かに急かされるかのように続けた。
「高二のとき、初めて彼女が出来たんだ。同じクラスの女子だったんだけど、好きになった彼女のことを母に紹介したくて、自宅に呼んだことがある」
「それで……?」
「そしたら、母の態度が思ったのと違ったんだ。てっきり喜んでくれるものと思ってたら、まるで息子に疫病神でも憑りついたかのような拒絶反応で。初対面である彼女に酷い言葉を浴びる母は別人と化したかのようだった」
「………」
「今でも、あのときの出来事がショックで……それほど彼女の第一印象が最悪だったとも思えない……ただ息子に変な虫がつくのを嫌ったみたいだった……」
「お母さんにとっては、この世で最も大切な息子だったから、でしょうね」
「だとしても!」
 早田の声が本人もビックリするくらい大きくなった。あの頃の忘れていた感情がぶり返したせいだろう。
「もう少し他の接し方というものがあったはずだ……なのに……結局、彼女は母を怖がり、交際も続けられなくなった……あのとき、母にさえ会わせなければ……」
「………」
「それ以来、女性と深い関係を持つことに俺は臆病になってしまって……母が一年前に亡くなり、その後こうして凛香と出会って、やっと母の呪縛から解かれたような気がするんだ……凛香、ありがとう」
「ラッキーだったね、私みたいに素敵な彼女が出来て」
 ダイニングには深刻な空気が漂っていたが、茶化したように凛香が言ったので、ようやく早田も呼吸が楽になったような気がした。
「何だよ、最初に付き合おうって声かけてきたのは凛香の方だったじゃないか」
「ふふっ、こんなに美人で料理も上手な彼女、これからも大切にしてよね!」
「もちろん! ――にしても、このカレーの味、母が作ってくれたのと瓜二つとしか思えない!」
「まだまだ、お鍋いっぱいに作ってあるから、ジャンジャンおかわりして」
「ありがとう」
「――あっ、福神漬けを忘れてた。ねえ、食べるでしょ?」
 凛香は立ち上がると、冷蔵庫に向かった。
 扉を開ける前にこっそり後ろを振り返ると、カレーライスにすっかり夢中な早田の姿を盗み見る。
「どうぞ、好きなだけ召し上がれ。いつでも食べたくなったら、あなたの大好物のカレー、私が作ってあげるから」
 この世に未練を残して死んだ母の怨霊は、凛香という女性の身体を乗っ取り、これからも愛息である早田を誰よりも側にいて見守るつもりだった。


<END>


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