【最新作】

「どうか、お願いします! 助けてください!」
依頼人の男は霊媒師と顔を合わすなり、土下座をせんばかりに必死な様子で頼み込んできた。
その理由が霊媒師には一目で分かった。
「これは……相当な数の悪霊に取り憑かれていますね」
すると依頼人の男は、ハッとして顔を上げた。
「わ、分かるのですか……?」
「ええ。職業柄、そういった人たちを数多く視てきました。しかし……これほどの悪霊に取り憑かれて、まだ無事に生きていらっしゃる方とお目にかかるのは初めてです」
「ど、どうか、この悪霊を追っ払ってください! でないと、私は殺されてしまうでしょう!」
「承知しました。ですが、その前にこうなった経緯をお聞かせ願いたいのですが、構いませんか?」
「え、ええ……」
最初のうち、酷く取り乱していた依頼人の男はようやく少し落ち着いた様子を見せ、来客用の椅子に腰を下ろした。
霊媒師は目の前にいる依頼人の男を観察した。
年齢は三十歳くらいだろう。頬が痩せこけ、目の下には隈まで作っていたが、悪霊に取り憑かれる前は、ごくごく普通の一般人だったに違いない。
彼の日常は最近になって狂わされたのだ。
「まずはお名前から」
「古谷と言います。建築デザインの仕事をしています」
「それで、どうして悪霊なんかに?」
「……思い当たる出来事と言えば、一ヶ月くらい前、私を含めた大学時代の友人四人でキャンプに出掛けた帰りです。友人の一人が運転する車に乗って、山道を走っていました」
依頼人の古谷は目線を下に向け、当時の恐怖を思い出しながら話しているようだった。部屋の中は適度な室温で保たれているはずなのに、古谷の身体は震えが止まらない。
「予定よりも帰る時間が遅くなってしまって……日没になり、雨も降って来て……多分、山道にも迷ったんだと思います。車のライトだけが頼りで、何処へ通じているとも分からない道を走っていると、突然、何かにぶつかった衝撃が……」
「何にぶつかったか、確認はされたのですか?」
「はい……全員で車を降りて、ぶつかったものの正体を見ました……最初は単なる石の塊だと思ったんです……でも……よくよく思い返してみると、あれはお地蔵様だったのかな、と……あまりに古くて、顔の輪郭さえありませんでしたが……」
「ふむ……ひょっとすると、道祖神だったのかも知れませんね」
「ど、どうそじん……?」
「ええ、日本各地で見られるですよ。村境や峠の道端などで祀られてて、外から来る禍(わざわい)や悪霊を防ぐんです」
「そ、それだ! きっと、それだったに違いありません! その日を境に、私の友人たちは次々と命を奪われてしまったんです!」
「友人たち……キャンプへ行ったという、他の三名のことですか?」
「そうです! 車を運転していた友人が最初でした! キャンプから帰った翌日、出勤途中に突然死してしまったんです! 死因は確か、大動脈解離だったって聞きました!」
「ふむ……」
「二人目は助手席に乗っていた友人です。そいつはサーフィンが趣味だったんですが、ある日の早朝、海に出たまま戻らず……きっと何らかの原因で溺れ、流されてしまったのだと思います」
「なるほど。もうお一人は?」
「三人目は後部座席……運転席の真後ろにいた奴です。彼は新聞記者でした。二週間ほど前、工場火災の取材に出たとき、搭乗したヘリが墜落して……」
「あのニュースですか。私も存じてます」
「だから、次はきっと私の番に違いありません! 実際、この二週間くらいの間、何度も命の危険に見舞われているんです!」
「ほお。例えば?」
「信号待ちしてたら、トラックが歩道に突っ込んで来たことがありました。あと、工事現場の前を通りかかったら、頭上から鉄骨が落ちて来たり……」
「怪我はされなかったのですか?」
「ええ、どちらも間一髪のところで命拾いして……ですが、一昨日も地下の焼肉店で食事をしていたら、いきなり火事になって……店内は真っ暗になってしまうし、今度こそお陀仏かと覚悟しましたよ。運良く非常口に辿り着けましたけど……」
「大変な目に遭われたようですね」
「何とか今日まで生き延びられましたが、この先のことを考えると不安で不安で堪りません! 原因はキャンプ帰りに壊してしまった、その、どうそ――何とかのせいなんでしょ!?」
「ええ、恐らくは。長年、道祖神が防いでいた穢れや悪霊が解放されてしまったのだと思います。今も古谷さんの身体に取り憑いている多くの悪霊が、私にはしっかりと視えていますから」
「ど、どうか、先生のお力で除霊していただけませんか!? 謝礼なら、私の全貯金をはたいても構いません! 何卒お助けください!」
「除霊では……ちょっと難しいですね」
「えっ……!? そ、そんな……!」
「除霊と言うのは悪霊を追い払うことなのですが、この強く執念深い悪霊たちは、また古谷さんのところへ戻ってしまう恐れがあります。そうなれば、元の木阿弥」
「ひぃっ!」
「それに、取り憑いている悪霊たちは互いに絡み合っているような状態で――例えるなら、こんがらがった毛糸玉みたいなもので、ちょっとやそっとでは引き剥がすことが出来そうにありません」
「で、では……もう打つ手はない……と……?」
「いいえ。最終手段があります」
「さ、最終手段?」
「浄霊です」
「じょ、じょうれい……? 何ですか、それは? 初めて聞きますけど」
「浄霊とは『霊を浄化する』と書きます。つまり、どのような霊であろうと成仏させてしまうのです」
「そ、そんなことが可能なのですか?」
「儀式は一日がかりで、飲まず食わずで行います。体力的にキツいですが、古谷さんの協力さえあれば可能です」
「ぜ、是非お願います! どんなに大変だろうと、この命が助かるのならば!」
「分かりました。では早速、準備に取り掛かりましょう。悪霊はこちらの都合など考えてくれませんからね」
霊媒師は素早く退魔浄霊の儀の手筈を整えた。
祈禱場の中心には護摩木を積み上げて作った護摩壇が据えられ、赤々とした火が焚かれた。それは炎の柱のように立ち昇る。
身を清め、白い長襦袢に着替えた古谷が、数珠を手に持って護摩壇の前に立つ。
その横では霊媒師が正座をし、真っ赤に燃える護摩壇に向かってマントラを唱え始めた。
「ナウマク・サンマンダ・ボダナン・オン・ボロン……ナウマク・サンマンダ・ボダナン・オン・ボロン……」
儀式は一昼夜に渡り続いた。
プロである霊媒師はともかく、古谷にとっては想像以上に苛酷な儀式だった。
まず護摩壇の近くに立つせいで、火傷しそうになるくらい身体が熱い。その場から離れると儀式が中断されることになるので、ひたすら耐えるしかなかった。喉が渇いても水すら飲めない。何度も意識を失いそうになった。
しかし、これも取り憑いた悪霊を祓うためだ。必死に気力を振り絞る。たったの三十年で人生の終わりが訪れるなんて、そんな理不尽を受け入れるわけにはいかない。
風もないのに護摩壇の炎が大きく揺れた。きっと古谷に取り憑いた悪霊が抗っているのだろう。霊媒師の顔にも苦悶が浮かんでいる。古谷と一緒に戦ってくれているのだ。
(消えろ、悪霊め! 今すぐ、ここから去るがいい!)
古谷は手にした数珠を握り締めて、ひたすら念じた。
「うっ……」
気がつくと古谷は仰向けになって寝ていた。気絶してしまったのか、と慌てて飛び起きる。
「古谷さん、お疲れさまでした」
近くに霊媒師がいた。ペットボトルのミネラルウォーターを古谷に手渡してくれる。さすがにプロである霊媒師にも疲労の色は隠せなかった。
「ぎ、儀式は……!? す、すみません! いつの間にか気を失ってしまったみたいで! それで、儀式は失敗したんですか!?」
古谷は自分のことよりも、手を尽くしてくれた霊媒師に申し訳なく思った。
ところが霊媒師は口許をほころばせる。
「古谷さんが倒れられたのは、ちょうど儀式が終わった直後でした。もしかして、憶えておられませんか?」
「じゃ、じゃあ……」
「ええ、退魔浄霊の儀は成功しました。あなたに取り憑いていた霊は完全に消滅したのです」
「やっ……やったぁぁぁぁぁっ!」
脱水症状になってフラフラなのも構わず、古谷は喜んで飛び跳ねた。ホッとした途端、身体から力が抜けて倒れそうになる。
霊媒師が古谷の身体を支えた。
「嬉しいのは分かりますが、まずは休んでください。一般人に過ぎないあなたにとって、今回の儀式は相当な負担になったはずですから」
「あ、ありがとうございます! 本当にありがとうございます!」
古谷は涙まで流して悪霊を浄霊してくれた霊媒師に感謝した。
「いえ、私は自分の仕事をしたまで。それに報酬はちゃんといただきますので」
「はいっ! お約束通り、銀行で全財産を降ろして来ます!」
「貯金をどれほどお持ちかは知りませんが、どうかご無理なさらず。それよりも今後はより気をつけるようにしてください」
「もちろんですとも。もう二度と、あんな怪しい所に近づいたりしません!」
「いえ、それだけではなく……」
霊媒師は表情を曇らせた。古谷は気がかりになって理由を尋ねる。
「どういうことですか?」
「あの悪霊たちに取り憑かれても、こうして古谷さんが死を免れられたのは、元々いた守護霊のおかげだと思われます」
「守護霊……」
「ええ。相当強い力を持った守護霊だったのでしょうね。あの悪霊たちから古谷さんを守り通したのですから」
「………」
「あなたが生まれてから今までの間、こうして無事であったのは、その守護霊があってこそ。ですが、浄霊の影響で守護霊も消えてしまった今、古谷さんを守ってくれる存在は皆無です」
「そ、そんな……」
「今後は些細なことでも古谷さんの致命傷になりかねないので、より慎重に生きていくことをお勧めします」
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