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勇者ラディウスの悪評

−1−

「まったく、アンタって娘は」
 それが母の口癖だとは知っていながらも、また始まったかと、アンはうんざりした。このところ、何度も繰り返されている小言を聞き流そうと、窓の外へと視線を向ける。ローラは待ち合わせ場所で依頼人と会えただろうか。そんなことをぼんやりと考えながら、こんなことなら自分が代わりに行くんだったと後悔した。
 窓から見渡す街の光景はどこも賑やかだった。それもそのはず。ここはネフロン大陸の西方にその名を知られる、カリーン王国の王都ラーズだ。元々、気候風土が穏やかなのに加えて、この百年近く戦争の類は行われておらず、聡明なる国王の統治のおかげでとても平和である。
 アンは自分の生まれ故郷ながら、これほど他にいいところは存在しないだろうと、常々、自慢に思っていた。聞けば同じ五大王国でも、ブリトン王国では王位継承を巡ってゴタゴタが続いているというし、リルムンド王国に至っては首都を盗賊ギルドに乗っ取られ、国王は紅陽海に浮かぶ小さな島に逃げ出すハメになったとの話だ。国が乱れれば、泣かされるのは一般の市民である。その点から見ても、アンは自分が幸せであると実感できた。何より、このラーズの街並みの美しさと言ったら──
「ちょっと、アン! 聞いているの!?」
 実母ドナの苛立ちを含んだ声に、アンは現実へ引き戻された。ああ、やっぱり私が依頼人を迎えに行くんだったと天を仰ぐ。
「聞いているわよ、ママ」
 アンは眉根をしかめて母を振り返った。しかし、ドナは、
「『ママ』なんて呼ばないで! 今はあなたの『ボス』なんだから!」
 と、娘をたしなめた。
 アンと同じく赤みがかった金髪を持つドナは、このラーズの街で一風変わった仕事を請け負っている。平たく言えば、もめごと専門の何でも屋。メンバーは『ボス』であるドナと娘のアン、それにアンと同い年くらいの少女、ローラの三人だけだ。まだ、この仕事を始めてから間もなく、街の人々にも認知されていないせいか、常に閑古鳥が鳴いているような有様だ。ローラが迎えに行っているという依頼人も、実に一ヶ月ぶりであった。
「アン、こっちへ来なさい」
 窓際にいたアンは、ドナのところまで呼ばれた。渋々ながら従う。
 目の前に立つ娘をドナは上目遣いに見た。
「アンタ、分かってんの?」
「分かっているわよ」
 アンはふくれ面を作った。ドナは嘆息する。
「いい? 私たちの仕事はトラブル解決という生業上、いろいろな危険がつきまとうわ。これから先、私とアンタ、それにローラの女三人だけじゃ、限界というものがあるでしょう? それなのにアンタと来たら、前回の仕事で出会ったという剣の使い手をこちらへ引き込むどころか、この街まで護衛してもらっておきながら、わずかな報酬を与えただけで、ハイ、さようなら、だなんて。まったく、なんてもったいないことをするのかしら!」
 仕事が満足に舞い込まないもどかしさがあるせいだろう、ドナは事あるごとに、その話を持ち出してくる。アンのこめかみに青筋が浮かんだ。
「あんなヤツに頼らなくたって大丈夫よ! 私だって、腕っ節にはおぼえがあるし!」
 アンは一ヶ月前の事件で知り合った若い剣士の顔を思い出し、ムキになって食ってかかった。
 まるで男の子のような外見同様、アンは気性が激しく、そんじょそこらの男相手なら負けない自信がある。なにせ、アンは半年前までラーズの修道院に入っており、神の教えを学ぶとともに、徒手空拳による護身術をも身につけてきたのだ。もっとも、アンが熱心だったのはもっぱら護身術の方で、肝心な尼僧<シスター>になるための修行は、数々の素行不良がたたり、神の恩寵たる聖魔術<ホーリー・マジック>を体得することなく、わずか三ヶ月で修道院を追い出されてしまったのだが。
 そんな出戻りの娘を見て、ドナは嘆かわしくなった。
「そんなこと言って、その剣士がいなかったら、今頃、アンタもローラもどうなっていたか分かったもんじゃないでしょうに!」
「そ、それは……」
 確かにアン一人で、武装した七人の男から連れ去られたローラを救えというのは無理な話だ。あの剣士がいなければ、依頼が果たせなかったどころか、二人の命もなかったかもしれない。まあ、百歩譲って、たった一人で七人の男たちを屈服させた、あの剣士の腕前は認める。でも、あの軽いノリを持った性格は、アンにとって馴染めるものではなかった。
「あーあ、その彼が私たちの仕事を手伝ってくれたら、きっと評判にもなって、どんどん依頼が来るかもしれないのに!」
 ドナは恨みがましく、剣士を追っ払ってしまったアンをなじった。この一ヶ月前、毎日のように繰り返されている会話だ。挙げ句の果てには、まだ、このラーズにいるかもしれないから捜してこいという始末。いい加減、アンは閉口していた。
 何か逃げ出す口実はないかとアンが思案していると、部屋のドアがノックされた。
「ローラです。依頼人をお連れしました」
 その声に、ドナはパッと表情を輝かせた。久しぶりの依頼だ。娘への愚痴を封印し、仕事用のスマイルを浮かべる。アンは助かったと、胸を撫で下ろした。
「早かったわね。どうぞ、お通しして」
「失礼します」
 藍色に似た黒髪の少女──ローラに促されて、一人の男性が部屋へ通された。歳は三十そこそこか。身なりは決して良くなく、むしろみすぼらしい。第一印象は田舎の農夫。ラーズではあまり見かけない人種だ。
「ようこそ、おいでくださいました。どうぞ、こちらへおかけください。──アン」
「うん」
 依頼人に椅子を勧めながら、ドナはアンに目配せした。客人にお茶を入れろというのだ。アンは言われたとおりにお茶を入れようとしたが、その横にスッとローラが近づいてきた。
「アン、私がやりますわ」
「分かった。任せる」
 こういうことは、ガサツなアンがやるよりも、おしとやかなローラの方が似合っている。アンはすぐに役目を譲った。ローラは慣れた手つきで、二つのカップにお茶を淹れる。
「どうぞ」
 ローラは淹れたお茶を依頼人とドナに出した。ラーズでも有名な高級茶だ。これは仕事用で、普段、アンたちは口に出来ない。ドナ曰く、客人に対する演出だというが、正直、アンは身の丈に合わない背伸びは好きじゃなかった。
 お茶で一息入れたところで、ドナは依頼人に切り出した。
「それで、私たちに頼みたいこととは、どのようなことでしょうか?」
 ドナは艶然と微笑んだ。男勝りなアンとは違い、ドナは妙齢の美女である。田舎では、まずお目に掛かれないだろう。アンは依頼人が必要以上に緊張しているのを見て、しらけた気分になった。まったく、男っていう生き物は、どいつもこいつも。
「まずはお名前とお住まいを伺いましょうか?」
 魚のように口をパクパクさせている依頼人に、ドナはやんわりと言った。依頼人は、もう一度、お茶で喉を潤してから、話し始める。
「私はここから東南の方へ行ったところにあるハダルの村から来ました、サムといいます。こちらのことは、この街の行商の方から聞きました」
 もっと仕事が来るようにと、ドナは国中を旅している行商人たちに口コミで広めてくれるよう頼んでいた。今回はそれが功を奏したようである。
 しかし、ハダルという村の名は聞いたことがなかった。おそらく、ものすごく小さな村か、このラーズからかなり遠いところにあるのだろう。依頼人であるサムという男の貧しそうな身なりからしても、報酬はあまり期待できないかもしれない。それでもドナは、イヤな顔ひとつせず、サムに接した。
「遠路はるばるご苦労様です。私たちがお役に立てればいいのですけれど」
「とにかく聞いてください。私どもの村の近くに昔から洞穴があるのですが、いつの頃からかコボルドたちが棲みつくようになりまして」
「コボルド?」
 コボルドはイヌの顔を持った亜人種<デミ・ヒューマノイド>だ。モンスターにしては脆弱で、しかも臆病な性格をしているが、そのせいか集団で行動する習性があり、廃鉱や洞窟を棲処に好む。また、銀を腐らせると言い伝えられていることから、特にドワーフ族からは敵視されているという。単体では、決して怖くない存在だが、それが群れを為しているとなれば、ただの村人には脅威かもしれない。
「よっしゃー!」
 アンは左手に右の拳をパシッと叩きつけ、気合いを入れた。おまけにボキボキと指の骨を鳴らす。
「コボルドが何十匹いようとも、この私が蹴散らしてあげるわ!」
 久しぶりに大暴れできそうだと、アンは喜色満面だった。ポカンとするサムを見て、隣にいたローラが袖を引っ張る。
「ちょっと、アンったら!」
 まったく、恥ずかしいったらありゃしない。それは母親であるドナも同じだった。
「い、イヤですわ、あの娘ったら! おほほほほっ!」
 顔から火が出そうなところをドナは笑って誤魔化す。サムは我に返った。
「あっ、いや、コボルドの件はもういいのです。すでに退治されたのですから」
「ええーっ!?」
 サムの話にアンはガッカリした。すぐにまたローラが赤面して、アンの袖を引っ張るはめになる。
「もお、アンってば!」
「実は、私どもがコボルドたちに困っていると、たまたま旅の剣士が訪れまして。事情を知るや、退治してやろうと」
「それで?」
「なにせ、貧しい村ですから、そんなに報酬は出せないと申したのですが、『しばらく、この村に逗留するから、その間、食事などの世話をしてくれるだけでいい』とおっしゃいまして」
「コボルド退治を頼んだわけですね?」
「はい。その剣士は、翌日、言葉通りにコボルドを何匹か殺し、洞穴から追い払ってくれました。私どももやれやれと思ったのです。ところが──」
「ところが?」
「なんとコボルドを退治してくれた剣士がクセモノだったのです。私どももお礼として、数日間、精一杯のおもてなしをさせてもらいました。しかし、何日経とうとも、その剣士は村を立ち去ろうという素振りを見せません。それどころか、段々と要求はエスカレートし、贅沢三昧をする始末。昼間から酒をかっくらい、酔った上に傍若無人な振る舞いも目立ち、私どもも手を焼き始めたのです」
「ああ、村に居座ってしまったわけですね?」
「さいでして。私どもとしても迷惑しているのですが、村を救ってくれた恩人を叩き出すわけにもいかず……」
「叩き出すべきですよ! そんなエセ剣士!」
 アンが話の途中で割り込んだ。ドナがきつい目線を投げかける。ローラはアンの口を押さえなければならなかった。
 サムはぼりぼりと頭を掻いた。
「そうしたいのも山々なんですが、なにせ相手は、あの“勇者ラディウス”だと名乗っているもんで……」
「勇者ラディウス!?」
 思いもかけない名前が出て、アンたち三人は声を揃えて驚いた。


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