「ふああああああ〜っ!」
うららかな春の昼下がりだった。
オレは学校の屋上に寝そべり、大きなあくびをした。昼寝にはもってこいの日和である。これから午後の授業に出るなんてバカらしい。
ところがお節介にも、そんなオレを捜しに来るヤツがいた。
「ちょっと、王子!」
屋上へやって来たのは、同じクラスの女子生徒だった。ただし、普通の女子校生じゃない。
オレはせっかくの昼寝を邪魔されて、不機嫌さを隠そうともせずに起き上がった。
「おい、苗字でオレを呼ぶなって、何度言ったら分かるんだ?」
オレの名前は王子卓馬(おうじ・たくま)。小さい頃から「王子さま」なんて言われて、からかわれてきた。だからオレは苗字で呼ばれることを嫌っている。今、男でそう呼ぶヤツがいたら、問答無用でブン殴っているな。
「じゃあ、何て呼べばいいのよ?」
オレを呼びに来た女子生徒は、挑むように尋ねてきた。いつもケンカに明け暮れているオレに、臆すことなく平然と声をかけてくる女は、この高校じゃ彼女くらいのものだ。
「下の名前で呼べよ」
オレは面倒くさそうに言った。すると彼女は気を取り直して、
「じゃあ、卓馬。こんなとこでサボっていないで、さっさと教室へ戻りなさい」
と、オレに命令しやがった。答えは当然、決まっている。
「ヤだね。こんな気持ちのいい天気の日に、クソつまらねえ勉強なんて。第一、お前にそんなこと言われる筋合いはねえや」
オレは憎まれ口を叩いた。そのオレの不遜な態度に、彼女は形のいい柳眉を吊り上げた。
「私は日直なの! 先生に頼まれたんだから! 早くして! もう授業が始まっちゃってるわ!」
いつもオレを疎んじている先公のヤツも、こいつの言うことなら聞くとでも思ったのだろう。だが、生憎だったな。
「そんなの、校内のどこにもいませんでしたとか、適当なこと報告しとけよ。オレはここで寝てっから」
そう言って、オレはごろんと再び寝転がった。ところが、そんなオレの耳を容赦なく猛烈に引っ張りやがる。
「痛ててててててっ!」
オレはたまりかねて、釣り上げられた魚のように身を起こした。他の誰かに見られたら、かなり情けない姿だ。この王子卓馬が女にやられて、悲鳴を上げるなんて。
「先生にウソの報告なんてできません! さあ、早く立って!」
「ば、バカ! そんなに引っ張るな! お前の耳みたいになったらどうすんだ!?」
そう。彼女の耳はオレたちの耳とは違っていた。細く尖った長い耳。体格も華奢で、スーパーモデルも真っ青の細さだ。
彼女の名はエルフィーナ。カタカナだからって、外国人じゃない。聞いて驚け。彼女は歴とした宇宙人である。
一年ほど前、外宇宙よりやってきた異星人が地球にコンタクトを取ってきた。それがエルフィーナたち、“エルファン”である。
エルファンというのは、地球側でつけた異星人たちの呼び名だ。何でもエルフィーナたちの種族を正しく発音することは、地球人にとって困難なのだとか。そこで、エルファンの外見がファンタジー小説に出てくる妖精族『エルフ』にそっくりなことから呼称されたらしい。
地球へやってきたエルファンは、友好的な交渉を求めてきた。エルファンには、すでに母星がない。新しく移住できる惑星を捜しながら、宇宙を流浪しているそうなのだ。そこで新しい母星が見つかるまで、地球に補給などの援助を求めてきたというわけである。
もちろん、地球側にもエルファンたちのテクノロジーが提供されるという話だ。頭の悪いオレにはさっぱりだが、惑星間航行してきた宇宙人の科学力ともなれば、おそらく相当なものだろう。そのうち地球製の有人宇宙船で太陽系を飛び出すことが可能になるかもしれない。
主権国家が乱立する地球側は、なかなか意見がまとまらなかったものの、最終的にはエルファンとの同盟に漕ぎ着けた。異星人との共存なんて、SFの中だけの話かと思っていたが、現実になっちまったってワケだ。
さらに地球側とエルファンは、より交流を深めるため、互いに留学生を交換することになった。そこでエルファン側から選ばれたのが、このエルフィーナである。驚くべきことに、彼女はエルファンの王位第一継承権を持つ王女<プリンセス>なのだ。
何の冗談か、名門校を問わずランダムに決まったエルフィーナの留学先が、オレの通うすばるヶ丘高校だった。しかも同じクラス。よくイラストなんかで見るエルフそっくりの異星人が同級生だぜ。もう笑うしかねえだろ。
見た目、きれいで可憐で、とても品のあるエルフィーナは、アッという間に日本語を習得し、男女ともに人気を集めた。加えて王女<プリンセス>というステータスだ。学校はもちろんのこと、連日、彼女の一日を追っかけてマスコミが出入りし、今や世界的な人気アイドルと化している。当初、エルファンを侵略者ではないかと疑っていた人々──宇宙人を即侵略者と思い込む、短絡的な思考だな──も、すっかりエルフィーナに魅了され、最近は敵視する声も小さくなっていた。
しかし、こうも猫も杓子も「エルフィーナ」ってことになると、それに逆らいたくなってくるのがオレの性だ。オレは硬派な男である。男一匹、王子卓馬だ。
確かにエルフィーナのヤツは、きれいだし、顔は小さいし、肌は白く艶やかで、赤ん坊のようにきめ細かいし、エメラルドグリーンの瞳には吸い込まれそうになるし、長い金髪からはかぐわしい芳香が漂ってくるし、薄桃色の唇は魅惑的だし、脚はスラッと長くて、腰の位置は高く、キュッとくびれ、声もとっても耳障りがよく、笑顔がとってもキュートで、愛くるしさ120%、頭脳明晰、運動神経抜群、性格だって近頃の女どものようにスレたところなどなく、周囲に気配りできるタイプだ。惜しむらくは、エルファン特有の華奢な体型のせいで胸が小さいことくらい──ゴホン! と、とにかく、エルフィーナがエルファンの王女<プリンセス>だろうと何だろうと、硬派で一匹狼のオレには関係ないことさ。単なるクラスメイトの一人。……ホントだぜ。
ウチの学校へ編入してきた頃は、まだおしとやかで、いかにもお姫様然としていたエルフィーナだが、最近は地球に毒されてきたのか、それとも本来の地が出てきたのか、オレに対してずけずけと物を言うようになってきた。多分、向こうもオレがかなりの問題児だと認識してきたんだろうな。しかし、そこで距離を置こうとせず、お節介ながら、少しでもオレを更正させようとしてくるところが、他の女子生徒たちとは違っていた。
エルフィーナはどうしてもオレを授業へ引っ張って行きたいらしく、耳から手を離さなかった。オレはそんなエルフィーナの手を邪険に振り払う。
「痛てえって言ってんだろうが!」
パシッ!
自分でも驚くくらい、エルフィーナの腕にオレの手が強く当たった。エルフィーナは反射的に手を押さえ、キッとオレを睨む。生まれながらのお姫様だけに、こんな風に手向かわれたことなどないに違いない。しまった、やりすぎたか。オレは弁解の言葉を捜した。
そこへ、
「エルフィーナ様ーぁ!」
と、黒ずくめのスーツを着た四、五人の男たちが、屋上へ雪崩れ込んできた。そして、アッという間にオレの身柄を確保しやがる。問答無用で腕をねじ上げられた。
「痛たたたたたたっ!」
「この愚か者が! エルフィーナ様に無礼を働くとは、なんたる不届き! この場で懲らしめてくれる!」
「やめろ! このバカ親父!」
オレは腕をねじ上げている後ろの男──実の父親である王子正義(おうじ・まさよし)に喚いた。
エルフィーナが地球で滞在している間、彼女には地球人のSPがつく。地球でのことならエルファンよりも地球人の方が適任であるという理由と、エルファンの王女<プリンセス>であるエルフィーナに何かあっては、重大な国際問題になるからだ。それこそ全面的な宇宙戦争の勃発に発展しかねない。
オレの親父は、元々、警視庁の刑事で、その経歴を買われて彼女のSPに選ばれたのである。つまり、オレたちの近くをいつもチョロチョロしているってワケだ。正直、オレはこのクソ親父のせいでグレた。
「黙れ、この不埒者! 頭が高い!」
鼻クソ親父はオレの腕ばかりでなく、頭まで抑えつけた。まったく、ちょっと手が当たっただけじゃねえか。時代劇かよ。
するとエルフィーナが王女<プリンセス>の威厳を持って喋った。
「そこまでにしてください。王子も悪気があったワケじゃなさそうですし」
「だから、『王子』って呼ぶな!」
「口答えするな! 無礼だぞ!」
「ぐっ!」
オレは顔を潰され、タコのような口になった。この水虫親父め、あとで憶えてやがれ。
「エルフィーナ様、愚息が失礼なことをし、誠に申し訳ございません! どうか、ギロチンにかけるなり、磔になさるなり、ご自由に処分なさってください!」
げっ、マジで!? それでもお前はオレの父親か?
エルフィーナはオレに近づくと、罪人を見下すように目を細めた。
「では、決めました。王子を教室まで連れていって、授業を受けさせるようにしてください。それが彼への処分です」
「はっ!」
「だーかーらー、オレのことを『王子』って──」
「うるさいぞ、卓馬!」
ドガッ!
親父のボディーブローが思い切りオレの腹にめり込んだ。情け容赦ない一撃。オレは不覚にも、一瞬にして気絶してしまった……。おいおい、オレに授業を受けさせるんじゃなかったのかよ?