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勇者ラディウスの記憶

−1−

「まったく、冗談じゃないわよ」
 深夜、トイレに起きたアンは、いささか寝ぼけたような頼りない足取りで部屋へ戻る途中、自分でも知らないうちに愚痴を呟いていた。
 そもそもアンが気に入らないのは、母親であり、もめごと専門の何でも屋を仕切っているドナが、実の娘に相談もなしに、流浪の剣士ケインを仲間にしたことだった。何でも屋にはアンやローラなど女ばかりで、かねてより腕の立つ人間が欲しいとドナが言っていたのは知っているが、それがよりにもよってケインとは。アンは神様の気まぐれを恨めしく思う。
 ケインとは以前の仕事中、成り行きで行動をともにすることになったのだが、そのときから馴れ馴れしく接してきて、一から十までアンの癇に障った。確かに剣の腕前は立つが、軽薄な男はアンの好みではない。いや、ハッキリ言えば嫌いなタイプだ。カリーン王国の首都ラーズの手前で別れたときは、もう二度と会うこともあるまいと思ったのだが、何の因果か、ケインが何か仕事はないかと探していたところ、ドナが貼りだした求人に引っかかったらしい。もちろん、アンは採用を取りやめるよう母に訴えたが、あっさり突っぱねられた。
「あら、なかなかイイ男じゃない? 昔の父さんにそっくり。誘惑しちゃおうかしら」
 四十手前で、まだまだ女の色香をプンプン匂わせているドナは、娘に対して、本気ともつかぬ調子で喋った。父の若い頃といっても、アンには記憶がない。物心ついたときはすでに父はおらず、いくらアンがせがんでも、生きているのか、それとも死んでいるのか、ドナの口から語られたことはなかった。
 そんなわけで、不承不承ながらケインが仲間に加わった。相棒であるローラは歓迎の様子だったが、アンはこれから毎日のように顔を合わせなくてはいけないのかと思うと頭が痛くなってくる。これならいっそ、追い出された修道院に戻った方がマシだと思えた。
「はあ、寝よ寝よ」
 考えてもムダと、髪の毛をクシャクシャにしながら、アンは部屋へ戻った。せめて寝ているときくらいは、ケインの脳天気そうな顔を忘れようとベッドへ潜り込む。
 ベッドには先客がいた。居候が一人増えたので、ひとつのベッドをローラと二人で共有することになったのだ。アンは互いを暖め合うように、眠っている相棒に身を寄せた。
 さて、もうひと眠り、と思ってしばらくした後、アンは違和感を覚えた。ローラにしては背中が大きいように感じる。筋肉質な身体。それに素足に触れる感触は、なぜかジョリジョリしていた。
「──っ!」
 突然、眠気がぶっ飛んだ。アンは毛布をはねのけて起きあがる。
「誰っ!?」
「ふあぁ?」
 寝ぼけたような声が返事をした。ローラではない。男の声。
 すぐにアンは騒がなかった。まずは、スーッと息を吸い込む。そして、ピタリと一拍の間をおいてから──
「きゃああああああああああああっ!」
 声を限りに悲鳴を上げた。部屋中どころか、隣の隣の家までハッキリと聞こえただろう。当然、ベッドにいた男も飛び上がるように驚いた。
「なんだ、なんだぁ!?」
 ベッドに寝ていたのはケインだった。アンはその顔面へ問答無用の鉄拳を食らわす。さすがのケインも、この不意討ちは避けられなかった。
「だはっ!」
 アンにぶっ飛ばされたケインは、ベッドの反対側に転がり落ちた。したたかに床へ叩きつけられる。それでもすぐに起きあがろうとしたのは剣士の意地か。
「い、いきなり、な、何をしやがる!」
 寝ていたところを威かされて、おまけにパンチまでもらったケインは、当然のことながら怒りに声を震わせていた。しかし、それはアンにしても同じだ。
「夜這いに忍び込んでおきながら居直るつもり!? この色魔!」
「はあっ?」
 アンになじられ、ケインはワケが分からないといった顔をした。そこへ寝室のドアが開けられる。
「どうしたの? 何があったの?」
 アンの悲鳴とケインがぶっ飛ばされた音を聞いて駆けつけたのは、就寝中だった母親のドナとローラだった。あられもないアンとケインの姿を見て、二人とも目を丸くする。特にケインはパンツ一丁姿だ。
「いやん!」
 ローラは赤面し、両手で顔を覆いながらパッと後ろを向いた。一方、ドナは、
「まぁ! 二人とも大胆ねえ! もう、若いんだからぁ!」
 などと、本気なのか、わざとなのか、なにやらこの状況を楽しんでいる。アンは、ブンブンと、猛烈に首を振って否定した。
「そんなんじゃないわよ! こいつが私のベッドに──」
「おい、寝ぼけるな。私の『元』ベッド──だろ?」
 不機嫌さを隠さずに、ケインが即座に訂正を求めた。一瞬の沈黙。その後、アンの表情は見る間に引きつっていく。
 そうなのだ。ここはアンの部屋だったのだが、仲間になったケインが一緒に住むことになり、ここをあてがわれたのである。部屋を追い出されたアンは、ローラと同室になったのだ。
「あ、あああああああああっ!」
 自分の失敗に気づき、アンは髪の毛をかきむしった。なんたる失態。恥ずかしくて、顔から火が出そうだ。
「つまり、夜這いをかけたのはアンの方からってわけね?」
 ドナは愉快そうに言った。その隣で顔を覆ったローラが、いやんいやんと、身をくねらせる。
「信じられない……アンがそんなことをするだなんて……」
「違うわよ! ──ママ、勝手に決めつけないで! ──ローラ、ただ部屋を間違えただけよ! つい、いつものクセで! ホントよ!」
「ほう、自分で部屋を間違えておいて、オレにはこの仕打ちか? まったく、大した歓迎だな」
 ケインの頬は見事に腫れあがっていた。手で押さえているが、ジンジンする。
「あら、大丈夫? ケインくん?」
 ドナが近づいて、ケインの傷の具合を診た。ケインはドギマギする。なぜならドナはきわどいネグリジェ姿のまま、この部屋へ駆けつけたのだ。アンはこんなネグリジェを母が着ていたところを見たことがない。
「ダメよ、ひどく腫れているわ。冷やさないと」
「あっ、じ、自分でやりますから」
 ケインは負傷している顔ばかりでなく、剥き出しの二の腕や胸板に触れてくるドナに、つい腰を引くような格好になった。ドナはケガの具合を診ているというよりも、まるで愛撫をしているようだ。ドナはそんなケインのウブな反応を可愛いとでも思っているのだろう。必要以上のタッチをなかなかやめようとしなかった。
 そんな母親の色情めいた態度に、アンはカチンと来た。よくも年頃の娘の前で堂々と。
「ママ、そんなヤツ、ほっとけばいいのよ! これで変なことをしたらどうなるか、身にしみて思い知ったんじゃない?」
「何だと? オレがそんな下劣なマネをする人間だと思っているのか!?」
 勘違いで殴っておきながらひどいことを言うアンに、ケインは益々、腹を立てた。それはドナも同じだ。
「アン、ケインくんに謝りなさい。悪いのはあなたの方じゃないの」
 それはそのとおりだった。でも、アンは素直に謝罪を口にできない。ケインに謝るなんて、死んでもごめんだった。
「そもそも──そもそも、こいつをウチに居候させるからいけないんでしょ! 女三人の中に、素性も明らかでない男を入れるなんて! ママの方がどうかしているわ! 私は反対よ! 自分の部屋まで取られて、こんなヤツを仲間になんて認めたくないわ!」
 アンは不満をぶちまけた。ケインの前だろうと関係ない。黙って我慢できる性格ではないのだ。
 ドナは困ったような顔をした。
「部屋のことは仕方ないでしょ? それとも私とケインくんが一緒になればいい?」
「ぶっ!」
 ドナの過激な提案に、ケインは思わず吹き出した。もちろん冗談だろうが、普通は口にしない。特に実の娘に対しては。
 アンは腕をわななかせた。まったく取り合ってくれない母。堪忍袋も限界だ。
「知らない! 勝手にすればいいわ! ──ローラ、寝るわよ!」
「あ、アン」
 アンはローラの手を引っ張るように、ケインの部屋から出て行った。それを見送りながら、ドナはいささか芝居がかった仕種で嘆息する。
「何であんなにも男嫌いな性格になったのかしら? やっぱり、女手ひとつで育てたのがいけなかったのかしらね?」
「はあ」
 ケインは曖昧に返事をする他なかった。
「──で、どうする? 本当に私と寝る?」
 急にドナは真顔で振り返った。冗談じゃなかったのか。
「え、遠慮します」
 ケインは顔を引きつらせながら、ドナの申し出を辞退した。


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