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勇者ラディウスの悪評

−2−

 ネフロン大陸において、勇者ラディウスの名は広く知られている。
 その出自は定かでない。しかし、東のラント連邦にて人々を恐怖に陥れた吸血鬼軍団をたった一人で壊滅させた武勇伝や、マレノフ王国の姫であった傾国の美女とのロマンスは、吟遊詩人たちによって数多く謳われ、誰もがその名を心に刻んでいた。また、その人物像が不明ゆえ、ラディウスの名を騙る不届きな輩も少なくない。
「大体、勇者ラディウスってのは、大昔の英雄の名前でしょ? そんなヤツがのこのこ片田舎なんかを訪れる? 本人はとっくに天寿を全うしてるよ。村に居座っているってヤツは、どうせニセモノに決まってるわ!」
 ハダルの村へ向かう道すがら、アンはずっと腹を立てっぱなしだった。
 一ヶ月前の事件も、勇者ラディウスの名前が絡んだものだった。もっとも、それはアンたちの誤解だったのだが、またしてもラディウスというネフロン大陸の英雄が関係していることに不思議な因縁を覚える。
 早々とニセモノと決めつけている隣のアンに、ローラは小首を傾げた。
「あら、私、前回の事件のあと、いろいろと勇者ラディウスについて調べましたけれども、最近では、三、四年前くらいに砂漠のシャムール王国に現れ、何百年も続いていた部族間の争いを収め、地獄の底より復活した魔神を退治したとのことですわ。案外、今もご存命でいらっしゃるかも」
 それでもアンは納得しなかった。
「それだってニセモノよ! いいえ、多分、そのヒーロー的な活躍に、誰かが勝手に勇者ラディウスと結びつけたんだわ! 考えてもみて! 私たちが伝え聞く勇者ラディウスの冒険譚って多岐に及んで、人それぞれ、まるっきりイメージが固着しないわ! まるで何人もの英雄と呼ばれる人々をゴッチャにしたみたい! きっと本物のラディウス以外の冒険譚も勇者ラディウスの伝説として扱われているんだわ! それに今回のラディウスは、どう考えたってニセモノよ! 第一、英雄がコボルド退治を恩に着せ、貧しい村にたかるなんて、そんなセコいマネする!?」
「しっ! 声が大きいですわ!」
 ローラは「貧しい村」というのが依頼人であり道案内を務めてくれているハダル村のサムに聞こえるのではと、声をひそめてアンを黙らせた。すると先を歩いていたサムが振り返る。二人は焦って、身を固くした。
「お二人さん、見えてきましたよ。あれがハダルの村です」
 王都ラーズより五日を要した旅だった。ようやく目的地のハダルが、アンとローラの視界に現れた。
「あれがハダル……」
 ある意味、アンの言葉は正しかった。貧しい村。そんな印象がピッタリの場所だった。
「じゃあ、いいですね? お二人にはラディウスさんの正体を暴いていただき、ニセモノなら、この村から追い出していただくということで」
 村に入る直前、サムが依頼内容を確認した。
 アンは、よくもまあ母が──いや、彼女らのボスであるドナがこの仕事を受ける気になったものだと、ため息をつきたくなった。正直、実入りはあまり期待できそうもない仕事である。それでもドナが二つ返事で引き受けたのは、少しでも実績を挙げて人々からの評判を高め、今後のビジネスをやりやすくしていこうという魂胆からだ。それは分かっているのだが、こんなド田舎くんだりまで来なくてはならないとは。アンはラーズに一人残っているドナに心の中で舌打ちした。
 サムの案内で、アンとローラはハダルの村に到着した。目の当たりにした村は、遠くから眺めたときよりもみすぼらしく、ひなびていた。まともな家屋などひとつもない。どれも屋根なり壁なりが壊れかけ、砂混じりの風が中へと吹き込んでいる。村人の姿はまばらで、子供が少なく、サム以上に生気のない顔つきをしていた。ここへ来る途中にあった畑にしたって、決して作物の実りがいいとは言えない。
「よく、こんなところに住んでいられるわねえ」
「ちょっと、アン!」
 思わず本音を洩らしたアンをローラはたしなめた。しかし、生まれも育ちも王都ラーズのアンにとっては、信じがたい光景だ。自分だったら、こんなところに三日といられないだろう。
 そんなアンにサムは苦笑した。
「王都のお嬢さんたちの目には、ひどい村だと映るでしょう。でも、これが私どもの村なんです。他に住むところなんてありません。ここが私どもの居場所なんです」
「………」
 アンは自分の国がとてもいいところだとずっと思っていたことを恥じた。カリーン王国にだって、このハダルの村のように貧しいところはあるのだ。すべての人間が必ずしも幸福だとは限らない。否、そんなことは有り得ないのだ。住んでいる場所が違えば、生活も異なってくる。そんな単純なことを考えもしなかったアンは、いかに自分が無知であったか思い知らされた気がした。
「ふざけるなーっ!」
 突然、怒声が村の静寂を破った。アンとローラはギクリとする。続けて何か食器のようなものが割れる音が聞こえてきた。
「オレは酒を出せと言ったんだぞ! そのオレの言うことが聞けねえってのか!?」
 アンたちは怒鳴り声がする方向へ行ってみた。
「も、申し訳ありません! ですが、家にあるお酒はすべてお出ししてしまい、もう何も──」
 弱々しく説明する男の声がしたが、すぐにまた、あの怒声によって遮られてしまう。
「だったら、村中、駆けずり回っても酒をかき集めて来い! 客人を待たせるようなことはするな!」
 三人は声がする家に辿り着いた。サムが「村長の家です」と耳打ちする。アンとローラは、怒鳴り声をあげている男が何者か悟った。
「は、はい! 今すぐ、お酒をお持ちしますので!」
 窓から中を覗くと、左手に大剣<グレート・ソード>を握り、テーブルに足を投げ出すような格好でふんぞり返っている男がいた。かなりの巨漢のようで、髭面の顔は酒のせいで赤らんでいる。その部屋の片隅には、壊れた杯を片づけている初老の男がいた。多分、家主である村長だろう。巨漢の男は、そんな村長の姿を見て、苛立ったように大剣<グレート・ソード>でドスンと床を突いた。
「何をしてやがる! 片づけなんてあとでいい! オレの酒が先だ! さっさと行け!」
「は、はいっ!」
 村長は男の言いなりだった。片づけもそこそこに、部屋から出て行く。男は村長を見送ると、フンと鼻を鳴らし、テーブルに出されていた食べかけの鶏肉にムシャリと噛みついた。その下品さはトロールもかくや、という具合だ。
「何よ、あの男! 何様のつもり!?」
 不遜な男の態度に、窓から覗いていたアンは憤慨した。その場で背中の荷物を下ろし、両手の指をボキボキ鳴らす。
「あんなヤツ、今すぐ、叩き出してやるわ!」
「ちょっと、アン!」
 ローラの制止も聞かなかった。アンは玄関へ回り込むと、ちょうど出掛けるところだった村長を押しのけ、中へと入っていってしまう。ローラとサムは慌てたが、もう後の祭りである。
「おい!」
「ああ?」
 アンは散らかった客間に踏み込んだ。髭面の巨漢男がうろんな目つきで顔を向ける。すぐに下卑た顔つきになった。
「おおっ? 女じゃねえか? まだ子供みてえだが、将来はイイ女になりそうだぜ。こんなのが、この村にいたとはな。ちょうどいい。今からいろいろと教え込んでやるか。──おい、ねえちゃん。オレの隣へ来い。この村の救世主、勇者ラディウス様が可愛がってやるぜ」
 案の定、巨漢の男は勇者の名を口にし、部屋中に酒臭さを撒き散らした。アンは顔をしかめたが、それも一瞬。すぐに気の強さを前面に出した。
「ふざけるな! 誰が勇者ラディウスだって!? たかがコボルドを退治したくらいで、デカい顔しないでくれる!?」
 アンは威勢良く言い切った。しかし、相手はちっともひるんだ様子はない。むしろ笑い声がでかくなった。
「ガッハッハッハッ! おいおい、ひどい言いぐさだな。オレがいなけりゃ、この村から犠牲者が出ていたかもしれねえんだぜ。感謝されることはあっても、非難される覚えはねえな」
「やかましい! アンタのせいで、この村の人たちがどんなにイヤな思いをしているか!」
 貧しい村を食いものにする目の前の男をアンは許せなかった。腰の位置に拳を握り、正面から突っ込んでいく。
 男は大剣<グレート・ソード>を手に立ち上がった。しかし、酒浸りの毎日がたたってか、足下はふらついている。これなら楽勝だとアンはほくそ笑んだ。
「うりゃあああああっ!」
「おっと!」
 男の突き出た腹目がけて、正拳を繰り出したアンだったが、運悪く男がよろめき、狙いが外れた。ぷはーっ、と男の酒臭い息がかかる。アンは思わず鼻をつまんだ。
「ねえちゃん、ちょっとは拳法を囓っているようだな」
「──っ!」
 たった一度の攻撃を見ただけで、男はアンの技を見切っていた。この男、意外に出来る。甘く見ることは禁物だ。
 そう気を引き締めた刹那、男の大剣<グレート・ソード>が右から襲った。鞘から抜き放たれてはいないが、普通の者の膂力では振り回すことも難しい巨大な剣だ。その威力は凄まじい。
 避けるには懐に飛び込みすぎていた。アンはとっさに右腕でガードしたが、身体ごと壁まで吹き飛ばされてしまう。左肩を強く打ち、短く呻いた。
「アン!」
 追いかけてきたローラが、倒れ込んだアンに駆け寄ろうとした。それを見た男が、唇をすぼめる。つい口笛が出た。
「こいつは驚いた! こんな上玉までいるとは! ──ねえちゃん、三人でいいことしねえか?」
 いやらしい笑いを顔にこびりつかせながら、男はアンとローラに迫った。アンは攻撃を受け止めた右腕と壁に叩きつけられた左肩に激痛を感じて、顔をしかめる。特に右腕は折れたかも知れない。
「ろ、ローラだけでも逃げて!」
 アンは相棒に言った。しかし、ローラはかぶりを振る。
「そんなことできません!」
「でも──!」
「うるわしき友情か? 泣かせるねえ」
 すぐ近くまで男が来ていた。このままアンたちは粗暴な男の毒牙にかかってしまうのか。
「触らないでください!」
 ローラが気丈に言った。その刹那──
「な、何ィ!?」
 突如、部屋が眩い光によって白一色の世界と化した。男の目は眩み、アンとローラの姿を見失う。
「今のうちです!」
「待て!」
 ローラの声に男は手を伸ばしたが、あえなく空振りに終わった。
 光が消え、元の視力が戻るのに、しばらく時間を要した。男は目をしばたかせながら二人の少女を捜したが、すでに部屋からは姿を消し、ただ同じように目を擦っている村長とサムがいるだけ。まんまと逃げられたと分かり、男は腹いせに大剣<グレート・ソード>を床へ叩きつけた。
「くそぉ! 女どもはどこへ行ったぁ!?」
 男は恫喝の声を出し、村長とサムを睨みつけた。二人は怯え、ただ首を横に振るしかない。
「いいか! あの二人をオレのところへ連れてこい! さもないと、お前たちが痛い目を見るぞ!」
 男は大剣<グレート・ソード>を肩に担ぐと、哀れな二人に命じた。


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