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吟遊詩人ウィル

禁忌の制約<ギアス>

−2−

 何者かが横穴の入口に立っていた。どうやら一人らしいことはおぼろげに分かるものの、すでに夜の帳<とばり>が下りているため、外の暗さに姿が溶け込んでしまっている。正体不明の人物の出現にジェリコは警戒を強めた。
「だ、誰だ!?」
「もう起きていて大丈夫なのか?」
 いきり立つジェリコに対し、その人物の声音は落ち着いた男のものだった。無遠慮に中へ足を踏み入れてくる。
「――っ!?」
 ジェリコは、その場に固まった。今度は別の緊張が走ったからだ。
 夜気に溶け込んでいたのもうなずけるほど、男の全身は黒一色によって覆われていた。黒いマントが特徴的な旅装束と鍔広の旅帽子<トラベラーズ・ハット>。日が沈んだ今ならともかく、日中の苛烈な日射しを浴びていたら、たちまち自然発火してしまうのではないかと心配になるくらい、灼熱の砂漠を旅するには、あまりにも不向きな出で立ちだ。
 だが、そんなことよりもジェリコを釘付けにしたのは、男の持つ美貌だろう。長く伸ばした黒髪と、上背がそれほどない細見の体型から、最初に声を聞いていなければ絶世の美女が現れたのかと勘違いしたはずである。誰しもが一目で心を奪われ、陶然としてしまう――そんな魔性めいた美しさをはらんでいた。
 中へ入って来た黒マントの男は、目も合わさずにジェリコの脇を素通りすると、ナギに向かって、ずっしり重たそうなズダ袋を差し出した。
「食料だ。食べろ」
「わーっ、すごーい! こんなのどこで手に入れてきたの?」
 ナギはズダ袋を両手で抱えるように受け取りながら、早速、嬉しそうに中を確認した。
「偶然、近くで王都バハムートへ行くという隊商<キャラバン>が夜営しているのを見つけ、そこで分けてもらった。この男の看護で疲れただろう。遠慮するな」
「ありがとう! ――わーっ、乾パンがある! 干し肉と……これはチーズ?」
「ハルーミィだ。水は大事に飲め。旅を続けるなら、この先も必要だからな」
「うん!」
「いろいろと済まぬなぁ、旅の御仁よ」
 食料を調達してきた黒尽くめの男に、何と魔獣であるマンティコアまでが礼を述べた。ジェリコは自分の目が信じられなくなる。自分の持つ常識が覆りそうだ。
「面倒事を持ち込んだのはこちらだ。これは、せめてもの礼だと思ってくれ」
「おい」
 自分の存在を無視して会話が進められていくことに、ジェリコは腹立たしさを覚えた。それでも男は背を向けたまま。とうとう我慢しきれなくなり、声を荒らげる。
「こっちを向きやがれ! アンタは誰だって、訊いてんだろうが!」
 怒声を浴びせられ、ようやく黒い旅装束の男が振り返った。ところが、男と視線を合わせた途端、今度はジェリコの方から顔を背けてしまう。体中の毛が逆立ちそうな美貌に見つめられると、どうしていいのか分からず、一時たりとも直視することが難しい。
「他人に尋ねる前に、まずは自分から名乗ってはどうだ?」
 反対にそう言われ、ジェリコは赤面する。
「お、オレは……ジェリコって者だ。アンタは?」
「オレの名はウィル。お前を拾った吟遊詩人だ」
「吟遊詩人だって?」
 普通、吟遊詩人と言えば、諸国を巡りながら、自ら演奏する楽曲の調べに乗せて、古くから伝わる英雄譚やロマンティックな悲恋ものなどを歌い聴かせる者のことだが、ジェリコの目の前にいる人物の服装は地味どころか黒尽くめで、聴衆を惹きつける魅力を著しく欠いているように思える。ただ、この男ほどの美貌があれば、そんな心配も無用かもしれない。むしろ人前で稼がずとも、自分のところで囲ってやろうという色好みのパトロンが――女だけでなく同性であっても――名乗り出ても不思議ではない気がする。
 葬儀の参列にでもふさわしい衣裳はともかくとしても、確かに黒マントの下に何か楽器を隠しているようで、傍目からもそれらしき膨らみが目立つ。職業に偽りはなさそうだ。
 ジェリコはすっかり、この吟遊詩人のウィルとやらに呑まれていた。
「旅の途中、瀕死だったお前を見つけた。傷の具合を診たところ、出血がひどく、手遅れに思えたが、この岩場まで運ぶと、偶然、夜営しようとしていた、この者たちと出会ってな。しかも、このマンティコアはお前を治療できるという。だから、お前のことを託した」
「じゃあ、何か。この娘はともかく……こんな化け物の言うことを信用したってのか?」
「運が良かったんだよ、お兄さんは! 爺様の“奇蹟”が救ってくれたんだから!」
「そ、それは……確かに……それについては礼を言うとも……助かった……感謝する」
 魔獣のかけた魔法によって死なずに済んだことに対し、複雑な心境はあるものの、ナギの言う通り、このマンティコアに救われたことはジェリコも認めざるを得なかった。
「――ところでアンタ、どっかでオレと会ってねえか?」
 ウィルが入ってきた瞬間から、ジェリコは奇妙な既視感を覚えていた。こんな震えが来るような美貌の持ち主を見かけていれば、絶対に記憶しているはずだが、どうもそれが思い出せない。
「当たり前だ。お前を助けたのはオレだからな」
 にべもなく返ってくる冷たい答え。そう言えば、意識を失う前に誰かがいたような気がする。あれは死に際の幻覚ではなかったのか。
「こちらもお前に尋ねたいことがある」
 ウィルの怜悧な目がジェリコを見つめた。すべてを見透かすような黒い瞳に魅入られ、ジェリコは狼狽してしまう。
「な、何だよ?」
「オレが通りかかったとき、お前以外にあと二人の遺体を見つけた。お前の仲間という感じではなかったな。オレの見立てだと、あれはお前を襲った者だろう。深手は負ったが、何とか二人は返り討ちにした、といったところか。あんな砂漠の真ん中で、どうして襲われた? 何か心当たりはあるのか?」
「い、いや……」
 質問する黒衣の吟遊詩人から目を逸らし、ジェリコは乾いた喉を鳴らした。水が欲しい。
「本当か?」
 ウィルはさらに重ねて問う。向けられた漆黒の瞳に吸い込まれそうだ。
「知らねえよ。どうせ、この辺を縄張りにでもしている野盗か何かだろ」
「そんなはずはない。砂の上には複数の何者かがその場から立ち去った痕跡が残されていた。お前を襲ったのは、あの二人だけではなかったはず。仮にそいつらが野盗だとすれば、あそこから去る前に、お前が持つ銀貨はすべて奪われていたはずだ」
「お、おい! アンタ、勝手にオレの所持金を確認したのか!?」
「ああ、身元が分かるようなものを捜させてもらった。お前が死んだら、せめて遺品を届けて、身内の者に知らせてやろうと思ってな。旅の情けというものだ」
「チッ……オレの金が盗られなかったのは、きっと、たまたまだったんだろうよ。実際は盗ろうとしたが、アンタがやって来るのが見えて、そのまま逃げた――とかよぉ」
「なるほど」
 ウィルが本当に納得したかどうか、美しくも感情を表に出さない顔色を窺ってみたが、ジェリコには判然としなかった。いや、多分、納得していないだろう。
「そんなことより、早く食べようよ! あたし、お腹空いちゃった!」
 気まずい雰囲気を払拭するかのように、無邪気なナギが大袈裟に声を上げた。
「そうだな。そうしよう」
 それを潮にウィルもジェリコへの追及をやめる。ジェリコはやっと解放された気がした。
「ねえ、お兄さんもまだ傷が痛むだろうけど、何か口にする? 食べられそう?」
「乾パンとかは無理だろうが、そのハルーミィくらいなら。軽く火で炙ってくれると嬉しい。――あっ、その前に水が欲しいんだが」
「うん、分かった」
 すぐにナギが言われた通りに水袋を渡してくれた。
 ようやく喉を潤すことが出来たジェリコは、食事の用意が出来るまで、少し横になって身体を休めることにする。魔獣であるマンティコアよりも、美しき吟遊詩人のことを警戒しながら。



 翌朝、奇妙な組み合わせの一行は夜営した岩場を発ち、広大な砂漠の地をひたすら西へ歩き始めた。
 ジェリコとしては、別に同行する必要もなかったのだが、ナギにしつこく誘われたこともあり、出発したら自然とそういう成り行きになった。旅は道連れというが、特に砂漠での単独行動は命取りになることもある。助け合いは生き延びるのに必要なものだ。
 日の出とともに、たちまち気温は上昇し、一歩を踏みしめるごとに体力が奪われていく。魔法による治療が行われたとはいえ、完全には傷口が塞がっていないジェリコには過酷な道程と言えた。
「大丈夫、お兄さん?」
 一番後ろのジェリコを気遣い、ナギが心配そうに振り返った。
 そのナギは一頭のラクダを引いている。元々、連れていたわけではなく、実はマンティコアが魔法を使って変身した姿だ。いくら人の往来が少ない砂漠のど真ん中とはいえ、魔獣を連れて歩いていたらどのようなトラブルに巻き込まれるか分からない。そのため、今までもこうして用心を施し、旅をして来たのである。
 ジェリコは年下の少女を安心させようと、なるべく頑張って笑顔を作った。
「だ、大丈夫だとも。気にしないでくれ」
 本来なら華奢な身体つきのウィルよりも、この中では一番、体力に自信があるはずなのに、今は一行の足をジェリコが引っ張ってしまっている。自分への不甲斐なさとナギに対する申し訳なさがあった。
「ねえ、歩くのが無理そうだったら、爺様の背中に乗る?」
「こら、ナギ。勝手なことを言うんじゃない。余は、そんな若造を背中に乗せるなんぞ、真っ平ごめんじゃ!」
 変身していても、マンティコアは人間の言葉を話せた。喋るラクダとは笑える。見世物小屋に売り飛ばせば、かなりの高値で引き取ってくれるだろう。
 オレだって魔獣の背中なんかに乗るもんか、とジェリコは心の中で悪態をついたが、揉めるだけなので口には出さないでおく。
「えーっ、どうしても駄目?」
「どうしてもじゃ。それだけは聞けん」
 あまりナギに気を遣わせるわけにもいかず、ジェリコは話題を変えることにした。
「それよりもナギ、これから行くナヴァールってのは、どんな所なんだ?」
 《奇蹟の町》を出たマンティコアとナギが目指しているのは、ナヴァールという地だと、昨晩、食事中に教えてもらった。ジェリコはシャムール王国の出身だが、聞いたこともない地名だ。
「うーん、あたし、バカだからさぁ、爺様が言うナヴァールってのも、どこにあるんだか分かんないんだよねぇ」
 またしても黄色い歯を見せながら、ナギは恥ずかしそうに笑って誤魔化した。
 口癖のように自分で言うほど、ナギは頭が悪いわけではないと思うのだが、ずっと《奇蹟の町》から出ずに暮らして来たので、それよりも外の世界のことが分からないのだろう。自分のことを卑下しがちな少女に、ジェリコはかけてやる言葉を見つけられなかった。
「余の記憶が確かなら、この先にナヴァールはあるはずじゃ」
 西を見据えながら、ラクダになっているマンティコアが教えてくれる。
「ナヴァールというのは、この砂漠にある古代魔法王国期の遺跡のひとつだ」
 出発して以来、一行を先導するように歩きつつも、ずっと口を開くことのなかったウィルが割り込んだ。この天候の下、黒いマントを羽織ったまま砂漠を横断しているというのに、汗ひとつ掻いていない。この男は人間ではないのか、とジェリコは怪しむ。
「へ、へえ、さすがは様々な伝承や旅先の噂話などに通じている吟遊詩人。博識だな。オレはこの国の者だが、そんな遺跡が残っているとは知らなかったぜ」
「無理もない。遺跡としては規模が小さいし、すでに“枯れた遺跡”だ。探索し尽くされて、マジック・アイテムのような遺失物もなければ、学術的な価値もないと言われている」
「そいつは、さぞや辺鄙な所なんだろうな」
「オレも行ったことはないから、何とも言えないが。――ところで」
 不意にウィルが振り返った。美しき相貌が向けられ、ジェリコは訳もなくギョッとする。
「こちらへまっしぐらに来る一団がいるな」
「えっ?」
 ウィルに言われた通り後方を確認すると、陽炎の向こうから舞い上がる砂煙が、徐々にこちらへ近づいて来るのが見えた。


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